2017年5月30日火曜日

判例裁決紹介(東京地判平成27年9月25日、前期損益修正と損金性)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、
東京地判平成27年9月25日で、過年度費用の計上漏れに伴う前期損益修正が法人税法上損金として認容できるか否かが争われたものです。

具体的には、運送業を営む原告がトラック乗務を業務委託として外部業者に委託して毎年支払を行っていたところ、当該支払として毎月の乗務者への給与部分の支払及び、外注先の決算期に合わせて前記支払の40%を支払っていたところ、このような形式の支払のうち、平成21年度の確定申告において、平成13年に支払った費用を税務上計上漏れがあったとして、当該費用を外注費として計上を行ったことに対して、課税庁が当該費用は当該事業年度の損金には該当しないとして否認し、更正処分及び過少申告加算税を賦課決定したところ、計上漏れに伴う前期損益修正の計上は、会計慣行として確立した処理であり、損金として該当すべきであるとして、提訴したものが本件である。なお、原告は、申告において、前期損益修正とは計上せず、外注費として計上し申告している。
判示ではその計上を否認している。

本件は原告が過年度において支払った売上原価を構成する外注費を約8年後に支払った事案であり、意図的な損金の除外ではなく、計上漏れであって、かかる理由からその計上を支払った年度ではなく、申告年度において損金として計上可能であるのか否か問題となっている。本件においては損益の修正として約8年も立ってから計上している点で特異なケースではあるものの(通常は計上漏れ等過失による損益修正は、数年単位で修正が必要になるようなケースは稀であろう)、おそらくは、更正の請求の期限超過によるものとも考えられるが、一般の外注費に混在させて計上しており、本件の主張としては、前期損益修正であるものの、実態は過年度の計上漏れを取り戻すべく、アグレッシブな会計処理をしたことに対する損金否認として捉えることが妥当であるのかもしれない。しかしながら、損益の修正が、計上漏れ等の過失によって事実関係の発生し、決算書上計上することは、会計慣行として成立しているものであり、実務上も発生の余地は想定されるところではある。過失等による損益の修正が発生する場合において、実務上はどのような処理を行っているのかという点は、専門家としての判断でもあり、具体的な処理方法は別れるところであろうが、上記のように、費用項目に混在させているようなアグレッシブな処理もありうるのではないだろうか。租税負担の関係から考えても、実務上は金銭的な大小、修正申告等のコスト等比較衡量の上、処理されることになるのが通常であるだろうが、過失等による損益の修正は当然に想定されることであり(まあ、本来はそのような処理がないことが求められるのがあたりまであるが・・・)、かかるような処理が法人税法上許容されるべきか否かという点が争点となった事案であり、実務的にも有益な事案であるだろう。

本件は、上位争点に対して、法人税法22条4項の公正処理基準の観点からその該当性が争われており、しかるに当該公正処理基準が如何なる意味を有するのか、22条4項が納税者が行った会計処理、会計慣行として一定の評価を受けている処理を否認する根拠規定となりうるのか否かという法令解釈としての問題が中心的な争点であり、すなわちより具体的には、当年度において前記の尊敬を修正する、前期損益修正という会計処理が公正処理基準として適合するのか否かという点が問題となるものであるが、この問題の背景として公正処理基準として如何なる背景を有しており、その制度趣旨はどのように捉えるべきであるのか、という点が検討課題となるだろう。

 内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の損金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、次に掲げる額とする。
一 当該事業年度の収益に係る売上原価、完成工事原価その他これらに準ずる原価の額
二 前号に掲げるもののほか、当該事業年度の販売費、一般管理費その他の費用(償却費以外の費用で当該事業年度終了の日までに債務の確定しないものを除く。)の額
三 当該事業年度の損失の額で資本等取引以外の取引に係るもの
 第二項に規定する当該事業年度の収益の額及び前項各号に掲げる額は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従つて計算されるものとする。

法人税法22条はその3項、4項において、法人税法上の所得計算規定として、損金につき、別段の定めがある場合を除き、上記のように、3分類(売上原価、販売費等、損失)に分類している。従ってまずは、問題となる費用が如何なる分類に属することになるのかという点が問題になる。すなわち、上記文言に従えば、分類によって、損金計上のタイミング、対応関係が異なることになり、そもそもこの対応という概念が文言にないものの、如何なる意義であるのかという点は問題ではあるが(個別的対応、期間対応等)、まずは法として上記のように問題となる費用が如何なる分類に属するものであるのかという点を確定させることが法の定めるプロセスであるだろう。また、一般的に、本件でもその問題の中心となる損金計上のタイミングの決定に関しては、分類に基づき、決定されるが、22条4項の定める公正処理基準をも加味して、基本的に会計原則・会計慣行が採用する収益との対応関係が重要なタイミングの決定基準であり、かかる点から、本件の損金計上の認容が判断されることとなる。但し、上記のように、この対応という概念は必ずしも一義的な概念ではなく、法の枠外で定められた基準であり、またその概念自身も多義的である。かかる点で、処理を具体的に判断する基準は広範囲に及ぶ費用の計上を容認する可能性があり、かかる点からもその具体的な損金計上のタイミングを規定する公正処理基準の意義は重要なものとなる。

本件でも、原告が主張するように、

 「法人税法22条4項は、当該事業年度の収益及び損金の額は、公正処理基準に従って計算されるものとする旨規定している。公正処理基準とは、企業会計原則に定められた会計処理の基準はもちろん企業会計上広く受け入れられている会計慣行を含む会計処理の基準であると解される。民法上の考え方によれば契約の解除や取消しがあった場合には契約当初に遡及してその契約の効力を失うことになるが、企業会計上は後発的理由に基づいて生じた損失については当該会計年度に遡及して決算修正することはせず、その解除や取消し等の事実が生じた決算期に当該損失を「前期損益修正損」として当期損失に計上することが、会計慣行として一般に受け入れられている。」

民法上の契約とは対比して、会計上の前期損益修正の慣行としての妥当性を主張しており、公正処理基準の具体的な意義によっては、その許容される損金の計上のタイミングが異なることになる。

本件判示においても、公正処理基準の意義は

「一 般に公正妥当と認められる会計処理の基準」との規定の文言にも照らすと、現に法人のした収益等の額の計算が、法人税の適正な課税及び納税義務の履行の確保を目的(同法1条参照)とする同法の公平な所得計算という要請に反するものでない限りにおいては、法人税の課税標準である所得の金額の計算上もこれを是認するのが相当であるとの見地から定められたものと解され〔最高裁平成4年(行ツ)第45号同5年11月25日第一小法廷判決・民集47巻9号5278頁参照〕、法人が収益等の額の計算に当たって採った会計処理の基準がそこにいう「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」(公正処理基準)に該当するといえるか否かについては、上記に述べたところを目的とする同法の独自の観点から判断されるものと解するのが相当である。」

