2017年10月31日火曜日

判例裁決紹介(平成28年9月21日裁決、実質所得者課税の原則の適用と所有財産)

さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は、平成28年9月21日裁決で、多様な論点を含むものですが、主として、個人所得における実質所得者課税の原則の適用及び不動産の譲渡における譲渡費用該当性が問題となったものです。

具体的には、本件は請求人の所得税(消費税も含む)の納税義務を判定するに当たって、多様な論点を含むものであるが、まず請求人の調査時における帳簿不提示に伴う、正確な所得の把握ができないことに対することが発端となっているものである。しかるに基本的には所得を如何に認定するべきであるのかという点が中心的な争点であり、各種の具体的な争点は、当該算定に関わるものであって、一義的には事実関係の認定当てはめが課題となっているものであると捉えられる。争点としては帳簿不提示に伴う青色申告の取消、農業所得の帰属、裁判上の違約金の譲渡費用該当性などが問題として扱われている。中心的な争点である譲渡費用及び所得の帰属に関しては、基本的な通達の解釈に従っているが(裁決である以上当然ともいえようが)、本件の意義としては、かかる通達の示している条件、基準に対して、具体的な事実関係を如何に当てはめるべきであるのかという点が問題となっているものであり、かかる点において実務上も(おそらくこのような納税者は歓迎すべき対象ではないであろうが・・・)参考となるものと考えられる。

まず、本件における主たる争点である農業所得の帰属に関しては、本件においては他所得との損益通算を考慮して、当該農業所得を発生させている農地の所有者である請求人自身が当該所得の帰属を主張し自らの所得であるとして申告しているのに対して、処分行政庁は、実質所得者課税(所得税法12条)を適用して請求人に当該所得は帰属せず息子に帰属するものであると判断している。実質所得者課税の原則の適用に関しては、下記のように当該条文規定の適用要件の解釈を巡って、従来、特に実質的な所得の享受をなすものが如何なる者であるのか、それを如何なる基準に基づき認定すべきであるのかという点につき、議論対象となっている。本件もその類型に属するものであり、具体的な適用範囲を検討する上で参考となるべき事例であるといえよう。特に通常とは異な理自らの所得であるとして申告したものが否定されることに対して通常訴訟等では帰属を自身において否定する架空名義の対象者を問題の俎上に上げることが多いのに対して本件は、自身ではなく、親族との間での所得の帰属関係を問題視しているものであり、かかる点においては特徴的な事案であるといえよう。

本件では、各種所得のうち農業所得、特に土地の活用による所得類型である農業所得を対象としたものであり、実際の農業の収益に関する享受を行っている者が如何なる者であるのかという点が中心的な課題であり、農地の非保有者である課税庁が認定した親族と農地を保有する請求人との間で所得の帰属関係を巡って闘いとなっているものである。最終的には農業協同組合等の外部団体との取引の状況を主たる要因として当該行為の名義をになっている、親族をもって所得の帰属者であると判断し、事実認定に基づいて、農業所得の帰属者を農地を保有している請求人であるとした主張を退けている。しかしながら、収益を稼得する上で不可欠である農地の所有関係を、保有関係を考慮せず実際の収益の帰属者であると判断していない点は興味深いと考えられる。

第一二条 資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であつて、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、これを享受する者に帰属するものとして、この法律の規定を適用する。

親子間における農業の事業主の判定)
12-4 生計を一にしている親子間における農業の事業主がだれであるかの判定をする場合には、両者の年齢、農耕能力、耕地の所有権の所在等を総合勘案して、その農業の経営方針の決定につき支配的影響力を有すると認められる者が当該農業の事業主に該当するものと推定する。この場合において、当該支配的影響力を有すると認められる者がだれであるかが明らかでないときには、次に掲げる場合に該当する場合はそれぞれ次に掲げる者が事業主に該当するものと推定し、その他の場合は生計を主宰している者が事業主に該当するものと推定する。
(1) 親と子が共に農耕に従事している場合  当該従事している農業の事業主は、親。ただし、子が相当の年齢に達し、生計を主宰するに至ったと認められるときは、子
(2) 生計を主宰している親が会社、官公庁等に勤務するなど他に主たる職業を有し、子が主として農耕に従事している場合  当該従事している農業の事業主は、子。ただし、子が若年であるとき、又は親が本務の傍ら農耕に従事しているなど親を事業主とみることを相当とする事情があると認められるときは、親
(3) 生計を主宰している子が会社、官公庁等に勤務するなど他に主たる職業を有し、親が主として農耕に従事している場合  当該従事している農業の事業主は、12-3のただし書に準じて判定した者

