2023年1月28日土曜日
判例裁決紹介(令和2年8月21日裁決、行政指導とお知らせ文章)
さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、令和2年8月21日で、相続に関する期限後申告とその基礎に無申告加算税を賦課決定処分を受けたことにつき、かかる点において、税務署からのおしらせ文書記載の誤解によるものであり、正当な理由があるとしてその取消を求めたものです。
具体的には当該税務署からの相続に関するお知らせ文書に記載された、法定納期限を誤解、読み違えたということで、主張されているものであるが、基本的には法の無知によるものであり、申告納税制度を基礎とする我が国の現行法制度において特段考慮される可能性は非常に低い事例であって、裁決判断も請求人の主張を否定している。
本件では、上記のような事例として、事実関係が問題となっているものであるが、重要なのは、この点ではなく、税務署からのお知らせ文章の意義について、課税庁として、の主張において、行政指導の観点から主張を行っているものであろう。近年は調査手法の多様化や、手続の改正もあり、このようなお知らせ文章が税務署から送付されることが増加しているものと考えられる。しかしながらその法的な性格は必ずしも明らかではなく、租税手続法、実務においても対応が不明瞭な点が存在している。この点を如何に解すべきであるのか、という点は、検討すべき課題であるが、本件では課税行政庁としては行政指導という観点から主張を構成している点が珍しく、興味深い。従前の行政指導とこのような書類の送付を同視すべきであるのかなど、更に検討すべきことを提起してくれる興味深い事例であろう。
以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているもので完成度は低いですが参考までに。
判例裁決紹介(令和4年2月15日、名義預金認定に出捐に基づく按分)
さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今週は令和4年2月15日で、相続税の課税財産の把握において、課税庁が行ったいわゆる名義預金認定が納税者の主張により排斥された珍しい事例です。
具体的に本件は相続人たる請求人(一人は税理士)がなした相続税申告につき、課税庁の調査により、被相続人である家族名義の預金及び、相続発生後の出金が申告された相続財産に含まれていないとして更正処分等を受けたことから、当該預金等は被相続人の配偶者等(相続人)の帰属に帰するべきものであるとして、当該処分の取消を求めた事案である
いわゆる名義預金の認定という、家族名義の預金が如何なる者に帰属すべきものであるのかという点が中心的な争点となっているものである。相続税の申告の基礎となるべきものの一つが相続財産の把握であることは実務家にとって、言うまでもないことであろうが、本件もその中で最も争点とされることの多い、いわゆる名義預金が争点となったものである。テキストや問題文で、預金の名義が問題となることはほぼないものであるが、現実社会に出るとこのような名義の異なる、実質的な所有権者との相違が争点となってくることは、まずもって認識しべき問題であり、社会人がテーマとしがちの点ではあるが、多くの場合事実認定の問題であることが基礎として認識されるべきものであろう。ちなみに本件のような問題は名義預金の問題としてよく言われるのだが、なぜ、名義預金という表現になっているのか、というのがいつも疑問に思うところ(皆さんは思ったことはないだろうか?実質的な帰属と呼ぶべき問題であろうが)。
かかる点で本件は特段珍しいものではないが、本件の特徴的なところは、課税庁が行った名義預金の認定を納税者の主張により、審判段階ではあるものの、その認定が排斥されたということであろう。課税庁の主張立証の不十分ということがその要因と評価されるものであろうが、基本的に事実認定の問題であるものの、本件は預金の源泉の出捐先に関して、詳細な事実認定を行った上で(この点で近年の認定に関する流れを典型的に表現しているもの)判断を行っており、実務上は非常に参考となるものであろう。
「被相続人以外の者の名義である財産が相続開始時において被相続人に帰属するものであったか否かは、当該財産又はその原資の出えん者、当該財産の管理及び運用の状況、当該財産から生ずる利益の帰属者、被相続人と当該財産の名義人並びに当該財産の管理及び運用をする者との関係、当該財産の名義人がその名義を有することとなった経緯等を総合勘案して判断するのが相当である。」
判示は上記のように家族、配偶者名義の財産のように、名義が異なる場合、その判断に関しては、出捐にとどまらず、管理状況など総合的な状況をもとにして実質的な判断を行うこととしている。このような法令解釈と判断の枠組みに関しては、特段珍しいものではない。裁判例とも整合的であり、原則的な枠組みとして合理的なものであろう。