として、脱税協力金の損金算入を否認した従来の最判を基礎として、公正処理基準を所得計算における簡素化の基本的な趣旨とするものであり、一定の実務上の慣行を許容すべく租税法規の基本的性格、強行法規性に鑑み、当該処理の法的根拠として設けられたものであり、必ずしも、あらゆる会計の慣行等をそのまま許容するものではなく、公正妥当という文言が採用されているように、法人税法の基本的な目的に則り、照らして、すなわち適正な課税、公平性の確保を反するものでない限り、という会計処理の許容という局面において、一定の制限を設けて租税負担の公平性や簡素化の要請に対する衡平に配慮しているものと解される。従来、本規定は、あくまでも簡素化を求めた趣旨であり、原則として、すなわち、別段の定めがない限り、基本的には納税者が採用する会計処理が許容されるべきものと解する立場から、法人が採用しているものを許容すべきであり、本規定、公正処理基準が会計処理を法人税法上、否認する趣旨ではないというという見解も存在しうるが、上記、脱税協力金のような違法な費用の損金性につき、争った事例のように、近年は公正処理基準のその文言特に公正妥当という点に着目して本件のように納税者の処理を許容するものではなく、法的判断を行う根拠規定として、法人税の基本的な目的に照らして、当該処理の適用を否定する規定として位置付けられている。すなわち事実上、納税者の処理を否認する根拠規定、限定的な作用を持つものととして理解されるべきである。私見としても、そもそも、会計基準・会計慣行がその目的を利益計算、情報提供に主眼を置くのに対して、法人税法は適切な納税義務の算定をその基本的な目的とするものであって、両者はその目的を異にするものであるから、また、会計基準は多様な、経済上の取引に対して必ずしも網羅的に規定していないことからも一定の法的判断を行うことが法人税法上必要であり、本規定はその役割を導入当初から変化させているものと理解すべきであるだろう。この点は、租税法規が強行法規性を有し、財産権の侵害となる可能性を有する以上、たとえ実務的な慣行であっても、法の定める要件の外に、具体的な課税要件・課税標準を算定する規定を置くことは租税法の基本的な要請に反するものであり、かかる点から民間や国際機関が定める会計基準に対して一定の法的判断を行うべきであるという考え方からも合致するものである。特に会計基準が、その起点として実務上の慣行を帰納的に集約したものであり、近年は会計基準とベースとした演繹的なアプローチが図られているものの、複数の会計処理方法から情報提供のため適切な会計処理方法を選択することを求めており、会計処理方法において選択可能性、ひいては決算書類の製作者による恣意の介在する余地が見受けられるものと評価せざるを得ない。また公正処理基準が導入された・制定された昭和40年代とは特に会計基準がその基本的な正確を変化させており、国際的な会計処理基準の導入等、従来の公正処理基準として会計処理を基本的に許容する原則的な対応は変わらないものの、今後は、公正処理基準を判断根拠として、個別具体的な判断を必要とすることになるものと理解すべきである。

従って、ここで問題となるのは、公正処理基準としての該当性を否認される具体的な基準はいかなるものであるのかという点が課題となる。上記及び本件でも法人税の基本的な目的がキーワードとなっている。これが具体的にはいかなるものがその対象となるべきであるのかという点が課題ではあるが、法令解釈としてその具体的基準を明らかとするべきであろう。本件はその範囲を検討する上で参考となるべきものである。上記脱税協力金は、法人税の基本的な目的としてこれを許容すると公平な課税所得の算定が損なわれることは明らかであり、かかる点からいってその計上が公正処理基準に反することは異論のないところであるが、下記のように本件では、法人税の基本的な要請として、納税者の恣意を排することを求めていると解している。租税負担の公平性の観点からは私見としても、複数の会計処理方法が想定される中において客観的に具体的な課税標準を確定させるためには、その具体的な判断基準として、すなわち公正処理基準としての妥当性の判断として恣意を排することを求めることは法人税法の基本的な目的に合致するものと理解すべきであると考えられる。しかしながら、具体的な会計処理方法の妥当性を判断する上でかかる処理方法の採用によって、実際に恣意的に所得計算を行っている場合(脱税協力金の計上が該当する)と、会計処理方法自身に可能性として恣意性が介在する余地があることは概念的に異なる状況であり、前者はその該当性を否定することは法令解釈として妥当性を有するものであると考えられるが、可能性として恣意性を有することはその可能性としても程度の差があり、本規定の基本的な趣旨を考慮するならば、単に恣意性が介在するというのみで具体的に公正処理基準としての妥当性を排除することは公正処理基準の否認規定としての正確として妥当であるのかという点はより検討が必要であるだろう。

いずれにしても、かかるように、公正処理基準の具体的な妥当性を判断する基準は法人税法の基本的な性格にあると理解されるがこの具体的な判断基準としていかなるものが合理性を有しているかという点は今後の課題であり、より一般的に個々の会計基準、会計処理方法の法人税法上の妥当性・適用可能性を判断する上で、重要な判断材料となるだろう。

また本件では個別具体的な会計処理基準として、前期損益修正の計上が認められるか否かという点が問題となっている。すなわち上記に照らして、当該処理が法人税法上の基本的な目的に反するか否かという点から検討が行われ判断がくだされている。実際には、前期損益修正を以下のように捉え、

「企業会計においては、会計方針の変更や誤謬の発見などにより、翌期以後になってから過去の利益計算を修正した方がよいと考えられる場合でも、遡って決算をやり直すのではなく、前期損益修正として、過去の損益を特別損益項目に計上して処理することが慣行として広く行われてきたとしても(乙7、8の1及び2、16、17。企業会計原則第二の六、同注解12参照)、このような企業会計上の慣行は、当初の株主総会での承認や報告を経て確定した財務諸表は、配当制限その他の規制や各種の契約条件の遵守の確認及び課税所得の計算に利用されているから、過去の財務諸表を遡って修正処理することになれば、利害調整の基盤が揺らぐことになるという企業会計固有の問題に基づくものであると考えられる。」としてその採用理由を会計上の便宜に求めている。

そして、
「ある事業年度に損金として算入すべきであったのにそれを失念し、それを後の事業年度に発見したという単なる計上漏れのような場合において、企業会計上行われている前期損益修正の処理を法人税法上も是認し、後の事業年度で計上することを認めると、本来計上すべきであった事業年度で計上することができるほか、計上漏れを発見した事業年度においても計上することが可能となり、同一の費用や損失を複数の事業年度において計上することができることになる。こうした事態は、恣意の介在する余地が生じることとなり、事実に即して合理的に計算されているともいえず、公平な所 得計算を行うべきであるという法人税法上の要請に反するものといわざるを得ないのであって、法人税法がそのような事態を容認しているとは解されない。また、法人税法上、修正申告や更正の制度があり、後に修正すべきことが発覚した場合、過去の事業年度に遡って修正することが予定されているのであって、企業会計上固有の問題に基づき行われているにすぎない前期損益修 正の処理を、それが企業会計上広く行われているという理由だけで採用することはできないというべきである。」

として、かかるような会計処理基準は恣意の介在する余地が発生するという点で、すなわち具体的な恣意的な行為を行っているか否かにかかわらず、納税者の恣意の介在する可能性をもって、その該当性を否定している。如何なる程度の可能性があることが具体的な判断基準であるのかは定かではないが、会計処理方法には具体的な適用要件を定めているものもあり、単に恣意性があることのみで判断することが、公正処理基準の趣旨に合致しているのかという点は上記のように、検討する余地があるだろう。

但し、本件において、上記にもあるように、法人税法が、課税標準の計算の訂正に関して、修正申告や決定処分、更正処分の制度を定めており、特に権利救済の制度として具体的な制度として更正の請求によることを求め、基本的に他の制度を設けず限定していることからも本件のように修正申告や更正請求によらず(実際上は、期限超過ではあるが)、自らの意思でその適用を図り納税負担を図っていることは、法人税法の制度背景から考えて、法の基本的な要請に反しているとも評価できる(このように考えれば、本件の事実関係に関わらず、前期損益修正は、公正処理基準該当性を否定されるべきものと理解される)。修正申告や更正の請求が存在することなども、上記具体的な法人税法の基本的な目的を判断する上で、重要な要素として捉えるべきであるかもしれない。このような、法人税法の制度との関連をもって、会計処理の妥当性を評価していることも特徴的である。

以上です。
毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが、参考までに。

2017年5月25日木曜日

判例裁決紹介(東京地判28年5月19日、不動産売買契約における非居住者に対する源泉徴収義務)


さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、
東京地判平成28年5月19日で、不動産の売買契約の締結に伴い支払った売買代金につき、非居住者に対する支払いとして、源泉徴収義務の存在が問題になったものです。