通達においては実質所得者課税の原則の歴史的な経緯から、農業所得の判定においては当該事業主を判定する基準として、親子間や親族間においていかなる場合を有しているかによって当該所得者としての推定を行う解釈を示している。本件においては上記の通達の基準は特に用いられておらず、かかる点ではいかなる理由に基づくものであるのかという点は定かではない。主として経営をになっていることを事業者として収益を帰属している者であるとの一般的な判断基準を適用して判断をしているように捉えられる。最終的な判断において結論が変わるものではないともいえるが(特に本件の事実関係においては)、通達が実際の農業への従事状況において判断を行い、農業の経営方針への支配的影響力の有無を問題として捉えていることと実質的な経営の状況を第三者における取引状況から判断している点は相違しているとも評価しうるものである。しかしながら、上記の解釈においては生計の主宰や支配的影響力の存在を基礎として判断を行うこととしているが、当該生計の主宰や支配的な影響力とはそもそも明示的な概念は評価しうるものではなく、本件の用に対外的な第三者との取引において、如何なる状況をもって収益を帰属しているものと判断される状況にあるのかという視点から判断していることは、客観的な判断を導くものであり、上記概念における恣意の介在を廃するものであり、租税法規の基本的な要請に合致するものと評価されるものではないだろうか。

しかしながら収益の享受関係を認定するにあたっては、本件のように不動産の所有関係も判断要素として機能しうるのではないかと考えられる。本件では不可欠な資産である農地の保有関係は必ずしもカウントされていない。上記のように、経営を収益帰属の判断要素としている点が観察されるものであるが、第三者との取引状況において客観性を担保したとしても経営とはそもそも幅の存在している概念であり、当該意義は必ずしも明示的なものであるとは評価し難い。かかるような状況においては、恣意の介在や法的な安定性の確保においてリスクを抱えたものであると考えられるのではないだろうか。本件の認定にとどまらず経営という状況を如何に捉え、租税法規において反映させるべきであるのかという点は役員給与等幅広い点において、租税法として課題となるべきものというべきであるが、所得を稼得するに当たって不可欠な資産(技術等も含む)がいかなる者に帰属し、管理運営されているのかというような状況も加味した総合的な判断がより合理的な所得の帰属、実際の享受関係を示すものであるようにも考えられよう。



以上です。
毎度のごとく論文Stockとして作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。

2017年10月21日土曜日

判例裁決紹介(東京地判平成29年1月12日、職務分掌の変更と役員退職金)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。
今回は東京地判平成29年1月12日で、職務分掌による役員退職金の支給が、法人税法に規定する退職給与に該当するのか否かという点が問題となったものです。

具体的には、本件は原告法人が前代表取締役に対して支給した金員が法人税法34条1項に定める退職給与に該当し、原則的な役員給与の損金算入規制の対象となるのか否かという点が問題となったものである。中心的な争点としては、当該支給対象者である前代取が相談役に就任したことが、本件の事実関係において退職に該当するような状況にあるのか否かという点が事実関係として問題となっているものと捉えられる。そもそも法人税法が如何なるものを退職であるとして捉えているのかという点は、必ずしも定かとは評価し得ないが、かかる点がまずもって問題の起点にあるものともいえよう。近年は、役員の大量退職期を迎えつつあり、また、退職給与がその受領する個人においても1/2課税や特別控除が存在することからも通常の給与として支給するよりも有因が高いこともあり、いわゆる利益調整の対象として使用されていた状況があるものであり(現状においても利用されているのかどうかという点は、実務家に聞いて見たいところではあるが)、法人税法においてこのような退職給与を如何に捉えているのか、特に本件で問題となった職務分掌の変更による実質的な退職と同視される状況を如何に認定していくことになるのかという点は今後の実務上においても参考になるものといえよう。かかる点で本件は職務分掌変更による退職給与の支給を否定した事案であるが、その事実関係を詳細に、特に職務内容を判断した上で、支給対象とはならないものと判断を下しており、従来の職務分掌による退職給与支給の事例における判断枠組みと基本的に同一視されるべきもの、同一類型に属するものであるが、中小企業での事例でもあり、実務的にも参考となるものと考えられる。後述するように、本件で問題となった職務分掌による退職給与の支給はあくまでも通達によるものであり、実務上は、下記の通達例示が事実上の基準となっているものであろう。本件はその部分をより深化させて研究する上で、有益な事例であるものともいえよう。

役員給与の損金不算入)
第三四条 内国法人がその役員に対して支給する給与(退職給与及び第五十四第一項(新株予約権を対価とする費用の帰属事業年度の特例等)に規定する新株予約権によるもの並びにこれら以外のもので使用人としての職務を有する役員に対して支給する当該職務に対するもの並びに第三項の規定の適用があるものを除く。以下この項において同じ。)のうち次に掲げる給与のいずれにも該当しないものの額は、その内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入しない。


まずはそもそも退職給与課税自体が上記における問題の誘引となっている点が課題となるだろう。直接的には所得税の問題であり、本件とは関わるものではないが、かつての状況とは異なり現状の社会情勢において退職給与を得ることができる存在は、限定的であり、このような誘引となるような租税制度、退職給与課税制度そのものが妥当であるのかという点は個人的には疑問を覚えるものである。この点は、退職金を特別な扱いを行うべき理由付けが必ずしも定かではないとも考えられるところであり、肯定すべき理由付けが如何なるものであるのかという点は歴史的な背景を研究する必要があるだろう。