しかしながら、本件では配偶者名義の預金に関しては勤務実績の存在等から配偶者の貢献を如何に判断すべきであるのかという視点が背景にあるように考えられる。この点で、従来とは異なる名義認定の背景が登場しているように思われる。すなわち、従前の名義預金の問題の中心は男性が働きその上で構築された預金の配偶者家族名義の分散を基礎としていることが、当然のようにその背景にあった(あまり議論されているものではないかもしれないが)。しかしながら、本件では、配偶者の勤務実績の存在がまずは前提としてあって、その上で、本件資産の形成における配偶者の貢献を判定することがまずは、求められていることになっている。
この点は、あまり意識されていないように思われるが、夫婦財産の形成における社会的な環境変化、共働きの増加という社会環境の変化を反映しているようにも思われ、租税を考える上では非常に重要な点であろう。従前、所得税などの単年度ベースでは環境変化の反映が垣間見られる事例は存在しているが、相続税という財産の長期間の形成における判断においてもこのような状況がみられるようになってきていることは、租税においても環境の変化を反映させる契機が到来しつつあることを感じさせるものであり、かかる点で重要な点であるようにも考えている。
このようなバックボーンの変化をと基礎としつつも、基本的にはこのような名義認定の問題に関しては租税法規としては課税の公平性を反映させ、課税の均衡を図る観点からも実質的な判断を基礎とすべきという点は変わないと考えるべきである。しかるに上記のような総合的な判断の要請は、判断枠組みとして合理的であるものと考えられるが、その具体的な基準に関しては、上記のような背景をもとに変化すべきものといえよう。
本件では判断の基礎は上記のような総合的な判断をベースを課税の公平を基礎に構築されるべきものでありながら、課税庁の主張が基本的に預金の出捐にほぼ収束された主張を形成していることが、判断の原因となっている。確かに従来の判断のベースは出捐を基礎とするような判断の枠組みが実際的な、あるいは判断の中心的な要因として機能している事例が多い。実務においてもおそらくこの出捐関係がその判断の基礎となっていることが多いものと想定されるが、テクニカルな実務ベースの判断の枠組みとしては機能しうるものであるが(この点においては予見性が高いが、結果的には中核的な部分を理解しておらず立証が不足していることが本件の判断の要因となっている)、規範的な意義において本質的には不十分であることはまた認識されるべきであろう。民事法的には、その名義を争う場合において出捐という点を重視するケースは多いものであるが、相続税という租税負担を検討するにあたっては、租税負担の均衡の要請の視点が背景とすべきことは留意されるべきものと考える。
何れにせよ、本件の判断は税理士が請求人に含まれていることもあり、名義認定の一般的な問題とはいささか異なる展開となっているが、従前の事例と対比することで今後の判断においても参考とするべき案件であろう。個人的にはマイナンバー等が口座に紐付けられる中で、このような管理状況などの判断の枠組みがどのように変化するべきであるのかという点が今後の検討課題であるように思われるところ。
以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。
2022年12月5日月曜日
判例裁決紹介(令和2年6月4日裁決、国外不動産の一括取得における資産区分】
さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、令和2年6月4日裁決で国外不動産取得時における土地と建物の一括取得価額の資産区分が課題となった事例です。
具体的には、個人たる請求人が投資用不動産の取得のため米国にある土地及び建物を取得した件につき、一括取得であるため土地と減価償却資産に按分すべきところ、かかる按分比率【建物に80%】が非合理的であり、過大な減価償却を計上しているとして、更正処分等を受けたことを不服として提起された事例である。
近年、我が国の不動産環境が変化して、収益性が低下していることから、そして、不動産特に、建物に関する評価、取引価額の事情の相違から減価償却を我が国の制度上過分に活用できるとして【損益通算に対して制度的手当が一部なされているが、まだ減価償却制度の改善の余地はあるだろう、私見としてはそろそろ減価償却という会計的な概念は、租税制度にどのように扱うのか、資産概念が変化している環境において見直されるべきものと思っているが・・・】、増加傾向にある米国不動産投資であるが、本件は、このような投資用の不動産紹介における減価償却の利用に関して留意すべき点が示されている。
建物と土地の一括取得における取得費の配分の課題【明瞭に区分されていない】は、古くから国内取引においてもよくある紛争事例であるが、現在では、ほぼ固定資産税評価を利用するケースが一般的であるように考えられる【それでもたまに事例としては見かけるが】。本件は国外における取得において、当該投資用不動産のパンフレットに記載されていた按分比率をもとにして【勧誘利回りもそれを基礎に計算されていた】減価償却資産である建物に按分していたことが不合理であるとして中心的な争点となっているものである。