具体的には、原告と締結した不動産の売買契約において建物及び土地に関する売買代金(数億円規模)を支払ったが、当該契約の当事者である売渡し人が米国籍(日本国籍から)を取得した者であり、パスポートも米国のものを利用していた人物が売渡人であったため、当該売渡人は所得税法上、非居住者に該当し、当該不動産売買に係る所得は、下記、国内源泉所得を定めた所得税法161条規定に則り、212条に定める源泉徴収義務を負うとして、課税庁が原告に対して源泉徴収義務があるとして納税告知処分を行ったことに対して、原告が当該売渡人は居住者に該当する、乃至は当該非居住者であることに対して義務違反が存在しておらず、信義則等からその義務を負うことを否定して、かかる告知処分の取消を求めたものである。判示としては、原告の請求を棄却し、当該売渡人が非居住者であることを判断している。

第二一二条 非居住者に対し国内において第百六十一条第一号の二から第十二号まで(国内源泉所得)に掲げる国内源泉所得(その非居住者が第百六十四条第一項第四号(国内に恒久的施設を有しない非居住者)に掲げる者である場合には第百六十一条第一号の三から第十二号までに掲げるものに限るものとし、政令で定めるものを除く。)の支払をする者又は外国法人に対し国内において同条第一号の二から第七号まで若しくは第九号から第十二号までに掲げる国内源泉所得(その外国法人が法人税法第百四十一条第四号(国内に恒久的施設を有しない外国法人)に掲げる者である場合には第百六十一条第一号の三から第七号まで又は第九号から第十二号までに掲げるものに限るものとし、第百八十条第一項(国内に恒久的施設を有する外国法人の受ける国内源泉所得に係る課税の特例)又は第百八十条の二第一項若しくは第二項(信託財産に係る利子等の課税の特例)の規定に該当するもの及び政令で定めるものを除く。)の支払をする者は、その支払の際、これらの国内源泉所得について所得税を徴収し、その徴収の日の属する日の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない

第一六一条 この編において「国内源泉所得」とは、次に掲げるものをいう。
一 国内において行う事業から生じ、又は国内にある資産の運用、保有若しくは譲渡により生ずる所得(次号から第十二号までに該当するものを除く。)その他その源泉が国内にある所得として政令で定めるもの

上記のように、我が国の租税制度において、国内源泉所得に対してその課税権を有していることは、国際租税として原則的な処理であり、如何なるものが国内源泉所得に該当することになるのか(ソースルール)、その判断を行うことは、従前課題であり、特に一般の国内取引を中心とした場合においても、本件のように、非居住者との取引において、源泉徴収義務を負うということにつながりうるという点で、あまり課税実務においては、目にしないかもしれないが、単に国際租税法の問題と捉えるのは妥当ではなく、取引当事者が、本件のように、一見すると日本国籍の保有者や、居住者であると判断されるような状況にはないとしても、実質的には、国外に居住等しており、しかるに租税法規において非居住者に該当し、若しくは、居住者でありながら、国外にもその拠点を有する場合(他国にも居住している)は、まだまだ一般的ではないかもしれないが、近年、この種の取引は増加しており、この源泉徴収義務の適用関係の判断は、実務においても、今後重要な課題となるのではないだろうか。すなわち、取引において発生した所得の国内源泉所得該当性を判断するプロセスと取引当事者の納税義務の関係を判断するプロセスが素材となってくる。

本件は基本的に、対象となった取引における所得が国内源泉所得であるのか否かという点がすなわち161条に定める国内源泉所得該当性が問題となったものではなく、所得税法における納税義務、すなわち、下記、所得税法2条に定める居住者か非居住者のいずれかに該当するのかという点が中心的な争点となったものであり、特に本件において認識されるべきは、契約の一方の当事者の事情によって、本件原告のようにもう一方の当事者の源泉徴収義務の有無、租税負担が異なるという点で、過重な負担への配慮や適切な対応が必要とされるという点で実務においても認識されるべきものではあり、特に近年の国際的な移動が増加している現状においては、把握されるべき、有益な事案であるように捉えられる。

所得税法第二条
三 居住者 国内に住所を有し、又は現在まで引き続いて一年以上居所を有する個人をいう。
四 非永住者 居住者のうち、日本の国籍を有しておらず、かつ、過去十年以内において国内に住所又は居所を有していた期間の合計が五年以下である個人をいう。
五 非居住者 居住者以外の個人をいう。

上記のように、本件の中心的な争点は、取引当事者である売渡人が非居住者に該当するのか否かである。従ってその意義が法令解釈として問題となるのであるが、上記のようにその定義は、居住者以外として定義されており、結局は居住者とは如何なるものであるのかという点が法令解釈として問題となる。より具体的には、国内において、住所若しくは居所を有しているのか否かという点がその具体的な要件となっており、近年のいわゆる武富士事件でも争われたように、その住所の意義、認定がまずは課題となる。

本件において、売渡人は、米国籍を取得し、パスポートも米国のものを利用して日本と米国を行き来しているが、日本の戸籍は残存しており(従って日本国籍を放棄していない、国籍法違反ではあるが・・・)、住民票は当該不動産契約の対象地として登録があり、住民票に基づく介護保険料等も収めていた。また、米国において土地住居を保有している。また、他に保有する不動産から、得た所得を申告していた(当該売渡地において)。このような事実関係において、当該売渡人が非居住者に該当するのか否かが争われ、具体的に住所及び居所地を有していうるのかという点が問題となった事案が本件である。

住所の意義)

2-1 法に規定する住所とは各人の生活の本拠をいい、生活の本拠であるかどうかは客観的事実によって判定する。
(注) 国の内外にわたって居住地が異動する者の住所が国内にあるかどうかの判定に当たっては、令第14条《国内に住所を有する者と推定する場合》及び第15条《国内に住所を有しない者と推定する場合》の規定があることに留意する。

(再入国した場合の居住期間)

2-2 国内に居所を有していた者が国外に赴き再び入国した場合において、国外に赴いていた期間(以下この項において「在外期間」という。)中、国内に、配偶者その他生計を一にする親族を残し、再入国後起居する予定の家屋若しくはホテルの一室等を保有し、又は生活用動産を預託している事実があるなど、明らかにその国外に赴いた目的が一時的なものであると認められるときは、当該在外期間中も引き続き国内に居所を有するものとして、法第2条第1項第3号及び第4号の規定を適用する。
「日本国内の居住者を判定する際の要件となる上記「住所」の意義について明文の規定を置いていないが、「住所」とは、反対の解釈をすべき特段の事由がない以上、生活の本拠、すなわち、その者の生活に最も関係の深い一般的生活全生活の中心を指し、一定の場所がその者の住所に当たるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきである。」

具体的な住所の意義に関しては、上記通達にあるように、また、判示でも基本的に、生活の本拠と解されることは、ほぼ争いがない。この点では本件も同様であり、具体的な判定において客観的な情報による判断を行うことも含め、整合的である。私見としても、民法上の概念を借用する最判の判断であり、そもそも生活の本拠という概念自体において主観的な判断を伴うものであり、その具体的な判断において、その客観的な判断に依拠することは、租税負担の公平性の観点からも合理的であるように考えられる。従って、残る問題は、具体的な事実関係の認定及び当てはめということになるが、本件もその判定においては、種々の要素を総合的に判断しており、結果として国内に住所は存在しないと判断している。住民票の存在などは主要な判断要素とはせず、個々の事実関係を総合的に判断することで、客観的な事情を反映させようと図ったものとと理解される。特に公的な書類(印鑑証明や介護保険料の納付義務者等)が具体的な判断要素として主たる位置づけを有していないように評価される点も参考となるだろう。興味深いところでは、米国におけるペットの存在が米国における住所認定の一要素なっている点は珍しいが、主観的な要素を含有する生活の本拠概念において客観的な事情から実質的な住所地の認定を行っていく以上、このような要素も考慮対象としては妥当となるものといえよう。

加えて本件では、居所地を有しているのか否かという点も争われている。通常は居住者であるのか否か問題となる事案においては、住所地が問題となるケースが多いが、本件は法令に忠実に、居所地の認定を加味している点で優れたものである。おそらくは、当該契約対象の不動産等が過年度より売渡人によって所有されており、上記生活の本拠との認定は困難であるとしても、居所として認定の可能性が有りうるところが考慮されたのであろう。住所がその意義として、生活の本拠という解釈が支配的である以上、何らかの納税者の事情、主観的な要素を含有せざるを得ないが、居所の一定期間の保有は、比較的判断が容易であり、私見としてはこの具体的な判断が居住者概念の意義において重要な要素となるものであり、具体的な居住者の範囲を確定するものとして鍵となるものであると考えている。