また、上記のように本件の中心的な争点は支給者である原告がいかなる状況にあり、特に支給対象者である元代取が如何なる職務を担っていたという点を基礎として、法人税法が想定する退職の状況に合致するのか否かという事実関係を如何に認定し判断していくのかという点である。より具体的には、代表取締役から相談役に肩書が変更となったものであり、職務分掌の変更があったとして実質的な退職したと同様の状況にあるか否かという点が課題となっているものである。そもそも法人税法が如何なる趣旨をもって、役員給与の例外的な措置としているのかという点が背景となるものであるが、この点について、判示は以下のように、基本的な趣旨を解している。

法人税法34条1項括弧書きは、損金の額に算入しないこととする役員給与の対象から、役員に対する退職給与を除外しており、この退職給与は、法人の所得の計算上、損金の額に算入することができるものとされている。これは、役員の退職給与は、役員としての在任期間中における継続的な職務執行に対する対価の一部であって、報酬の後払いとしての性格を有することから、役員の退職給与が適正な額の範囲で支払われるものである限り(同条2項参照)、定期的に支払われる給与等(同条1項各号参照)と同様の経費として、法人の所得の金額の計算上、損金の額に算入すべきものとする趣旨に出たものと解される。

私見としては所得税法において、退職給与が上記のように優遇的に取り扱われていることも、退職給与に関しては、一定の制限を課せられてきた背景があるものと考えられる。かかる点を踏まえて、本件の中心的な争点である職務分掌の変更による通達が存在している。通達は、下記のように、分掌変更等の事実関係において実質的に退職したと同様の事情にあると認められることが必要と解され、例示として、役職の変動、給与の激減が示されている。本件の最終的な主張の対立は、この部分に存在し、原告はその主張の依拠すべき点としてこの給与金額の減額を基礎としている。単なる通達の例示が実質的な基準と考えられていることの証左でもあり、単なる例示であることの理解や如何なるものを対象としているのか、如何なるものを重要な判断要素としているのかという点を理解することの重要性を示唆するものとも考えられる。特に認められるとしていることからも、単に主観的な要因による主張は決して採用されるべき対象ではなく、客観的に保証されることによって初めて実質的な退職としての意義を有することになるものと理解されるべきである。

給与の対象から役員の退職給与を除外している上記の趣旨に鑑みれば、同項括弧書きにいう退職給与とは、役員が会社その他の法人を退職したことによって支給され、かつ、役員としての在任期間中における継続的な職務執行に対する対価の一部の後払いとしての性質を有する給与であると解すべきであり、役員が実際に退職した場合でなくても、役員の分掌変更又は改選による再任等がされた場合において、役員としての地位又は職務の内容が激変し、実質的には退職したと同様の事情にあると認められるときは、その分掌変更等の時に退職給与として支給される金員も、従前の役員としての在任期間中における継続的な職務執行に対する対価の一部の後払いとしての性質を有する限りにおいて、同項括弧書きにいう退職給与に該当するものと解するのが相当である。

役員の分掌変更等の場合の退職給与)

9-2-32 法人が役員の分掌変更又は改選による再任等に際しその役員に対し退職給与として支給した給与については、その支給が、例えば次に掲げるような事実があったことによるものであるなど、その分掌変更等によりその役員としての地位又は職務の内容が激変し、実質的に退職したと同様の事情にあると認められることによるものである場合には、これを退職給与として取り扱うことができる。(昭54年直法2-31「四」、平19年課法2-3「二十二」、平23年課法2-17「十八」により改正)
(1) 常勤役員が非常勤役員(常時勤務していないものであっても代表権を有する者及び代表権は有しないが実質的にその法人の経営上主要な地位を占めていると認められる者を除く。)になったこと。
(2) 取締役が監査役(監査役でありながら実質的にその法人の経営上主要な地位を占めていると認められる者及びその法人の株主等で令第71条第1項第5号《使用人兼務役員とされない役員》に掲げる要件の全てを満たしている者を除く。)になったこと。
(3) 分掌変更等の後におけるその役員(その分掌変更等の後においてもその法人の経営上主要な地位を占めていると認められる者を除く。)の給与が激減(おおむね50%以上の減少)したこと。
(注) 本文の「退職給与として支給した給与」には、原則として、法人が未払金等に計上した場合の当該未払金等の額は含まれない。

このように考えると通達の処理は、退職の意義を、実質的な退職という方向も含むものと解しており、文言の意義からは、拡張的に解するものであり、その処置の合理性は判示でも上記のように肯定している。しかしながら退職規定が上記のような趣旨を持つことから、文言である退職の意義に限定的に捉える必要性は必ずしもない。通達の処理もこの延長に属するものであり、一定の制限を設けており、野放図に拡張的な解釈を行うものではなく、基本的には判示と同様に肯定されるべきものであると評価される。しかしながら、上記通達の例示は、例えば50%減額などはこれが本来の原則となる法人税法の退職の意義に関連して、如何に関連しているのかという点は明らかではなく、実質的な退職として肯定される状況が如何なるものであるのかという点は法人税法の基本的な退職が如何なる意義を有しており、かかる点との関連性からより明示的に検討されるべきものであるだろう。

