2017年5月25日木曜日

判例裁決紹介(東京地判28年5月19日、不動産売買契約における非居住者に対する源泉徴収義務)


さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、
東京地判平成28年5月19日で、不動産の売買契約の締結に伴い支払った売買代金につき、非居住者に対する支払いとして、源泉徴収義務の存在が問題になったものです。

具体的には、原告と締結した不動産の売買契約において建物及び土地に関する売買代金(数億円規模)を支払ったが、当該契約の当事者である売渡し人が米国籍(日本国籍から)を取得した者であり、パスポートも米国のものを利用していた人物が売渡人であったため、当該売渡人は所得税法上、非居住者に該当し、当該不動産売買に係る所得は、下記、国内源泉所得を定めた所得税法161条規定に則り、212条に定める源泉徴収義務を負うとして、課税庁が原告に対して源泉徴収義務があるとして納税告知処分を行ったことに対して、原告が当該売渡人は居住者に該当する、乃至は当該非居住者であることに対して義務違反が存在しておらず、信義則等からその義務を負うことを否定して、かかる告知処分の取消を求めたものである。判示としては、原告の請求を棄却し、当該売渡人が非居住者であることを判断している。

第二一二条 非居住者に対し国内において第百六十一条第一号の二から第十二号まで(国内源泉所得)に掲げる国内源泉所得(その非居住者が第百六十四条第一項第四号(国内に恒久的施設を有しない非居住者)に掲げる者である場合には第百六十一条第一号の三から第十二号までに掲げるものに限るものとし、政令で定めるものを除く。)の支払をする者又は外国法人に対し国内において同条第一号の二から第七号まで若しくは第九号から第十二号までに掲げる国内源泉所得(その外国法人が法人税法第百四十一条第四号(国内に恒久的施設を有しない外国法人)に掲げる者である場合には第百六十一条第一号の三から第七号まで又は第九号から第十二号までに掲げるものに限るものとし、第百八十条第一項(国内に恒久的施設を有する外国法人の受ける国内源泉所得に係る課税の特例)又は第百八十条の二第一項若しくは第二項(信託財産に係る利子等の課税の特例)の規定に該当するもの及び政令で定めるものを除く。)の支払をする者は、その支払の際、これらの国内源泉所得について所得税を徴収し、その徴収の日の属する日の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない

第一六一条 この編において「国内源泉所得」とは、次に掲げるものをいう。
一 国内において行う事業から生じ、又は国内にある資産の運用、保有若しくは譲渡により生ずる所得(次号から第十二号までに該当するものを除く。)その他その源泉が国内にある所得として政令で定めるもの

上記のように、我が国の租税制度において、国内源泉所得に対してその課税権を有していることは、国際租税として原則的な処理であり、如何なるものが国内源泉所得に該当することになるのか(ソースルール)、その判断を行うことは、従前課題であり、特に一般の国内取引を中心とした場合においても、本件のように、非居住者との取引において、源泉徴収義務を負うということにつながりうるという点で、あまり課税実務においては、目にしないかもしれないが、単に国際租税法の問題と捉えるのは妥当ではなく、取引当事者が、本件のように、一見すると日本国籍の保有者や、居住者であると判断されるような状況にはないとしても、実質的には、国外に居住等しており、しかるに租税法規において非居住者に該当し、若しくは、居住者でありながら、国外にもその拠点を有する場合(他国にも居住している)は、まだまだ一般的ではないかもしれないが、近年、この種の取引は増加しており、この源泉徴収義務の適用関係の判断は、実務においても、今後重要な課題となるのではないだろうか。すなわち、取引において発生した所得の国内源泉所得該当性を判断するプロセスと取引当事者の納税義務の関係を判断するプロセスが素材となってくる。

本件は基本的に、対象となった取引における所得が国内源泉所得であるのか否かという点がすなわち161条に定める国内源泉所得該当性が問題となったものではなく、所得税法における納税義務、すなわち、下記、所得税法2条に定める居住者か非居住者のいずれかに該当するのかという点が中心的な争点となったものであり、特に本件において認識されるべきは、契約の一方の当事者の事情によって、本件原告のようにもう一方の当事者の源泉徴収義務の有無、租税負担が異なるという点で、過重な負担への配慮や適切な対応が必要とされるという点で実務においても認識されるべきものではあり、特に近年の国際的な移動が増加している現状においては、把握されるべき、有益な事案であるように捉えられる。

所得税法第二条
三 居住者 国内に住所を有し、又は現在まで引き続いて一年以上居所を有する個人をいう。
四 非永住者 居住者のうち、日本の国籍を有しておらず、かつ、過去十年以内において国内に住所又は居所を有していた期間の合計が五年以下である個人をいう。
五 非居住者 居住者以外の個人をいう。