「居所」とは、人が多少の期間継続的に居住するが、その生活との関係の度合いが住所ほど密着ではない場所をいうものと解される。そして、同号が「現在まで引き続いて1年以上居所を有する個人」と規定していることに鑑みれば、「居所」とは、特段の事情がない限り、国内において、1年以上継続的に居住している場合における、当該生活の場所をいうものと解される。他方において、当該者が一時的に日本国外に出国したことにより、現実に当該生活の場所で生活していた期間が継続して1年に満たないからといって、そのことのみをもって「居所」該当性を否定するのは相当ではなく、飽くまでも一時的な目的で国外に出国することが明らかであるような場合においては、当該在外期間についても、「現在まで引き続いて1年以上居所を有する」か否かの判定において、日本国内に居所を有するものと同視することができるというべきである(所得税基本通達2-2参照)。

具体的に、本件では、居所として以上のように解している。このように居所に関して、一定の居住、実際の継続的な居住の事実を要するものと解しており、かかる点が検討課題であるように考えられる。すなわち、この解釈に基づけば、事実上居所を有するとは、一年以上の居住の事実関係を指すものと解することになる。生活の本拠という、住所概念と対比・並列に、居所の概念が法規において定められている現状において、単なる居住の事実関係のみであることが納税義務を付与する具体的な判断において趣旨に合致するのかという点が問題となるように考えられる。

また、法令における現在まで、という文言においても契約の当時日として本件では解しているが、あくまでも、納税義務の帰属関係を判断する規定であり、納税義務の発生と関連付けられるべきものであって、この点も解釈上の根拠が明示的ではない用に捉えられるが、この点も検討課題である。

私見としては、OECDモデル租税条約の概念をより検討することも必要であるが、本件居所の概念が住所概念の補完的な意義を有しており、生活の本拠を補足することで、納税義務の帰属を図るべきことが本規定の趣旨であると理解するならば、何らかの所得を広範囲に渡って帰属させるべき事実関係を求めていることが本規定の意義であり、かかる点からは、個人に帰属する所得に対して納税義務を広範囲に渡るべき事実関係として何らかの保有している資産の状況に依拠した判断を求めているのではないだろうか。すなわち、一定の居所として活用されるべき資産の保有を重要視すべきではないだろうか。生活の本拠という所得に対して広範囲に帰属させるべき理由付けを補完するものとして、一定期間居所として認定される資産の保有(有するとあるので、必ずしも所有のみではないものと理解される)をその意義として居所地による居住者判定に活用することも考えられるのではないだろうか。このように考えれば、本件の売渡人が非居住者に該当せず、居住者として認定されることになるだろう。かかる意義のほうが、後述する、契約当事者における非居住者該当性判断において、予見可能性を付与することにも貢献するものといえる。

さらに、本件においても問題となっているように、契約の当事者において、特に一方の契約当事者の状況において、本件のようにな金銭の支払者に対して源泉徴収義務の判断を行うことが現行法の構造となっている。国外送金されるような状況にあって、課税の具体的な確保を図る手段として合理的な制度であるが、本件のように、一見すると、居住者であるような印象を受けるような事案において、源泉徴収義務を課すことを、具体的な事情を一方の当事者が把握している現状において、もう一方の当事者、支払者にその具体的判断を求めることは予見可能性という点で非合理的であるとの指摘もできよう。立法によるべきものであるのかもしれないが、また本件でもかかる判断の責任を支払者に求めており、一定の注意義務があるとの原告である支払者を責任を解している。現行法の解釈においてはかかる判断の責任を支払者に解しているように考えることは法令解釈としては文理と矛盾はないものと理解される。かかる点で立法論であるようにも考えられるが、制度的には源泉徴収義務の存在を支払者と受領者の特別な関係にあることを前提としているが、憲法上の過度の負担に該当するのか否かという観点からの議論を持ち出すまでもなく、予見可能性をより高める必要性があるように考えられる。

また、本件では、当該源泉徴収義務の判断において、注意義務があったのか否かとの判断を行っているが、具体的判断において、その義務の存在を認め、本件の原告の責任を肯定している。しかしながらこの注意義務の存在に対して逆に考えるならば、かかる注意義務を充足していれば、源泉徴収義務の履行を求めえない可能性を示唆しているものと考えられる。この点につき、合法性の原則の観点からは(そもそもこの合法性の原則が如何なるものであるのかという点は、議論があるが)、少なくとも宥恕規定の存在しない現況において、一定の注意義務の履行を前提に源泉徴収義務の減免等を図ることは、租税法規の基本的な要精に反しているものではないだろうか。また、かかる注意義務が如何なる程度であるのかという点は定かではないことも検討課題といえよう。

以上、毎度のごとく論文Stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。

2017年5月16日火曜日

判例裁決紹介(宇都宮地判平成28年12月21日、固定資産税評価における需給事情の反映)


さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、宇都宮地判平成28年12月21日で家屋(旅館)に対する固定資産税評価の不服を訴因とした事案であり、観光客需要や設備面の問題、地盤の問題等を固定資産税の価格評価において反映させるべきか否かが争われたものです。

具体的には、那須塩原で旅館として業務を営む原告が所有する家屋に対して水道等の設備の不備や観光需要の減少に伴い、処分行政庁がなした課税台帳価格を不服として固定資産評価審査委員会への不服申立て等を経て当該家屋評価に基づく課税処分の取消も求めたものである。納税者の主張としては、当該理由から約35%の減価評価を求めたものであるが、判示としては、一部主張を認め、15%の評価減価を適用している。

本件は、原告が所有する旅館として使用している家屋の固定資産税評価額が問題となったものであり、具体的には、下記のように固定資産税の評価基準における需給状況の反映を台帳価格に行うべきであるのか否かが争われたものである。従来、処分行政庁が主張するように、実務的には需給状況の反映は極めて限定的に運用されており、その例外として本件における需給状況の反映が行われた事案として、地裁判断とはいえ、一部適用、反映を認めている点で、本件は実務的にも法令解釈としても多様な問題を提起するものとして参考になるものと捉えられる。類型としては、価格の不服を申し出るものであって、近年訴訟が急増している固定資産税に関わる具体的な対象資産の評価減を図った訴訟であり、固定資産税の重要な課税要件である価格の巡っての争いであり、かつ納税者の主張を認めた案件として、実務的にも参考にすべきものが多数含まれているものといえる(固定資産税は賦課されるもので興味が無いかもしれないが)。

そもそも、考慮される要素がいかなるものであり、また、当該要素に基づく、減価がどの程度であって、その妥当性が認められるか否かという点は如何なる基準に基づき判断されるべきであるのかという点で、議論のあるところであり、法令解釈として固定資産税評価基準の解釈は、他の国税等にも影響を及ぼすものであって、重要な検討課題となるだろう。私見としては固定資産税が求める恣意性の排除や客観性の確保が重要な点であると考えているが、本件は、最終的に納税者の主張の一部適用を認め、15%の評価減価を行っているが、この具体的な算定が総合的判断によっており、必ずしも法的な、論理的な根拠が明示的ではない点など、他にも検討すべき項目も含んだ事例であるが、需給状況の反映を図った事例として有益な先行事例となるのではないだろうか。


第三百四十九条  基準年度に係る賦課期日に所在する土地又は家屋(以下「基準年度の土地又は家屋」という。)
に対して課する基準年度の固定資産税の課税標準は、当該土地又は家屋の基準年度に係る賦課期日における価格(以下「基準年度の価格」という。)で土地課税台帳若しくは土地補充課税台帳(以下「土地課税台帳等」という。)又は家屋課税台帳若しくは家屋補充課税台帳(以下「家屋課税台帳等」という。)に登録されたものとする。