本件の最終的な判断においても職務内容が中心的な争点となっており、かかる点が最終的に司法の判断を仰いでいる。そもそも使用人、一般従業員とは異なり経営の業務を担う役員は、その業務内容は多岐にわたるものである(正確には、職務上多岐にわたる業務が想定されるが、如何なる業務を担うことが経営の主たる地位にあるものと捉えられるのかという点が定かとはいえない)。従って、役員の職務と報酬の因果関係が明確ではなく、かかるような報酬の増減に基づく、退職給与の支給の判断は、リスクが大きいものと考えるべきである。退職を契機とした報酬の後払いであることが退職給与の基本的な要因であることからも職務分掌の変更による給与報酬額の激変は、間接事実に留まるものであり、直接的に退職を支えるものとは判断し得ないと捉えるべきである。このように考えると繰り返しとなるが、本件の中心的な争点である事実関係、特に職務内容が問題となっていることは実務上も有益なものであろう。しかしながら職務内容による判断は、恣意の介在する要因が高く、職務内容が多岐にわたることが想定される役員の経営業務においては、かかる判断に依拠することはかえって予測可能性を損なう可能性も指摘できる。そこで私見としては、中小企業等においては、株式の保有状況など法的な意思決定を支える、担保する権限がいかなる状況にあるのかというような一定の客観性を担保可能な基準による判断を行うことが重要なのではないか。


以上です。毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。

2017年10月14日土曜日

判例裁決紹介(東京地判平成28年7月15日、路線価評価の合理性、特別な事情の有無)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、東京地判平成28年7月15日で、相続税における財産評価として、広面積の土地に対する財産評価に対して、路線価評価による評価を否定し、不動産鑑定評価における評価適用を争った事例です。

具体的には本件は原告がなした相続税申告につき、300平方メートル超の土地に対して適用した路線価評価に対して、当該価格を下回る評価となった不動産鑑定評価を用いるべきであるとして争った事例である。財産評価においては、一般的な路線価評価と不動産鑑定評価における差異を理由として相続税における財産評価が争われたものであるといえよう。中心的な争点としては路線価評価が相続税における財産評価方式として一般的な合理性を有しているのか否か、そしてその合理性を背景にした上で、本件における鑑定評価が財産評価上、例外として特別な事情を有しているのか否かという点で判断が行われているものである。

法令解釈としては、路線価評価における合理性に関しては、下記のように最判を引用して、判断基準としての基礎となる相続税法が採用している22条に定める時価を基礎に判断している。その解釈等に関しては従前と最判を引用していることもあり、法令解釈としては特徴的なものではないと考えられる。本件も最判の枠組みを用いて、その延長にあるものであり、本件の意義としては、例外的な評価を許容する(財産評価基本通達による評価から離れる)理由付けとしては、如何なるものであるのかという点を明らかにする上(本件では最終的に採用し他不動産鑑定評価の合理性そのものが否定されているが)で、その具体的な範囲を検討する上で、参考となるべきものと考えられよう。


「 相続税法22条は、特別の定めのあるものを除き、相続により取得した財産の価額は、相続の時における時価による旨を規定している。同条に規定されている「時価」とは、当該財産の取得の時において、その財産の現況に応じ、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価格、すなわち、当該財産の客観的交換価値をいうものと解される。ところで、財産の客観的交換価値は、必ずしも一義的に確定されるものではなく、これを個別に評価すると、その評価方法及び基礎資料の選択の仕方等によっては異なる評価額が生じることが避け難いし、また、課税庁の事務負担が重くなり、課税事務の迅速な処理が困難となるおそれがある。そこで、課税実務上は、法に特別の定めのあるものを除き、財産評価の一般的基準が評価通達によって定められ、原則としてこれに定められた画一的な評価方法によって、当該財産の評価を行うこととされている。このような扱いは、税負担の公平、納税者の便宜、徴税費用の節減といった観点からみて合理的であり、これを形式的にすべての納税者に適用して財産の評価を行うことは、通常、税負担の実質的な公平を実現し、租税平等主義にかなうものである。そして、評価通達の内容自体が財産の「時価」を算定する上での一般的な合理性を有していると認められる限りは、評価通達の定める評価方法に従って算定された財産の評価額をもって、相続税法上の「時価」であると事実上推認することができるものと解される。 もっとも、評価通達の上記のような趣旨からすれば、評価通達に定める評価方法を画一的に適用することによって、当該財産の「時価」を超える評価額となり、適正な時価を求めることができない結果となるなど、評価通達に定める評価方法によっては財産の時価を適切に評価することのできない特別の事情がある場合には、不動産鑑定士による不動産鑑定評価によるなどの他の合理的な評価方法により「時価」を評価するのを相当とする場合があると解されるものであり、このことは、評価通達6が、「この通達の定めによって評価することが著しく不適当と認められる財産の価額は、国税庁長官の指示を受けて評価する。」と定め、評価通達自らが例外的に評価通達に定める評価方法以外の方法をとり得るものとしていることからも明らかである。以上によれば、評価通達に定める方法によっては財産の時価を適切に評価することのできない特別の事情のない限り、評価通達に定める方法によって相続財産を評価することには合理性があるというべきである〔最高裁平成20年(行ヒ)第241号同22年7月16日第二小法廷判決・集民234号263頁参照〕