裁決では結論としてその勧誘用のパンフレットや米国における鑑定士の評価も用いられているが、課税庁が按分比率の引き直しに活用した州不動産評価局による評価按分を基礎として引き直しされている。固定資産税評価額を用いて按分する現行的な支配慣行とほぼ同様の処理を行ったものであるが、かかる処理の合理的な判断の根拠は必ずしも明らかではない【結論としては合理的判断であるとは考えられるが】。
裁決においては米国の租税裁判所の判断でも同様のケースがあることを一つ根拠としているようにも読めるものであるが、具体的な判例名も示されておらず、また、米国と我が国の不動産を取り巻く環境は必ずしも一律とは言えず一義的に米国における按分の基準が適正であるのかという論理は必ずしも妥当ではないだろう。
いずれにせよ、国内における不動産取引とは異なる市場慣行や評価が成立するのが米国における取引であり、海外における不動産取引は米国にとどまらず増加傾向にあるようであるので、本件も含め租税実務上の留意はより蓄積されるべきものであろう。
以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているものですので、完成度は低いですが、参考までに。
判例裁決紹介【東京地判令和2年3月18日、同族会社への貸倒損失と必要経費認定】
さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、東京地判令和2年3月18日で、同族会社への貸倒損失が事業場の必要経費に該当するのか否かという点が基本的な争点となった事例です。
具体的には、本件は競走馬の保有業を営む原告が、保有する同族会社(競走馬の育成等)への貸付債権の貸倒損失を当該事業所得の必要経費に該当するものとして確定申告したところ、課税庁により、かかる損失は、事業の遂行上必要ではないとのことで、否認された更正処分等を不服として提起された事例である。
本件の事実関係はシンプルであり、競走馬の保有という些か特殊な事実関係を基礎としたものであるが、貸倒損失が事業上の必要経費を構成するのか否かという点、所得税法上の争点とする事例は少なく、事業との関連や、必要性を検討する上で、特に貸付金は中小企業の運営上、実務上非常に多くの活用がなされているものであり(今現在はだいぶ変わっただろうか?)、実務上も参考とすべきものであろう。
資産損失の必要経費算入)
第五十一条 居住者の営む不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき事業の用に供される固定資産その他これに準ずる資産で政令で定めるものについて、取りこわし、除却、滅失(当該資産の損壊による価値の減少を含む。)その他の事由により生じた損失の金額(保険金、損害賠償金その他これらに類するものにより補てんされる部分の金額及び資産の譲渡により又はこれに関連して生じたものを除く。)は、その者のその損失の生じた日の属する年分の不動産所得の金額、事業所得の金額又は山林所得の金額の計算上、必要経費に算入する。
2 居住者の営む不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき事業について、その事業の遂行上生じた売掛金、貸付金、前渡金その他これらに準ずる債権の貸倒れその他政令で定める事由により生じた損失の金額は、その者のその損失の生じた日の属する年分の不動産所得の金額、事業所得の金額又は山林所得の金額の計算上、必要経費に算入する。
本件は具体的には上記所得税法51条における資産損失の計上が是認されるのか否かという点を基本的な争点としているものである。必要経費一般の議論は非常に事例も多いものであるが、資産損失に関しては必ずしも事例は多くなく、当該損失における必要経費判断の枠組みは、重要なものであろう。
法は上記のように、事業(所得を生ずべきという制限が付与されているが)について、事業の遂行上という要件を付与している。この遂行上というものがいかなる意義を有するものであるのか、という点が背景にあろう。通常、必要経費に置いては必要性や関連性が基本的な判断の要件であるが、資産損失に関しては損失ということもあり、必ずしも同様の判断の枠組みが適用できるとは考えがたい。
「所得税法51条2項にいう「その事業の遂行上生じた」とは、当該事業所得等の
基因となる事業と何らかの関連を有する全ての場合をいうものではなく、当該事業
の業種、業態からみて当該事業所得等を得るために必要なものと客観的に認められ
る場合をいうものと解するのが相当」
判示では上記のように、事業所得との必要性を基礎において判断を行っている(直接・間接との表現は用いられていない)。資金の貸付という行為において事業との必要性を観念できるものであるのか、同族会社への支援・投資との差異は如何に判断されるべきであるのか、事業内容の関連程度であれば、その遂行上のものであるとの判断の枠組みの提供は困難であろうことが事例は示しているように考えられる。