第三百八十八条  総務大臣は、固定資産の評価の基準並びに評価の実施の方法及び手続(以下「固定資産評価基準」という。)を定め、これを告示しなければならない。この場合において、固定資産評価基準には、その細目に関する事項について道府県知事が定めなければならない旨を定めることができる。

本件では特に判断が行われていないが、固定資産税の課税客体は台帳価格であり、固定資産税の重要な課税要件である対象資産の価格の算定は上記のように、台帳に登録された価格であってこの登録価格は、時価によるものであると地方税法は定めている。本件における中心的な争点はこの登録価格が如何なる金額であるのかという点を争ったものであり、まずはその背景として固定資産税の評価方法につき、理解しておくべきである。
すなわち上記のように地方税法は、法によって固定資産税の台帳に登録する土地または家屋の価格として定めているが、この価格がいかなるものであるのかという点が解釈によってまずは明らかにされるべきであろう。この点が本件の前提となるべきであると考えられる。

当該価格は、資産の価格であり、客観的な交換価値であることは、法令解釈としてほぼ確立しているものと考えてよいだろう。他の租税法規においても時価は多数採用されているが、基本的に同一意義に解されており、客観性が確保された当該資産を交換する際に用いられるものを基準としていると考えることが租税法の基本的な要請に合致するものとして評価される。時価として捉えられる資産の価額は、基本的に活発な取引市場が成立している場合を除けば、その金額に関しては幅が存在することが容易に想定され、評価者や立場によってその評価金額は異なることになる。この点が、租税法において恣意の介入を招き、もって納税者間の公平性に問題を生じることから、単なる財の価値のみではなく客観性が確保されることが重要な要素となっているものと考えるべきである。また、固定資産税に関しては、上記のように地方税法388条において、総務省から公表される固定資産評価基準によることが法定されている。法によって委任され(この点で、もう一つの財産評価の事実上の基準となっている財産評価基本通達とは性格が異なる)、全国統一的にその評価基準を採用することで、処分行政庁による裁量の幅を縮小し、統一的な評価を行うことで、財の評価という時価の算定によって、納税者間において差異が発生しないことを企図している。この点が固定資産評価における重要な点であり、単に不動産鑑定評価等による価格・時価の評価の変動を個別的に反映させることが消極的になる要因でもある。法の要請として、固定資産評価を評価基準によることが法目的と手段として合理性を有していることが確定していものと解するべきであり、従って、基本的に単なる評価金額の減少のもって不服王したてを行っても、その減価を固定資産評価に反映させることは非常に困難であって、評価基準自身の合理性が失われているような明白な状況が想定されない限り、原則的には評価基準の合理性が推定されることになる。本件のように、個別の需給状況の反映は、基準にその根拠を有するものであり、その具体的な適用の局面が争われた事案であるが、個別の状況を反映させるものであって、評価基準における減価の具体的な手法としてその適用要件の解釈が重要となるものといえる。

具体的な家屋の評価は、以下の評価基準にあるように、
「家屋の評価は,木造家屋及び木造家屋以外の家屋(以下「非木造家屋」という。)の区分に従い,各個の家屋について評点数を付設し,当該評点数に評点一点あたりの価格を乗じて当該家屋の価格を求める方法による(評価基準第2章第1節一)。各個の家屋の評点数は,当該家屋の再建築費評点数を基礎とし,これに家屋の損耗の状況による減点を行って付設するものとする。この場合において,家屋の状況に応じ必要があるものについては,さらに家屋の需給事情による減点を行うものとする。」

再建築費の評価点数を基礎として構成される。この点において財産評価基本通達との相違が発生するが、基本的に固定資産税は固定資産の保有をその課税物件として捉えており、その具体的な課税標準として価格を採用しているのであって、交換価値として現状の再調達図る際の価格の算定を基本目的としているものと解される。この点は再建築費の算定が詳細であり、この点で材料等の状況の反映等多様な作業が発生することになるが、近年の建築費の上昇等、家屋の経年劣化を相殺する状況にあり、検討課題となっている。この評価点数に対して減点評価として家屋の個別的な状況を反映させることになる。具体的には、家屋の損耗が対象となるが、必要がある場合において、家屋の需給事情の反映による減点評価を行うこととされている。この必要性がいかなる意義を有するのかという点も含め、反映すべき需給事情の対象範囲が具体的にいかなるものと解されるのかという点が問題となる。

まず、この基準に定める需給事情の反映に関しては、その補正率の算出として評価基準において以下のように定められている。


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しかしながら、上記のみではいかなるものが需給事情として該当するのかという点は、定かではなく、旧式であることや所在地域の状況という文言からは具体的な補正の対象となるべき需給事情が明示的ではない。一般論として固定資産税がその資産の保有を課税対象として具体的な時価を課税標準とする以上、当該家屋等に対する需給状況が家屋の交換価値を減価する方向で補正すべき材料として判断されることは合理的なものであると考えられ、疑問はない。しかしながら、需給事情はその意義内容として、少なくとも家屋等の交換価値を減少するものとして考えられるものは多様であり、多義的な意義を有しているものと捉えられる。本件においても納税者の主張において、取り扱われている事情は、主たる利用意図である観光需要のの減少、水道等の設備事情、土砂災害等の危険指定区域等であって、多様である。このような多様な事情の中でいかなるものが固定資産評価において減価対象として反映されるべきものとして判断されるべきであるのか、判定する基準が法令解釈として、重要なテーマであろう。私見としては、この点につき、やはり時価の解釈によるべきであり、上記のような固定資産評価における法の要請として時価は客観的な交換価値であり、具体的には、客観性の確保による恣意性の排除がその具体的な補正の対象としての判断基準として理解されるべきではないかと考えられる。また、固定資産評価基準によって統一的な評価方法を定めていることの合理性もまた考慮されるべきであって、考慮されるべき事情は基準の例示に従い、裁量の余地は限定的に解するべきであろう。この点で立法論となるが、より明示的形式で評価に反映させるべき事情を列挙することが妥当であるように考えられる。

なお、処分行政庁は、この需給事情として既に廃止された固定資産評価基準における総務省の見解として以下のものを主張し、これが現行の評価においても適合的であるとして主張している。10年以上までに廃止されたものが現行の解釈として適合的であるのか否かはその根拠が定かではなく、論理的ではないが、実務上、下記が基準として今なお、機能しているのかもしれない。
(1)草葺屋根の木造家屋又は旧式のレンガ造の非木造家屋,その他間取,通風,彩光,設備の施工等の状況等からみて最近の建築様式又は生活様式に適応しない家屋で,その価額が減少するものと認められるもの
(2)不良住宅地域,低湿地域,環境不良地域その他当該地域の事情により当該地域に所在する家屋の価額が減少すると認められる地域に所在する家屋
(3)交通の便否,人口密度,宅地価格の状況等を総合的に考慮した場合において,当該地域に所在する家屋の価額が減少すると認められる地域に所在する家屋」

上記解釈による適用範囲の限定は、通達が廃止されていることもあり、妥当であるのかという点で議論の余地がある。以上のように、私見としては、固定資産評価基準による統一的な評価は、地方税法の目的、固定資産税の基本的な要請に合致するものとして合理的であり、租税法の基本的な要請としても妥当であるように理解される。従って、需給事情という多義的な用語において、その減価補正への反映に関しては一定の基準により限定的であるべきであり、裁量の余地は縮小的に解釈されるべきであると考えられるが、その具体的な制約として合理的な基準が、時価の基本的な解釈であり、客観性の確保による恣意性の排除に求められるべきものと考えられる。