上記のように判示における路線価評価の合理性を支える相続税法の価額としての時価としては、客観的な交換価値を指すものと考えられ、財産評価基本通達による、あるいは路線価による基本的な、原則的、画一的な評価の合理性は、一般的に単なる交換価値を指すものではなく、客観性を求め、二重の意味における担保が図られていることから、その合理性が評価されている。かかる点は一般的な承認を得ているものと考えられよう。この合理性を覆し、評価方法を変更することは単に評価方法や当該評価における評価額の合理性を主張するのみではかかる時価との整合性を覆すことは困難であると捉えられる。しかしながらその具体的な判断を行うにおいてかかる基準に合致していることが示されるべきであるとの判断の枠組みは留意されるべきものといえる。特に本件の中心的な争点である土地の評価は、広面積(そもそもこれが如何なるものであるのかという問題は残るものではあるが)の土地における価額の低下を考慮されるべきであるのかという点が背景にあるものであり、近年の不動産の状況を反映は立法論、あるいは評価通達の見直しという点で課題であるともいえよう。たしかに本年の改正において広大地評価に関する方法論が見直されたことは重要であり、一定の評価の見直しは常に議論されるべきものであるといえる。かかる点において、その具体的な妥当性を評価する上で基準となる相続税法が求める時価の要因を把握することは重要な点であると評価される。

路線価評価の合理性に関しては、当該価格が当該財産の時価を超えているのか否かという点をまずは明らかにすることが求められており、事実上その合理性に関しては80%評価をめどとしていることもその理由付けとなっているものともいえる。本件はあくまでも鑑定評価が路線価評価よりも下位であることを起点としているものであるが、より具体的に考えるならば、当該評価における主要な要因が如何なるものであるのか、あるいは広面積であることそのものが、評価額を相続税法上も引き下げることを許容する価値の減少であると評価しうるのかどうかという点が検討されるべきものである。すなわち路線価評価に於いて考慮されていない、要因が時価としての妥当性を有していたとしても、客観的な交換価値としての妥当性を有するものであるのかという点がまずは問題となるだろう。そもそも時価という概念が多義的であり、幅を有する概念である。かかる点が評価における問題を発生させており、私見としても時間構成要素として一定の合理性を有しているとしても客観的な交換価値を支えるものとしての合理性を、路線価のような画一的な評価との対比において劣位であると評価せざるを得ない。旧広大地評価があくまでもその評価において減額を認めたのは、法令の要請に基づく、潰れ地の存在を前提としたものであり、一定の客観性は担保されているものであるが、広面積であるがゆえの評価額の低下をいかにして反映させることが可能であるのかという点が興味深いものである。

私見としても上記のように路線価評価はその合理性として、一般的に許容されるべきものであると解される。また本件では直接的な問題となっていないが財産評価における通達の位置付けが問題となるものと考えられる。固定資産評価基準は地方税法における要請の結果であり、単なる通達とは異なるものではあるが、実務上は両者は同一の位置付け、事実上の基準として機能している。確かに固定資産税ト相続税は財産を課税対象としており、その資産価格を評価することを求めていることは、共通しているものである。法的な客体が全くの同一というわけではなく、また、申告納税制度と賦課課税方式、実際の評価者が多様である、地方自治体に委ねられている固定資産税においては、評価統一の益は高いことは明らかであるが、単に評価方式の利益が同一の位置付けにあると捉えることは飛躍があろう。かかる点を考慮するならば、客観性の確保においても相違、求められるレベルが異なることも一定の妥当性があると考えられる。かかる点は評価が多様化し、結果として評価における画一的な評価の益に於いても問題をうむ可能性もある。このような点は検討が行われてはいないが、私見としてはかかる点からは財産評価の通達によるものではなく、一定の法令の根拠、要請に基づく基準として作成されるべきことが望ましいと考えられる。

以上です。
毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので完成は低いですが参考までに。


2017年10月7日土曜日

判例裁決紹介(千葉地判平成28年4月19日、信義則の適用要件)

さてまた興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は千葉地判平成28年4月19日で、原告がなした確定申告における医療費控除の適用を巡って信義則の適用があるのか否かという点が争われたものです。