上記のように、本件の中心的な争点は、取引当事者である売渡人が非居住者に該当するのか否かである。従ってその意義が法令解釈として問題となるのであるが、上記のようにその定義は、居住者以外として定義されており、結局は居住者とは如何なるものであるのかという点が法令解釈として問題となる。より具体的には、国内において、住所若しくは居所を有しているのか否かという点がその具体的な要件となっており、近年のいわゆる武富士事件でも争われたように、その住所の意義、認定がまずは課題となる。

本件において、売渡人は、米国籍を取得し、パスポートも米国のものを利用して日本と米国を行き来しているが、日本の戸籍は残存しており(従って日本国籍を放棄していない、国籍法違反ではあるが・・・)、住民票は当該不動産契約の対象地として登録があり、住民票に基づく介護保険料等も収めていた。また、米国において土地住居を保有している。また、他に保有する不動産から、得た所得を申告していた(当該売渡地において)。このような事実関係において、当該売渡人が非居住者に該当するのか否かが争われ、具体的に住所及び居所地を有していうるのかという点が問題となった事案が本件である。

住所の意義)

2-1 法に規定する住所とは各人の生活の本拠をいい、生活の本拠であるかどうかは客観的事実によって判定する。
(注) 国の内外にわたって居住地が異動する者の住所が国内にあるかどうかの判定に当たっては、令第14条《国内に住所を有する者と推定する場合》及び第15条《国内に住所を有しない者と推定する場合》の規定があることに留意する。

(再入国した場合の居住期間)

2-2 国内に居所を有していた者が国外に赴き再び入国した場合において、国外に赴いていた期間(以下この項において「在外期間」という。)中、国内に、配偶者その他生計を一にする親族を残し、再入国後起居する予定の家屋若しくはホテルの一室等を保有し、又は生活用動産を預託している事実があるなど、明らかにその国外に赴いた目的が一時的なものであると認められるときは、当該在外期間中も引き続き国内に居所を有するものとして、法第2条第1項第3号及び第4号の規定を適用する。
「日本国内の居住者を判定する際の要件となる上記「住所」の意義について明文の規定を置いていないが、「住所」とは、反対の解釈をすべき特段の事由がない以上、生活の本拠、すなわち、その者の生活に最も関係の深い一般的生活全生活の中心を指し、一定の場所がその者の住所に当たるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきである。」

具体的な住所の意義に関しては、上記通達にあるように、また、判示でも基本的に、生活の本拠と解されることは、ほぼ争いがない。この点では本件も同様であり、具体的な判定において客観的な情報による判断を行うことも含め、整合的である。私見としても、民法上の概念を借用する最判の判断であり、そもそも生活の本拠という概念自体において主観的な判断を伴うものであり、その具体的な判断において、その客観的な判断に依拠することは、租税負担の公平性の観点からも合理的であるように考えられる。従って、残る問題は、具体的な事実関係の認定及び当てはめということになるが、本件もその判定においては、種々の要素を総合的に判断しており、結果として国内に住所は存在しないと判断している。住民票の存在などは主要な判断要素とはせず、個々の事実関係を総合的に判断することで、客観的な事情を反映させようと図ったものとと理解される。特に公的な書類(印鑑証明や介護保険料の納付義務者等)が具体的な判断要素として主たる位置づけを有していないように評価される点も参考となるだろう。興味深いところでは、米国におけるペットの存在が米国における住所認定の一要素なっている点は珍しいが、主観的な要素を含有する生活の本拠概念において客観的な事情から実質的な住所地の認定を行っていく以上、このような要素も考慮対象としては妥当となるものといえよう。

加えて本件では、居所地を有しているのか否かという点も争われている。通常は居住者であるのか否か問題となる事案においては、住所地が問題となるケースが多いが、本件は法令に忠実に、居所地の認定を加味している点で優れたものである。おそらくは、当該契約対象の不動産等が過年度より売渡人によって所有されており、上記生活の本拠との認定は困難であるとしても、居所として認定の可能性が有りうるところが考慮されたのであろう。住所がその意義として、生活の本拠という解釈が支配的である以上、何らかの納税者の事情、主観的な要素を含有せざるを得ないが、居所の一定期間の保有は、比較的判断が容易であり、私見としてはこの具体的な判断が居住者概念の意義において重要な要素となるものであり、具体的な居住者の範囲を確定するものとして鍵となるものであると考えている。