単なる事業上の経費とは異なるのが損失であり、基礎となる資産の起点がまずは重要な判断の要因であり、かかる点から事業との関連が検討されることが必要であるのではないだろうか。
以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているものであり完成度は低いですが参考までに。
判例裁決紹介、令和2年6月24日裁決、国外居住者の扶養控除申請と付属書類の未整備】
また、興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は令和2年6月24日裁決で、扶養控除の申請において、国外居住者を申告した請求人も附属書類の未整備が課題となった事例です。
具体的には本件は個人たる請求人がその確定申告において、国外【中国】に居住する者【父と母)を扶養親族であるとして、扶養控除を適用していたことにつき、法の定める書類の添付がなかったため、更正処分等により扶養控除の適用を否定したことを不服として提起された事例である。
現金で支払ったとする受領書の提出をもって、その証明とするということが本件の事実関係において、行われたものであり、かかる証明では法の定める扶養の事実を証明するものではないということで、適用が否定された事例である。
書類の未整備という形式的な行為が基礎となる処分事例であるが、近年はこのような国外居住者に対する取り扱いに限らず、立証責任を事実上納税者に転換するような、より正式には適用の根拠となる書類【証拠となる】の整備を求めることが基本的な流れとなってきている。些か形式的な処遇であり、賛否はあろうが、このような取り扱いが基本的な流れになっていることは、租税実務を行う者としては認識しておくべきものであろう。
所得税法130条
二 第一項の規定による申告書に、第八十五条第二項又は第三項(扶養親族等の判定の時期等)の規定による判定をする時の現況において非居住者である親族に係る障害者控除、配偶者控除、配偶者特別控除又は扶養控除に関する事項の記載をする居住者 これらの控除に係る非居住者である親族が当該居住者の親族に該当する旨を証する書類及び当該非居住者である親族が当該居住者と生計を一にすることを明らかにする書類
以上のように法は、上記のように、扶養親族の判定において、非居住者【国外居住者】に対する現況として、生計同一も含め具体的な書類による担保を求めている。より具体的には所得税法施行令に置いて定めがあるものであるが、
3 法第百二十条第三項第二号(法第百二十二条第三項、第百二十三条第三項、第百二十五条第四項及び第百二十七条第四項において準用する場合を含む。)に掲げる居住者は、同号に規定する記載がされる親族に係る次に掲げる書類を、当該記載がされる障害者控除に係る障害者(確定申告書に控除対象配偶者又は控除対象扶養親族として記載がされる者を除く。以下この項において「国外居住障害者」という。)、当該記載がされる控除対象配偶者若しくは配偶者特別控除に係る配偶者(以下この項において「国外居住配偶者」という。)若しくは当該記載がされる控除対象扶養親族(以下この項において「国外居住扶養親族」という。)の各人別に確定申告書に添付し、又は当該申告書の提出の際提示しなければならない。ただし、法第百九十条第二号の規定により同号に規定する給与所得控除後の給与等の金額から控除された当該国外居住障害者に係る障害者控除の額に相当する金額、当該国外居住配偶者に係る配偶者控除若しくは配偶者特別控除の額に相当する金額若しくは当該国外居住扶養親族に係る扶養控除の額に相当する金額に係る次に掲げる書類又は当該給与等の金額から控除されたこれらの相当する金額に係る国外居住障害者、国外居住配偶者若しくは国外居住扶養親族以外の者について法第百九十四条第四項(給与所得者の扶養控除等申告書)、第百九十五条第四項(従たる給与についての扶養控除等申告書)若しくは第二百三条の六第三項(公的年金等の受給者の扶養親族等申告書)の規定により提出し、若しくは提示した第一号に掲げる書類については、この限りでない。
一 次に掲げる者の区分に応じ次に定める旨を証する書類として財務省令で定めるもの
イ 国外居住障害者 当該国外居住障害者が当該居住者の親族に該当する旨
ロ 国外居住配偶者 当該国外居住配偶者が当該居住者の配偶者に該当する旨
ハ 国外居住扶養親族 当該国外居住扶養親族が当該居住者の配偶者以外の親族に該当する旨
二 当該国外居住障害者、国外居住配偶者又は国外居住扶養親族が当該居住者と生計を一にすることを明らかにする書類として財務省令で定めるもの
本件は、このような法定されている書類の準備が、適当ではないということで争いになっているものである。具体的には現金を手渡ししたという受領書の書類では、生計を同一として評価することは困難との認定である。