具体的には、原告がその確定申告において、母親の介護事業者への支払を医療費控除の対象であるとして、複数年度に渡り申告していたところ、これは対象外であるとして更正処分を受けたため、過年度の申告において医療費控除対象として取り扱われていたところ、申告年度においてその取扱を変更することは、信義則に反するとして提訴したのが本件である。すなわち、過年度の申告についての取扱が適用変化に対する歯止め、抑制として働きうるものであるのか、信義則の適用の要件に該当するのかという点が中心的な争点となっているものである。従って本件は事実関係と租税法規における信義則の適用要件が如何なるものであるのかという点が争われたものであり、当該要件の具体化を図る上で参考となると捉えられる事例である。基本的に(司法制度上当たり前であるが)、租税法規における信義則の適用に関しては最判が示した下記のような要件が用いられており、本件においてもその解釈に変更はない。本件における事実関係において、その解釈に対する当てはめが問題となるものであり、最判の要件をより具体化するものといえる。本件の事実関係においては、納税者の信頼を保護すべき状況にないとの判断であり、原告納税者自らも過年度の申告において、課税庁の指摘をうけ、本件申告前に修正申告を行っており、当該申告においては既に医療費控除の対象とならないという点は認識していたとの認定を行っており、原告の帰責性を疑う余地はないものと考えられる。この点は、特に異論がないところであり、かかる点から考えれば、本件は単なる納税者のミス等に基づくものが訴訟となったものであるともいえるかもしれない。


租税法律関係において信義則が適用されるためには①租税行政庁が納税者に対して信頼の対象となる公的見解を表示したこと、②公的見解の表示への信頼に基づき行動したことについて納税者の責めに帰すべき事由がなく、納税者の信頼が保護に値すること、③納税者が公的見解の表示を信頼し、その信頼に基づく行為をしたことという要件が必要である。

本件においても、上記のように最判の示した条件をもって判断を行っている。最終的には当該申告に先立ち指摘を受け、過年度の医療費控除につき修正申告を行っており、かかる点において納税者が公的見解を信じ行動を行ったかという点において信頼を保護すべきものとしては妥当ではないという判断を行っている。かかる事実関係の処理は常識的な判断であろうが、ここで一般的に疑問となるのは、このように、過年度の申告等があるいはその是認が公の見解に該当するものであるのかという点が疑問となる。確かに積極的な課税庁からの情報提供とは異なるものの租税の専門技術性を鑑みるに、複数年度に渡って申告を是認、申告を容認されていた状況は納税者の保護されるべき信頼を形成するものではないのかという点が疑問を覚えるところである。

この公的な見解の性格に関しては、特に信義則の適用要件として、さらにこの租税法規における信義則の適用に関しては旧来より議論があるところであるが、最判が示すように、民事法とは異なり、その適用は租税法律関係においては、他の納税者との公平負担の要請を鑑み、限定的に捉えられ、条件が付与されているものと解される。私見としては、そもそも信義則の保護対象となる納税者の信頼とは内心に属するものであり、かかる点を立証し保護に値するか否か比較衡量を行うことは非常に困難であり、かかる適用を認めることは納税者・課税庁双方において恣意を介在させる結果となる可能性もあり、極めて限定的に捉えられるべきであり、公の見解のように客観的な資料等に基づく行為であることの立証が必要であると考えられる。またそもそも租税法の基本的な要請である公平負担の原則を犠牲にしてもなお、保護すべき対象となるべき信頼とは如何なるものであるのかという点は明らかとは言えない。本来ならばかかる点から具体的な要件が導かれるべきであるが、しかるに、公的見解を適用の条件としている以上、その具体的な内容が如何なるものであるのかという点がより詳細に検討されるべきであり、かかる点は信義則が保護すべき納税者の信頼を確定することにもつながるものであろう。

より具体的には本件のおいて示唆されるように、過年度の申告の是認、複数年度に渡る申告状況が公の見解に該当するのか否かという点を検討するに、あくまでも黙字の見解にとどまるものであり、課税庁からの積極的な情報提供、見解の表示には該当していない。たとえ租税の専門技術的な性格を考慮したとしても、納税者自らの自身の租税負担を最も把握しており、自主的に申告することで、適正な納税負担を図ることをその前提としている申告納税制度の下においては、調査権限を課税庁が有しているといえど、納税者の申告等の行為を左右するものとして積極的な示唆を与えるものではなく、他の納税者との公平性との比較衡量において保護すべき納税者の信頼を形成するものと評価することは困難であろう。あくまでも公的見解としては権限のある課税庁による積極的な見解の表示に限定的に捉えるべきであろう。しかるに信義則適用の公の見解が単なる納税者への便宜提供のような場合にまで拡張的に解されるべきであるのかという点は消極的に解されるべきであると捉えられる。確かに租税は非常に専門的な分野であり、課税庁の意見表明は信頼されるものと捉える人もも多いだろう差異を設けるものではなくという見解も成り立つ。しかしながら、税理士の関与など納税者の状況は様々であり納税者の状況も多様であることから申告納税制度が形成されているものであり、単なる一般的な説明にとどまるものまで対象となると考えることは租税法律主義に反する状況を生み出すことになりかねず、不当利得等にて救済されるべきものといえる。もちろん、賦課課税方式においては異なる状況も考えられようが、あくまでも公的見解としては黙字のレベルは包含されず、勧奨など行為を促すような状況において発生した見解にとどまると解すべきである。


以上です。
毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。

2017年10月3日火曜日

判例裁決紹介(大阪地判平成28年10月26日。大阪高判平成29年5月11日、貸家建付地の評価、空き室の評価反映)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は大阪地判平成281026日、大阪高判平成29511日で、相続財産の評価における貸家、貸付用途で使用している、すなわち貸家の敷地としている宅地(貸家建付地)の評価が問題となった事例です。