「評価基準は,家屋の固定資産税の課税標準の算定方法において再建築価格法を採用し,そのうえで,家屋の状況に応じ必要があるものについては,さらに家屋の需給事情による減点を行うものとすることを定めている(評価基準第2章第1節二)。
 このように需給事情による減点補正を認めているのは,再建築価格方式には,評価の方式化も比較的容易であり個別的な事情による偏差が少ないという合理性があるものの,需要と供給の間に乖離があり,そのために再建築価格方式による家屋の評価が当該家屋の適正な時価とはいいがたい場合もあることから,そのような場合に,需給事情による減点補正をすべきことを定めたものと解される。
 したがって,このような趣旨からすると,需要と供給の間に乖離がある場合には,需給事情による減点補正をしなければならないのであるから,需給事情による減点補正率を適用するのは極めて限定的な場合に限られるとまではいえない。」

判示においても、上記のように、減額補正の趣旨を適正な時価を把握する目的なものとして理解しており、処分行政庁が主張するように、極めて例示にあるような場合に限定されることは、否定的である。しかしながら減価補正を行うべき需要と供給の間に乖離がある場合が、いかなる場合であり、その場合に適用すべき義務規定と解されるのか不明であり、裁量の余地が生じることからは、減価補正の適用には上記のように裁量の余地は限定的に捉えるべきであろう。なお、極めて限定的と表現することは逆に適正な時価の把握に困難を生じる場合が想定され、衡平を欠くものと考えられる。

加えて判示では、
「 したがって,需給事情による減点補正率においては,所有者の意図した利用目的やその時々における利用方法の巧拙といった主観的事情を離れ,客観性ないし一般性を有する事情である場合,すなわち,家屋が特定の土地に定着するものであることに起因する家屋の所在地域の状況による価格変動要因ないしは家屋の個別性が強く代替性に乏しいことに起因する家屋の利用価値による価格変動要因が肯定される場合には,個別的な要因についても需給事情による減点補正率を適用すべきであると解するのが相当である。」

とのべ、需給事情の反映においては、主観的な所有者の意図等を排除して、客観的な事情であることを求め、例示にある以上の個別的な要因も減額補正の対象となる需給事情として解する旨述べており、すなわち一定の制約をつけつつも、需給事情の用語の意義の解釈として、文理に基づく解釈を行っている。私見としては上記のように、固定資産評価を統一的に行うことをその趣旨として、一定の合理性を肯定していることからも、必ずしも個別の事情として幅広く捉えうるのかという点は統一的な評価による利益を失わせる要因となりうるという点で、否定的に捉えるべきともいえるが、かかる統一的な評価による利益と適正な時価の評価の観点を秤にかけ、客観性を求めていることは重要な要素であることは認識されるべきであろう。この客観性を求める点において合理的であるといえる。本質的には、より具体的な減価補正の対象となる需給事情の例示等を行うことが上記のように合理的であるといえようが、この点は立法に属する点である。


また、本件では、以下のように、不動産鑑定評価における評価の適用に関しても判断を下している。鑑定評価における需給状況の判断が適用可能であるのか否かに対して、法的判断を下している。

不動産鑑定評価基準及び評価基準は,いずれも家屋等の価値を求めるための基準であるが,その性格は異なる。そのため,被告主張のとおり,不動産鑑定評価において減価要因とされているものが,評価基準において,必ずしも減価要因となるとはいえない。
 もっとも,評価基準における評価にあたって,不動産鑑定基準による評価を参考にすることは許されると解するのが相当である。」

不動産の評価が訴因となる事案において、問題となることが多い、この不動産鑑定評価の活用であるが、上記と同様に私見としても、目的の相違から必ずしも反映されるべきものではないものと捉えるべきであり、従って参考情報として認識すべきものといえるが、すなわち全面的な活用は排除されるべきものとして限定的に捉えるべきと考えられる。しかしながら、不動産鑑定評価の租税法規における位置付けは上記であろうが、固定資産の評価の局面において、この場合における、参考となるか否か、あるいは参考とすることが妥当となりうるのがいかなる場合であるのかという点が、例外として租税法における課題と言えよう。この点に関しても、私見としても客観的な交換価値である時価の意義に従って、客観性の確保されることが活用における基準となるべきものと捉えている。専門家であり、第三者による不動産鑑定評価は、一定の客観性を有していることは、否定しようがないが、受給事情としてはその反映は必ずしも明示的な基準ではなく、このような経済状況の鑑定においては、一定の評価に対して見積もりが介在せざるを得ない。この点につき、固定資産評価基準に対して地方税法が、あるいは租税法規が求める要請とは整合的ではないと評価され、複数の鑑定に基づく、客観性や恣意性の排除など、法が要請する客観性の確保、恣意性の排除を充足していることを立証するプロセスが要求されると考えるべきであろう。そもそも、その評価において目的の相違を反映、認識することは、重要であることは留意されるべきである。
以上です。毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。

2017年5月13日土曜日

判例裁決紹介(平成28年6月10日裁決、電話照会に関する更正の予知)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、
平成28年6月10日裁決で、課税庁による電話連絡を受けたことを契機に申告を見直した上で修正申告書を提出したことに対して、更正の予知による過少申告加算税の対象となりうるのかという点が争われた事例です。

具体的には、請求人が本則課税による消費税の確定申告書を平成27年に提出したところ、課税庁より、10年以上前に簡易課税選択届を提出しており、本則課税の適用はできないのではないかという、電話連絡を受けたことから、顧問税理士と相談し申告を見直し、簡易課税制度における申告であるべきと判断して、修正申告を行ったところ、課税庁が過少申告加算税の賦課決定処分を行ったため、当該電話連絡は行政指導であって国税通則法65条5項に定める調査による更正の予知があった場合に対する過少申告加算税の適用除外に該当するとして提起したものである。

本件は、請求人がなした当初申告に対して課税庁による電話連絡があり、適正な申告ではないと判断して更正のあることを想定し、修正申告書の提出が行われたところ、国税通則法65条5項に「調査があつたことにより当該国税について更正があるべきことを予知してされたものでないとき」という要件に該当しないとして過少申告加算税を賦課決定を行ったものであり、基本的な争点は、当該電話連絡が調査に該当するか否か争われた事案である。従来この更正の予知があったことに対する過少申告加算税をの賦課決定の適用除外に該当するか否かは、その適用を巡って争いがあり、この解釈が問題になっている。本件は、当該電話連絡が予知の起点となる調査であったか否かが問題になった事例であり基本的には事実認定が問題になったものであるが、かかる点で具体的に予知があった否かが問題になったものとは、些か趣を異にするが、実務でも調査や調査通知等によって、申告を見直すことは想定されるところであり、(この点は実務家にも聞いてみたいところであるが、実際調査の連絡等で課税上微妙な事例を如何に調整しているのか興味深い、そもそも課税庁からの電話連絡、確認、照会等は充分に想定されるところであるが、この点も実務的にはどのように対応しているのであろうか)、実務上も参考になるものと考えられる。学説においてもその調査による予知がいかなるものであるのかという点は、見解が分かれるところであり、近年の調査手続の改正に伴い、事前通知の法定化等の影響を受けて如何なる点で更正の予知を判断していくのか、という点で、法令解釈の観点からも本件の背景にある状況を検討すべきものといえよう。一般に納税者が想定する調査とは、臨場での調査、すなわち実地の調査を考慮するものと考えられるが、おそらくは、このような認識に基づく調査の認識をもって、過少申告加算税の適用除外に該当するか否かを検討するものと容易に想定されるところであるが、この電話連絡等の調査の存在につき、実務的にも見解が別れるところではあるのではないだろうか。かかる点で本件は従来の過少申告加算税の適用除外に対して適用が争われた事案と同様の問題類型に該当するものであり、必ずしも法令解釈として新規性があるものとはいえないかもしれないが、実務的にはこの事実関係の認定とともに参考となる事案といえるのではないだろうか。

過少申告加算税)
第六五条 期限内申告書(還付請求申告書を含む。第三項において同じ。)が提出された場合(期限後申告書が提出された場合において、次条第一項ただし書又は第六項の規定の適用があるときを含む。)において、修正申告書の提出又は更正があつたときは、当該納税者に対し、その修正申告又は更正に基づき第三十五条第二項(期限後申告等による納付)の規定により納付すべき税額に百分の十の割合を乗じて計算した金額に相当する過少申告加算税を課する。