そもそも、生計を一にするという要件自身がいかなる意義であるのか、送金の事実に現在は、その判定をほぼ委ねているような現況を法令解釈として的確であるのかという疑問もあるものであるが、上記施行令が国外居住者に対して上記のような特別な書類の整備を求めていることの趣旨は、海外に居住している故に、その扶養の証明が困難であることを起点とするものであり、事実上立証責任を転換していることにあるものと解するならば、本件のような当事者で作成したような書類で足りるとする根拠は成立せず、第三者が関与するような【口座】のような形式での証明が必要であり、法【財務省令】が多様な書類による証明を許容していると解することは困難と考えるべきであり、判断は是認されよう。
またふとした疑問であるのだが、このような送金関係の金額【に依拠した判断と】と扶養控除金額がリンクされていないことは扶養控除の趣旨から適格であるのであろうか。法はあくまでも生計を一にするということが条件であり、法は、金額を持って基準としていないものであるが、扶養控除の金額よりも明らかに少ない送金等の金額で扶養控除の適用が判断されるようなことはないのかという点は、疑問に思う。
以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているものであり完成度は低いですが参考までに。
判例裁決紹介【東京高判令和2年1月16日、給与の支払事実関係の認定】
さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、東京高判令和2年1月16日で、給与所得の源泉徴収還付に関する給与支払いの事実関係の認定が争われた事例です。
具体的には、本件は、法人の役員であった控訴人【原告、元税務署職員】が、その確定申告において、給与所得に関する源泉徴収の還付申告を行ったことにつき、当該給与支払いの事実はなく【源泉徴収も納付されていない】、もって当該申告は受け入れられず、もって虚偽の源泉徴収票により還付申告を行ったとして重加算税の賦課決定処分を受けたことを不服として提起された事例である。判示も地裁同様課税庁の主張を認め、控訴人が主張する、あるいは準備した給与支払台帳は信憑性に欠けるものとして、訴えを棄却した事例である。
一般的に給与の受け取りは、当然その受取を行った者である本人が把握している、感知すべきことであることはいうまでもない。しかるにこれが事実関係として争点になることは、不可思議な事象であると考えられるのが一般の感覚であろう【実務家としてはさもありなんというような印象を持つかもしれない】、学生には思いもよらないことかもしれないが、このような不可思議な事象が発生するのが実務の世界であることは改めて認識されよう。本件では、このような事象の背景を詳細には述べておらず、濁した表現にならざるをえないが、本件判示も地裁の判断を基礎としており、元税務職員である原告控訴人が起点となったこのような申告に関して給与支払の事実を基礎に対応を図っているのであろう。)具体的な事実関係は地裁を参照すべきであるが、本件の事実関係や立証の過程は、支払関係の事実を立証する過程で有益なものであろう。
中心的な争点は、以上のように、本件源泉徴収が行われたとされる給与支払の事実の有無であり、その事実関係が認定できるのかという点に尽きる。このような意味で事実認定の問題であるが、主張立証の責任が納税者に転換されていることは、本件でも同様であり、如何にしてその事実を証する証拠資料を準備できるのかという視点は今後必要となるのでしょう。
個人的には、源泉徴収制度における、徴収状況【未納付】と還付のリンクが制度上、図られているのかという点は懸念されるところではあるがこの辺りはどのようになっているのであろう。
以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているものであり、完成度は低いですが参考までに。
2022年11月7日月曜日
判例裁決紹介(横浜地判令和3年2月24日、副業の事業所得認定)
さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、横浜地判令和3年3月24日で、医師が行う副業としての洋画製造販売が事業として認められ損益通算が認められるか否かという点が争点となった事例です。
具体的には本件は医師たる原告画素の個人の確定申告において給与所得と実施する、洋画作成に関する損失(個展を海外で開くなど大幅な経費と損失が発生しており、収入は微々たるもの)を事業所得に関するものであるとして損益通算の対象としていたことにつき、当該損失は事業所得に関するものではなく、雑所得であるとして損益通算を否定した更正処分等を不服として提起された事例である。事案としてはシンプルであり、事業所得と雑所得の区分を巡る古くて新しい論点であり、近年の事業環境の変化や芸術的な事業(演奏等も含め)における所得区分の課題が中心的な争点になっているものである。