比較的最近の事例であるが、地判高判ともに、判断は同一であり請求を棄却している。具体的には、被相続人より土地及び建物を相続した原告(相続人)が、なした相続税確定申告において、当該財産の貸家及び貸家建付地の評価に関して、空き室となっている部分の評価【短いもののでも5カ月、相続時点では空室】によって減額評価とすべきであるとした更正の請求をなしたところ、当該更正すべき理由はない旨の通知処分を行ったことからその取消を求めた訴訟である。
しかるに本件は原告が相続した財産の評価額を巡る訴訟であり、典型的な相続税に関する訴訟である。本件における特徴としては、通常は価値の下落を巡って財産評価基本通達における評価の適用が行われるべきではないとする事案が多い中(言い換えれば財産評価基本通達の性格や位置付けが問題となることが多い)、少々趣を異とし、財産評価基本通達の適用の具体的な判断基準が争点となっている点で興味深いものである。すなわち財産評価基本通達による評価の一定の合理性は所与の前提とした上で、その適用の方法を巡って争っているものである。


第二十二条  この章で特別の定めのあるものを除くほか、相続、遺贈又は贈与により取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価によ、当該財産の価額から控除すべき債務の金額は、その時の現況による。

より具体的に、上記のように法令としては、相続税法は、22条において、相続財産の価額として取得の特における時価によるべきであるとしてしているが、この評価の基礎となる財産評価基本通達においてその適用に際する空室の存在に対して評価減措置の宥恕として導入した点の評価が中心的な争点となっているものと捉えられる。特に敷地としている貸家建付地の評価が問題となっており、基本的には財産評価基本通達の合理性を許容しつつ、
その適用の是非が争点とされている。いうまでもなく財産評価基本通達であっても通達としての位置付けであり法令ではないことは明らかではあるが、本件は財産評価基本通達の内容をより詳細に検討する事案であり、法令解釈としては特徴的な案件ではないが、実務における財産評価基本通達の位置付けを考慮するならば参考となる有益な事例であるだろう。またこの評価の妥当性や評価基準の適合性の判断に関しては、相続税法が如何なるものを課税対象としているのか、如何なる評価額をもって課税を行うべきであるのかという基本的な視点、法令の趣旨目的に関連するものであり、かかる点において相続税法の解釈等を通じて相続税法における対象資産の意義や価額の理解検討を行う上では有益な事例であるものと考えられる。特に時価を如何に捉えているのかという点が特徴的な点であろう。

また本件の中止的な争点である空室に関しては、近年は社会問題となってきている空き家問題も考慮せざるを得ない。空き家問題では老朽化した家屋等の存在がクローズアップされるが、アパートローンの関連もふくめ、賃貸用動産の空き家も同時に問題となっており近年は増加傾向にある。かかるような社会情勢も考慮するならば、相続税の課税時期としての相続時の現況を如何に相続税評価に反映させるのか、空き家となっているような賃貸用不動産の状況を評価額に反映させるべきであるのか否かという点は課題となるものと考えられる。

さらに、貸家建付地の評価方法は財産評価基本通達において以下のように取り扱われている。本件では財産評価基本通達上如何に空き室を考慮し得るのかという点に争点が絞り込まれているが、この問題の本質は、空室の発生によって収益性が低下している家屋の評価方法において、現行の貸家建付地の評価方法では反映されていない状況にある事が背景にあるものと考えられる。具体的には下記の様に当該貸家建付地の評価においては、借地権割合や賃貸割合を反映させることで、その評価額を減額している。従って、貸付用途の貸家において空き家が発しした場合においては賃借割合が低下し、もって減額金額を減少させることとなる。すなわち空室の発生は収益資産としての価値を低下させているにも関わらず、借地権の割合が低下しているとして、価値の減額部分が縮小する結果となる。確かに貸し付けに伴う、自用地に対する借地権の割合は低下するものの、収益物品としてはその収入を減額している、収益が低下していることになり、予想収益、PVは減少しているものと考えられ価値の低下が懸念されるものの、相続税法上、当該収益性の評価は反映されえないこととなる。このように収益性の低下に伴う価値の下落を本件の主たる争点とは異なっているものの、財産を相続することによる財産価値の取得を課税対象とする相続税法においてはんえいさせていないことの納税者の不満が背景にあるものとも考えられ、このような相続税法の財産評価上の矛盾が表面化しているような状況が本件のような空室の発生している貸家建付地の評価ではないだろうか。確かに価値の下落としては同様であり、この点において相続税の財産評価において不合理であると捉えることも考えられる。