まずは、本件で問題となった適用除外要件の解釈を行うにあたり、過少申告加算税の趣旨及び当該適用除外規定が如何なるものであるのかという点は明らかにしておく必要があろう。判断では以下のように判断を行っている。

過少申告加算税の制度は、過少申告により納税義務に違反した者に加算税を課することによって、当初から適正に申告し納税した納税者との間の客観的不公平の実質的な是正を図るとともに、過少申告による納税義務違反の発生を防止し、適正な申告納税の実現を図り、もって納税の実を挙げようとする行政上の措置である。一方、通則法第65条第5項は、過少申告がされた場合であっても、その後修正申告書の提出があり、その提出が「その申告に係る国税についての調査があったことにより当該国税について更正があるべきことを予知してされたものでないとき」は、過少申告加算税を賦課しない旨規定しているところ、これは課税庁において課税標準を調査する等の事務負担等を軽減することができることも勘案して、自発的に修正申告を決意し修正申告書を提出した者に対しては例外的に加算税を賦課しないこととし、もって納税者の自発的な修正申告を奨励することを目的とするものと解される。

このように過少申告加算税は、その趣旨として、適正な納税者間の公平性及び納税義務違反の防止をその基本的な趣旨としているとしている。この点は、従来の学説や最高裁判例でも一致しており、行政制裁として、あくまでも罰を付与することをその主たる目的としているものではなく、違反を抑止し、適正な納税義務の履行を求めることを基礎としているものと理解される。この点は私見としても賛同されるべきものと捉えられる。また、かかる過少申告加算税の基本的性格から、本件の主たる対象となる適用除外要件に関しても、調査による非自発的な修正申告等は、その対象から除外することで、執行の便宜と、申告納税制度の徹底の衡平を配慮した制度が構築されているものと考えられる。しかるにこの調査による更正すべきものがいかなる状況にあるべきであるのかという点は、納税者間の公平性を一定程度抑えつつ、適正な申告の実現を図るという目的の上で、重要な除外要件であると捉えるべきであり、その具体的な範囲を明示的にする必要があるものと考えられる。

 第一項の規定は、修正申告書の提出があつた場合において、その提出が、その申告に係る国税についての調査があつたことにより当該国税について更正があるべきことを予知してされたものでないときは、適用しない。

具体的に、上記にて国税通則法は65条において過少申告加算税の賦課要件を法定している。本件の中心的な争点は、上記のように5項に定める調査による更正の予知がいかなる場合であるのかという点が問題になったものである。この適用除外のケースが如何なる要件であるのかという点が課題であり、従来も議論となってきた。特に裁決例にこの種の事案が多く、また実務的にも電話確認や照会等は想定されるところであり、特に従前と異なり事前通知が制度化された現況においては、この種の電話照会等は多数行われることが想定され、この予知が如何なる場合に、発生しているのかという点は法令解釈としても重要な課題であるように捉えられる。また本件では直接に争われていないが、基本的な論点として、如何なる程度で更正があるべきことを予知したことになるのか、基本的に内心に関わる点であり、客観的に認識がどの程度必要と解されるのかという点は、議論の余地があるだろう。

本件の請求人及び担当税理士は、電話確認、
照会があったことによりこれを契機として、申告内容を点検確認を行い、申告の是非を検討したことは特段争っておらず、まずはこの電話照会の段階で調査が行われていたか否かという、上記適用除外規定のまずは、調査が行われたか否かという点がまずは問題となる。すなわちこの制度に定める調査とはいかなるものであるのかという点が課題となる。

そもそも調査とは拙稿においても指摘したように、従来、その具体的な対象範囲、行為は非常に広範囲に及ぶものであり、本件でも下記のように、基本的に通達で示している判断を踏襲している(通達である以上、当然でもあるが)。この調査の概念は、判決等でも確認されており、従来は、この意義が、課税庁としても、学説としても支配的であるように考えられる。しかしながら、近年の調査手続の改正を踏まえた上で、その意義が変更になっているとの見解も取りうるが、その調査の目的として、基本的に適正な納税義務の把握を求めたものであり、この点で継続的であるため、私見として、この調査概念の広範囲に及ぶ性質は、変化がないものと考えるべきであろう。

通則法第65条第5項に規定する「調査」とは、課税庁が行う課税標準等又は税額等を認定するに至る一連の判断過程の一切を意味、課税庁の証拠資料の収集、証拠の評価あるいは経験則を通じての課税要件事実の認定、租税法その他の法令の解釈適用を含む税務調査全般を指すものと解され、租税官庁内部における調査をも含むものと解される。

上記のように、調査の概念は、国税通則法において、基本的に、非常に広範囲の作業、認定判断プロセスを含むものであり、一般に認識される、特に納税者が(租税の専門家であってもほぼ同様であろう)、質問検査権の行使すなわち、臨場での実地の調査を調査として認識されるようなものとは異なるものである。本件でも請求人の主張にあるように、当該電話照会が、単なる行政指導であり、調査であることが明示されなかったことをもって調査の該当性を否定している。最終的には、既に、この電話確認の段階では、過去資料の確認等が行われており、調査は行われているとして過少申告加算税の適用除外は認められないとしている。

確かに、国税通則法において、定める調査の概念は一般に上記のように非常に広範囲の判断プロセスであることは私見としても合理的であると考えるが、これは必ずしも、本件における、国税通則法65条の調査概念を指すものであるという結論は、妥当ではない可能性もある。事前通知が法定化され、納税者における自己の納税義務につき、適正な手続きに基づく、自己の権利保全の実現を図るという、趣旨から考えれば、本件において、他の調査概念を一律に適用することは妥当か否かという見解もありえよう。調査の一連のプロセスが広範囲に及ぶものである以上、基本的に納税者においてその進行は、把握不能であり、かかる点から調査概念を上記のように広範囲に捉えることでは、適用除外要件の法規定の実効性が確保できないものとの可能性は充分に考えられるのではないだろうか。しかしながら、租税法の基本的な要請からも、特段の規定がない限り同一の文言の解釈について別意に解することは予測可能性や法的安定性を損なうものであり、基本的に同一なものと理解するべきであろう。かかる点から考えれば立法による解決は検討課題となるかもしれない。

1 調査と行政指導の区分の明示
 納税義務者等に対し調査又は行政指導に当たる行為を行う際は、対面、電話、書面等の態様を問わず、いずれの事務として行うかを明示した上で、それぞれの行為を法令等に基づき適正に行う。
(注)
  • 1 調査とは、国税(法第74条の2から法第74条の6までに掲げる税目に限る。)に関する法律の規定に基づき、特定の納税義務者の課税標準等又は税額等を認定する目的その他国税に関する法律に基づく処分を行う目的で当該職員が行う一連の行為(証拠資料の収集、要件事実の認定、法令の解釈適用など)をいうことに留意する(「手続通達」(平成24年9月12日付課総5-9ほか9課共同「国税通則法第7章の2(国税の調査)関係通達」(法令解釈通達)をいう。以下同じ。)1-1)。
  • 2 当該職員が行う行為であって、特定の納税義務者の課税標準等又は税額等を認定する目的で行う行為に至らないものは、調査には該当しないことに留意する(手続通達1-2)。
また上記のように、本件請求人の主張にもあるが、行政指導と調査の区分の観点からも問題といえよう。納税者は調査である旨の明示がなかったとして、上記、国税通則法に係る事務運営指針に反するものとして、調査の無効も主張しているが、本件の不備により処分の無効が可能であるのかという点は、申告納税制度を前提とする限りにおいて、困難であると考えられるが、事務運営指針の位置付けも含め、また、その具体的な定義も、ここで明らかにされている国税の職員の側に如何なる目的での行為であるのかという点が集約されている段階であり、行政指導と調査の区分は実質的には非常に困難である。少なくとも法定の根拠として如何なる点で係る調査が行政指導に該当し、調査から除外されるという判断になるのかという点で疑問を覚える。