「居所」とは、人が多少の期間継続的に居住するが、その生活との関係の度合いが住所ほど密着ではない場所をいうものと解される。そして、同号が「現在まで引き続いて1年以上居所を有する個人」と規定していることに鑑みれば、「居所」とは、特段の事情がない限り、国内において、1年以上継続的に居住している場合における、当該生活の場所をいうものと解される。他方において、当該者が一時的に日本国外に出国したことにより、現実に当該生活の場所で生活していた期間が継続して1年に満たないからといって、そのことのみをもって「居所」該当性を否定するのは相当ではなく、飽くまでも一時的な目的で国外に出国することが明らかであるような場合においては、当該在外期間についても、「現在まで引き続いて1年以上居所を有する」か否かの判定において、日本国内に居所を有するものと同視することができるというべきである(所得税基本通達2-2参照)。

具体的に、本件では、居所として以上のように解している。このように居所に関して、一定の居住、実際の継続的な居住の事実を要するものと解しており、かかる点が検討課題であるように考えられる。すなわち、この解釈に基づけば、事実上居所を有するとは、一年以上の居住の事実関係を指すものと解することになる。生活の本拠という、住所概念と対比・並列に、居所の概念が法規において定められている現状において、単なる居住の事実関係のみであることが納税義務を付与する具体的な判断において趣旨に合致するのかという点が問題となるように考えられる。

また、法令における現在まで、という文言においても契約の当時日として本件では解しているが、あくまでも、納税義務の帰属関係を判断する規定であり、納税義務の発生と関連付けられるべきものであって、この点も解釈上の根拠が明示的ではない用に捉えられるが、この点も検討課題である。

私見としては、OECDモデル租税条約の概念をより検討することも必要であるが、本件居所の概念が住所概念の補完的な意義を有しており、生活の本拠を補足することで、納税義務の帰属を図るべきことが本規定の趣旨であると理解するならば、何らかの所得を広範囲に渡って帰属させるべき事実関係を求めていることが本規定の意義であり、かかる点からは、個人に帰属する所得に対して納税義務を広範囲に渡るべき事実関係として何らかの保有している資産の状況に依拠した判断を求めているのではないだろうか。すなわち、一定の居所として活用されるべき資産の保有を重要視すべきではないだろうか。生活の本拠という所得に対して広範囲に帰属させるべき理由付けを補完するものとして、一定期間居所として認定される資産の保有(有するとあるので、必ずしも所有のみではないものと理解される)をその意義として居所地による居住者判定に活用することも考えられるのではないだろうか。このように考えれば、本件の売渡人が非居住者に該当せず、居住者として認定されることになるだろう。かかる意義のほうが、後述する、契約当事者における非居住者該当性判断において、予見可能性を付与することにも貢献するものといえる。

さらに、本件においても問題となっているように、契約の当事者において、特に一方の契約当事者の状況において、本件のようにな金銭の支払者に対して源泉徴収義務の判断を行うことが現行法の構造となっている。国外送金されるような状況にあって、課税の具体的な確保を図る手段として合理的な制度であるが、本件のように、一見すると、居住者であるような印象を受けるような事案において、源泉徴収義務を課すことを、具体的な事情を一方の当事者が把握している現状において、もう一方の当事者、支払者にその具体的判断を求めることは予見可能性という点で非合理的であるとの指摘もできよう。立法によるべきものであるのかもしれないが、また本件でもかかる判断の責任を支払者に求めており、一定の注意義務があるとの原告である支払者を責任を解している。現行法の解釈においてはかかる判断の責任を支払者に解しているように考えることは法令解釈としては文理と矛盾はないものと理解される。かかる点で立法論であるようにも考えられるが、制度的には源泉徴収義務の存在を支払者と受領者の特別な関係にあることを前提としているが、憲法上の過度の負担に該当するのか否かという観点からの議論を持ち出すまでもなく、予見可能性をより高める必要性があるように考えられる。

また、本件では、当該源泉徴収義務の判断において、注意義務があったのか否かとの判断を行っているが、具体的判断において、その義務の存在を認め、本件の原告の責任を肯定している。しかしながらこの注意義務の存在に対して逆に考えるならば、かかる注意義務を充足していれば、源泉徴収義務の履行を求めえない可能性を示唆しているものと考えられる。この点につき、合法性の原則の観点からは(そもそもこの合法性の原則が如何なるものであるのかという点は、議論があるが)、少なくとも宥恕規定の存在しない現況において、一定の注意義務の履行を前提に源泉徴収義務の減免等を図ることは、租税法規の基本的な要精に反しているものではないだろうか。また、かかる注意義務が如何なる程度であるのかという点は定かではないことも検討課題といえよう。

以上、毎度のごとく論文Stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。

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