近年は、副業等の解禁もあり、個人が複数の所得源を持つことが一般化している現況(現状の所得税法は、複数の所得区分を認めているが、損益通算など、基本的に複数の所得源の存在は念頭として重視されていないものであろう)にあり、またネット等を介した形で収入を得るような形式が社会に実装されている形であり、事業の立ち上げが容易になりつつある。かかる環境において、所得税法としていかに適正な形で所得課税を行っていくべきであるのかという点が本件も含め、所得区分の見直しが社会的に必要になりつつある現況であろう(おそらくは個人が国境を超えた役務提供も行うことも、また含めねばならないと考えられる)。近年は新しい事業所得の区分に関する通達も検討されているが(本質的には法文により精緻な事業の定義を置くべきものであるとは考える)、最初にとりあえずバルーンとしてあげた金額基準から、本命の帳簿整備基準に収斂されている流れもあるものの、かかる点では本件でも問題となった趣味的な要素の強い、あるいは芸術的なものなどに代表されるような、そして損益通算の問題(本質的には本件も含め、損益通算がメインテーマとなっているものであろうが)など、関連する問題は多様であり、本件のような事例も含め事業判断における精緻化は、今後の租税実務において重要な要因となるだろう。
本件では下記のように事実認定を行い、一定の事業性は認めつつも、
「原告は、洋画等の販売のために個展を東京、横浜、京都、ニューヨークで複数回
開催していること、自作洋画に係るジークレー(版画)、リトグラフ、画集及びポ
ストカードを、対価を得て販売していたことが認められ、これらの事実に照らせ
ば、本件制作販売等は、有償性、継続性、反復性のある活動であり、アトリエとい
う物的設備を備え、さらに、原告が自己の費用を投じて上記活動を行っていること
から、原告の計算と危険において企画遂行されている活動であるといえる。
しかしながら、いずれの年においても収入金額を大幅に上回る必要経費が投じら
れており、収益が全く生じてないこと、原告は、医療法人社団の理事長を勤め、医
師として診療行為を行うことにより、多額の給与所得を得ており、その生活に要す
る費用は上記給与所得により賄うほか、本件制作販売等に係る資金も、給与収入又
は預貯金等で賄い、他からの借入れ等による資金調達を行っていなかったこと等が
認められる。」
「多額の資金を投じる一方で、収益は全く上がっておらず、およそ相当程度の期
間継続して安定した収益が得られる見込みがあったとはいえず、客観的にみて営利
を目的として行われたものともいえないことからすれば、社会通念上、本件制作販
売等が、自己の計算と危険において独立して営まれ、営利性、有償性を有し、かつ
反復継続して遂行する意思と社会的地位とが客観的に認められる業務であるとはい
えず、事業に該当しない。」
として、
「事業所得が事業活動を遂行することで得られる収益に担税力を認めたものである
以上、現に収益を計上できるかどうかは別として、社会的・客観的に見て、ある程
度の期間継続して経済活動を遂行して安定した収益を得ることを目的とし、この目
的に合致した実態を有するといえるものを事業とし、これにより得られた所得を事
業所得とすべきであるから、社会的客観性をもって「事業」と認められるかを検討
するに当たっては、「相当程度の期間継続して安定した収益を得られる可能性」を
も検討すべき」
と判示して、昭和56年の最判を基本としながらも、多額の損失を経常的に計上していることから、事業所得としての該当性を否定している。
近年事業所得の判断においてはこの相当程度の期間継続して安定した収益を得られる可能性を判断要因に加えて、事業所得の判断の枠組みにしている事例が多い。56年最判は一応の基準であるが、どのような点で他の要素を許容されるべきでものであるのかという点は解釈論として検討すべきものであろう。
裁決レベルではこのような判断は行われてきたが、地判レベルでも受容されてきていることが本件でも重要な要因であろう。私見としてはこのようなアプローチが近年の事業環境において適合的であるとの判断はなされるべきであるか、事業所得の解釈として、そもそも論として収益をうる目的に合致した実態と損失の有無を如何にして整合的に理解すべきであるのかという点は疑問に思う。
判示では特段の根拠なく、事業所得であるからという理由のみで、課税庁の主張を受け入れており、事業とはそもそもリスクをおって業務を行うものであり、損失の実態は必ずしも否定されるべきものであるのであろうか。そもそもとして環境の変化も鑑み現代的な事業所得の意義を検討すべき時期に来ているのではないかと考える。
また、判示における安定しているということがどのような意義を有するものであるのかという点も明らかではない。事業がそもそも安定しているというものとは捉えがたいものであるし、自己の計算と危険という判断の枠組みにおいて整合的であるのかという点や将来の見込みも含め曖昧な状況に左右されるような判断の枠組みは検討の余地があろう。
以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているものであり、完成度は低いですが参考までに。
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