以上です。毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。

2017年5月6日土曜日

判例裁決紹介(平成27年11月12日裁決、事業所得の帰属)

さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。
今回は平成27年11月12日裁決で、風俗店のコンパニオンとして業務に従事する請求人に対する所得の帰属が争われた事例です。

裁決としても珍しい事例であるが、具体的には、風俗店のコンパニオンとして業務を行った請求人が、確定申告を行っていなかった事例において、課税庁の調査により、当該店舗との誓約書等の契約関係書類から、業務による所得の発生を認定し、当該所得が請求人に帰属するとして所得税および消費税の決定処分を行ったところ、業務による所得としての金員は、請求人が役務を受けていた占い師によって多額の債務を抱えていた(と占い師から請求人が認識させられていた)として、当該弁済にその所得の大部分を充当しており、請求人は、当該所得の帰属は請求人ではなく、当該占い師にあると主張して、所得税法12条による実質所得者課税の原則の適用により、請求人に当該所得の帰属が否定されるとして提起したものである。最終的な判断としては、店舗と請求人による契約関係書類の関係より、法的な権利関係の帰属者を請求人であると判断して、課税庁の処理を是認した事例である。

本件は、裁決としても非常に珍しい、特殊な業務に基づく所得の帰属が争われたものであり、かかる点で、実務的にも参考とすべき点は、少ないものと考えられる(請求人が主張する占い師による詐欺的行為自体が所得帰属を否定する理由としても非常に珍しく、このような事例が報告される事自体が希少であろう、当然、感情的に請求人が酷であると判断されることは当然であろうが)。しかしながら所得税法12条に定める実質所得者課税の原則の適用事例は、限定的であり、本件は、その否定事例として、如何なる点でその適用が否定されたのかという、適用要件の解釈論を基礎とした点で、従前の事例と同様に、当該制度の具体的な適用関係を判断する上で、参考となるべきものと考えられる。

すなわち、当該所得が下記、所得税法12条に定める実質所得者課税の原則がいかなる要件をもって適用されうるのかという点が争点であるが、より具体的には、問題となった所得の帰属がいかなる者に帰属しているのか、という事実認定が問題の起点となったものと考えられよう。実務的に、特に家族間、親族間等において所得の帰属関係がいかなるものであるのかという点は、問題となりうるところであり、課税要件として中心を構成するものの認定を巡る争いは想定されうるとして、かかる点で本件は参考となりうるものと捉えられる。

第一二条 資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であつて、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、これを享受する者に帰属するものとして、この法律の規定を適用する。
(事業から生ずる収益を享受する者の判定)
12-2 事業から生ずる収益を享受する者がだれであるかは、その事業を経営していると認められる者(以下12-5までにおいて「事業主」という。)がだれであるかにより判定するものとする。
より一般的に実質所得者課税の原則は、上記のような規定となっており、その性格が従来議論されてきた。その中心的な法令解釈上の論点は、名義人以外の享受する者がいかなるものと解されるか否かである。通説としては、法律的帰属説が原則的な位置づけにあり、例外的に経済的な帰属者が適用されうるものとして理解されている。私見としても租税法が法律関係をベースとしてその課税要件を構成するものであり、法律上の名義人への課税と納税者間の公平性を根拠との衡平から本規定が創設されたものであり、かかる点を背景に、法律上の帰属関係を課税の基礎としつつもも、実質に従って判断する者が具体的な帰属者として認定されることを法定したものであり、課税庁にかかる権限を法規をもって与えるものであり、課税実務からの要請にもとづくものであろうと考えられる。かかる点で法律関係をベース、帰属等を、法的に権利を収受する者と考える点は、法規の適用として当然のことでもあるが、租税法律主義という、基本的な租税法の基本的な要請に配慮した規定であろう(この点で創設規定か確認規定かという点で性格に対して争いがありうるところである。)

本件でも、請求人と店舗との間で、雇用契約、若しくは業務提供の契約を結んでいることは、争いがないところであり、所得税法上の事業所得の帰属が請求人あるいは、請求人が主張する金員を取得した占い師(租税法のペーパーでこの単語を使うとは考えたこともなかったが)であるのかという点が問題とされている。請求人は借金があると誤認を起こさせられることで、取得した金員を、全て占い師に渡していたということで実質的な収益を享受していないという点で、法律的な帰属ではなく経済的な帰属者がその帰属者であるという主張をしたものとして理解されよう。

最終的には、12条の解釈論として、法律的帰属説を原則的な解釈であるとした上で本件は誓約書等の存在を根拠として、請求人が法律的な帰属者であり、また単なる名義人ではないという判断から、請求人に当該事業所得の帰属があるものと結論づけている。

私見としては、上記規定は、いかなる場合に、法的な帰属関係があるものであるのか、権利義務の発生を認識されるのかという点が明示的ではなく、その判断に課税庁の裁量の余地が発生しうる可能性は否定できないものと捉えられる。実質的な所得者、すなわち収益の享受する者という概念がいかなるものであるのかという点が単に法律的な帰属関係に基づくべきであるというのみではなく、より具体的にいかなる状況にある、権利義務の発生によって判断されうるのかという点が租税法の課題として議論されるべきものといえよう。法規においても享受・帰属という文言が使用されているが、金員の管理支配をベースに判断するのか、法的な権利関係をベースに判断するのかという点は、より享受とはいかなる意義を持ち、帰属とはいかなる状態にあることを指しているのかという点が現状においては明示的ではないという点が、議論の対象となるのではないだろうか。

通達においては、事業の所得に関しては、経営をしているものという解釈通達が示されているが、この点でも経営とは複合的な、多義的であり、何をもって具体的に経営をになっていると判断されるのかという点はより具体的な判断基準が必要である。租税法の基本的な要請から考えれば、上記のように、基本的には法律関係を基礎とすべきであり、経済的な所得者までもこの規定の対象であると解することは拡張的な解釈であり、基本的には避けるべきであろう。かかる点は、上記のように本規定が納税者間の租税負担の公平性と安定性や予測可能性への配慮との衡平から構築されたものであるものの租税法規の基本的な要請として、かかる適用要件はより明示的であるべきであり、その解釈を明らかにすることは重要な点であろう。帰属がいかなる状況にあることを指す概念であるのかという点が明らかではない状況においては、例えば、法的な権利関係にあることを意味するのか、管理支配をしていることを指すものであるのかという点でも、無制限な所得の帰属者を認定することになり、帰属がいかなる状態にあることを意味する概念であるのか、収益の享受とはいかなるものであるのかという点が、法的な権利関係というのみではなく、より具体的に検討すべきではないだろうか。特に享受、帰属という文言の利用は、明確な用語ではなく、経済的な利得の支配関係をも含んだ概念であるようにも解することは可能である。本質的には立法によるべき課題であると捉えるべきでもあろうが、執行面、課税負担の公平性にも配慮しつつもより明示的な概念によることも必要と判断されるべきではないだろうか。

いずれにしても、本件は、請求人が金員の支払いにより、当該収益を管理支配していないことは想定されるところであるが、誤認に基づくものであっても自発的に行った行為であり(洗脳と表現できるのかもしれないが)、かかる金員の移転は、当初の意図として、債務の弁済であって、これは請求人と占い師の間の民事的な問題であり、民事上の契約、弁済が問題として理解すべきであって、租税法規において救済や、帰属や享受の意義を拡張的に捉え、法的な権利関係を超えて、無制限に所得の帰属者を判定することは、基本的な租税法の適用としては非合理的であるものと考えられる。
本件自身は、請求人には同情すべき点もあろうが、この事案としては、その業務の特殊性や帰属関係に関する主張の理由付けも珍しい事案ではあるが、この種の事案が租税問題になる事自体が非常にレアなケースであり、この点で、興味深い点であるが、本件の他の争点においても調査段階における不備(誤認を招く説明等)があったこともその争点とされているが、現実の課税実務の状況を垣間見える事案ともいえる。

以上、毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが、参考までに。