さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、東京地判平成28年7月15日で、相続税における財産評価として、広面積の土地に対する財産評価に対して、路線価評価による評価を否定し、不動産鑑定評価における評価適用を争った事例です。
具体的には本件は原告がなした相続税申告につき、300平方メートル超の土地に対して適用した路線価評価に対して、当該価格を下回る評価となった不動産鑑定評価を用いるべきであるとして争った事例である。財産評価においては、一般的な路線価評価と不動産鑑定評価における差異を理由として相続税における財産評価が争われたものであるといえよう。中心的な争点としては路線価評価が相続税における財産評価方式として一般的な合理性を有しているのか否か、そしてその合理性を背景にした上で、本件における鑑定評価が財産評価上、例外として特別な事情を有しているのか否かという点で判断が行われているものである。
法令解釈としては、路線価評価における合理性に関しては、下記のように最判を引用して、判断基準としての基礎となる相続税法が採用している22条に定める時価を基礎に判断している。その解釈等に関しては従前と最判を引用していることもあり、法令解釈としては特徴的なものではないと考えられる。本件も最判の枠組みを用いて、その延長にあるものであり、本件の意義としては、例外的な評価を許容する(財産評価基本通達による評価から離れる)理由付けとしては、如何なるものであるのかという点を明らかにする上(本件では最終的に採用し他不動産鑑定評価の合理性そのものが否定されているが)で、その具体的な範囲を検討する上で、参考となるべきものと考えられよう。
「 相続税法22条は、特別の定めのあるものを除き、相続により取得した財産の価額は、相続の時における時価による旨を規定している。同条に規定されている「時価」とは、当該財産の取得の時において、その財産の現況に応じ、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価格、すなわち、当該財産の客観的交換価値をいうものと解される。ところで、財産の客観的交換価値は、必ずしも一義的に確定されるものではなく、これを個別に評価すると、その評価方法及び基礎資料の選択の仕方等によっては異なる評価額が生じることが避け難いし、また、課税庁の事務負担が重くなり、課税事務の迅速な処理が困難となるおそれがある。そこで、課税実務上は、法に特別の定めのあるものを除き、財産評価の一般的基準が評価通達によって定められ、原則としてこれに定められた画一的な評価方法によって、当該財産の評価を行うこととされている。このような扱いは、税負担の公平、納税者の便宜、徴税費用の節減といった観点からみて合理的であり、これを形式的にすべての納税者に適用して財産の評価を行うことは、通常、税負担の実質的な公平を実現し、租税平等主義にかなうものである。そして、評価通達の内容自体が財産の「時価」を算定する上での一般的な合理性を有していると認められる限りは、評価通達の定める評価方法に従って算定された財産の評価額をもって、相続税法上の「時価」であると事実上推認することができるものと解される。 もっとも、評価通達の上記のような趣旨からすれば、評価通達に定める評価方法を画一的に適用することによって、当該財産の「時価」を超える評価額となり、適正な時価を求めることができない結果となるなど、評価通達に定める評価方法によっては財産の時価を適切に評価することのできない特別の事情がある場合には、不動産鑑定士による不動産鑑定評価によるなどの他の合理的な評価方法により「時価」を評価するのを相当とする場合があると解されるものであり、このことは、評価通達6が、「この通達の定めによって評価することが著しく不適当と認められる財産の価額は、国税庁長官の指示を受けて評価する。」と定め、評価通達自らが例外的に評価通達に定める評価方法以外の方法をとり得るものとしていることからも明らかである。以上によれば、評価通達に定める方法によっては財産の時価を適切に評価することのできない特別の事情のない限り、評価通達に定める方法によって相続財産を評価することには合理性があるというべきである〔最高裁平成20年(行ヒ)第241号同22年7月16日第二小法廷判決・集民234号263頁参照〕
」
上記のように判示における路線価評価の合理性を支える相続税法の価額としての時価としては、客観的な交換価値を指すものと考えられ、財産評価基本通達による、あるいは路線価による基本的な、原則的、画一的な評価の合理性は、一般的に単なる交換価値を指すものではなく、客観性を求め、二重の意味における担保が図られていることから、その合理性が評価されている。かかる点は一般的な承認を得ているものと考えられよう。この合理性を覆し、評価方法を変更することは単に評価方法や当該評価における評価額の合理性を主張するのみではかかる時価との整合性を覆すことは困難であると捉えられる。しかしながらその具体的な判断を行うにおいてかかる基準に合致していることが示されるべきであるとの判断の枠組みは留意されるべきものといえる。特に本件の中心的な争点である土地の評価は、広面積(そもそもこれが如何なるものであるのかという問題は残るものではあるが)の土地における価額の低下を考慮されるべきであるのかという点が背景にあるものであり、近年の不動産の状況を反映は立法論、あるいは評価通達の見直しという点で課題であるともいえよう。たしかに本年の改正において広大地評価に関する方法論が見直されたことは重要であり、一定の評価の見直しは常に議論されるべきものであるといえる。かかる点において、その具体的な妥当性を評価する上で基準となる相続税法が求める時価の要因を把握することは重要な点であると評価される。
路線価評価の合理性に関しては、当該価格が当該財産の時価を超えているのか否かという点をまずは明らかにすることが求められており、事実上その合理性に関しては80%評価をめどとしていることもその理由付けとなっているものともいえる。本件はあくまでも鑑定評価が路線価評価よりも下位であることを起点としているものであるが、より具体的に考えるならば、当該評価における主要な要因が如何なるものであるのか、あるいは広面積であることそのものが、評価額を相続税法上も引き下げることを許容する価値の減少であると評価しうるのかどうかという点が検討されるべきものである。すなわち路線価評価に於いて考慮されていない、要因が時価としての妥当性を有していたとしても、客観的な交換価値としての妥当性を有するものであるのかという点がまずは問題となるだろう。そもそも時価という概念が多義的であり、幅を有する概念である。かかる点が評価における問題を発生させており、私見としても時間構成要素として一定の合理性を有しているとしても客観的な交換価値を支えるものとしての合理性を、路線価のような画一的な評価との対比において劣位であると評価せざるを得ない。旧広大地評価があくまでもその評価において減額を認めたのは、法令の要請に基づく、潰れ地の存在を前提としたものであり、一定の客観性は担保されているものであるが、広面積であるがゆえの評価額の低下をいかにして反映させることが可能であるのかという点が興味深いものである。
私見としても上記のように路線価評価はその合理性として、一般的に許容されるべきものであると解される。また本件では直接的な問題となっていないが財産評価における通達の位置付けが問題となるものと考えられる。固定資産評価基準は地方税法における要請の結果であり、単なる通達とは異なるものではあるが、実務上は両者は同一の位置付け、事実上の基準として機能している。確かに固定資産税ト相続税は財産を課税対象としており、その資産価格を評価することを求めていることは、共通しているものである。法的な客体が全くの同一というわけではなく、また、申告納税制度と賦課課税方式、実際の評価者が多様である、地方自治体に委ねられている固定資産税においては、評価統一の益は高いことは明らかであるが、単に評価方式の利益が同一の位置付けにあると捉えることは飛躍があろう。かかる点を考慮するならば、客観性の確保においても相違、求められるレベルが異なることも一定の妥当性があると考えられる。かかる点は評価が多様化し、結果として評価における画一的な評価の益に於いても問題をうむ可能性もある。このような点は検討が行われてはいないが、私見としてはかかる点からは財産評価の通達によるものではなく、一定の法令の根拠、要請に基づく基準として作成されるべきことが望ましいと考えられる。
以上です。
毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので完成は低いですが参考までに。
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