しかしながら、このような評価方法の差異、評価額への反映が異なる状況が表出することが如何なる理由によるものであろうか。そもそも単なる価値の下落として同一に取り扱うことが妥当なのであろうか。すなわち単なる価値の下落と一律に考えるのではなく、その発生原因によって、収益見込み額の減少と借地権による制限部分において差異があるものと考えられているものと言えよう。これは相続税法がその課税対象として財産価値に着目し、その時価を課税対象としつつもの、当該時価の解釈として市場性のある部分での客観的な交換価値をもってその時価の意義として解釈していることに起因するものである。つまり、単なる時価として交換取引等での市場価値、交換価値を時価としているものではなく、客観性を有した時価である事が求められており、かかる点において本件の差異が発生しているものと考えられる。租税負担の公平性等の租税法規の基本的な要請として客観性を有した時価の存在は文理にかなうものであり、時価という主観的な要因や変動幅が存在しているような概念に依拠した課税を行うにあたって客観性の確保は重要な概念であろう。このように時価を鑑みるに、評価額の算定においても単なる価値の下落は必ずしも反映されるべきものではなく、当該下落の原因要因に則り、当該下落や評価額の変動が客観性を帯びているものであるのか否かという点が考慮されるべきものとなる。かかる点から上記の二つの下落要因は法的な要因【本件においては借地権という所有権財産権を侵害、制約する、借り手の権利保護や、立退料の発生など】によるものと将来収益の低下の可能性という点で異なるものであり、かかる点において一見すると矛盾するような状況であっても如何なるゆえんももって導かれているのかという点は、相続税法が評価減を認めるべきであると考えているものであるのかという点が重要な要因となっているものと捉えるべきである。ここに本件における評価額の反映が異なるものと捉えられる要因があり、かかる処理は相続税法の解釈、時価の意義という観点から合理的なものであるというべきであろう。、少なくとも単なる価値の低下が反映されるべきものではなく、当該下落や価格への反映の原因によって相違するものと認識されるべきである。

(貸家建付地の評価)

26 貸家(94≪借家権の評価≫に定める借家権の目的となっている家屋をいう。以下同じ。)の敷地の用に供されている宅地(以下「貸家建付地」という。)の価額は、次の算式により計算した価額によって評価する。(平3課評2-4外・平11課評2-12外改正)
貸家建付地の価格の算式
 この算式における「借地権割合」及び「賃貸割合」 は、それぞれ次による。
(1) 「借地権割合」は、27≪借地権の評価≫の定めによるその宅地に係る借地権割合(同項のただし書に定める地域にある宅地については100分の20とする。次項において同じ。)による。
(2) 「賃貸割合」は、その貸家に係る各独立部分(構造上区分された数個の部分の各部分をいう。以下同じ。)がある場合に、その各独立部分の賃貸の状況に基づいて、次の算式により計算した割合による
賃貸割合の算式
(注)
1 上記算式の「各独立部分」とは、建物の構成部分である隔壁、扉、階層(天井及び床)等によって他の部分と完全に遮断されている部分で、独立した出入口を有するなど独立して賃貸その他の用に供することができるものをいう。したがって、例えば、ふすま、障子又はベニヤ板等の堅固でないものによって仕切られている部分及び階層で区分されていても、独立した出入口を有しない部分は「各独立部分」には該当しない
 なお、外部に接する出入口を有しない部分であっても、共同で使用すべき廊下、階段、エレベーター等の共用部分のみを通って外部と出入りすることができる構造となっているものは、上記の「独立した出入口を有するもの」に該当する。
2 上記算式の「賃貸されている各独立部分」には、継続的に賃貸されていた各独立部分で、課税時期において、一時的に賃貸されていなかったと認められるものを含むこととして差し支えない
本件の中心的な争点となる空室の評価上の考慮に関しては上記の通達内容にあるように、財産評価通達において反映されている。本件の中心的な争点は貸付用地としての評価及び貸付用建物との評価が争点となっている。その中でも貸付用途である建物の敷地である貸家建付地の評価が中心的な課題として主張が行われている。私見としてはそもそも、貸家及び貸家建付地の評価の双方において同様に、一律に時価の算定において空室の状況を反映させる処理を行うこと自体が、建物と土地の評価において共通すべきものであるのかという点は疑問を覚えるところはあるが【特に建物においては、減価償却や、建造物の状況などが加味されるべきであろう】、本件の中心的な課題はより具体的には、上記のように貸家建付地において、空室を考慮した賃貸割合を認めるべきであるのか否かという点である。空室を認めるか否かによって如何なる評価上の相違が発生するものであるのかという点は上記の通りであるが、この評価において如何なる空室が賃借割合に反映され、もって評価減に取り込まれるべきであるのかという点が本件の課題となっている。特に財産評価基本通達の但し書きにおいて、一時的な空室は空室として実質的に取り扱う必要はないものとした宥恕的な取り扱いの適用対象が如何なるものとして判断されるべきであるのかという点が問題の中心となる。原告及び被告の主張の中心はこの一時的な空室とは如何なるものであり如何にして判断すべきであるのかという点が争っている状況にある。すなわち現況、相続時点において如何なる期間空室であるのかという点を重視するのか、独立した賃貸用の建物としての居住部分として成立している資産状況を重視するのかという点で主張の相違がみられる。地判、高判ともに、特に高判においてはこの期間的な判断基準が不合理であるとの主張が判断され、最終的には、いずれにおいても退けられている。上記のように近年は空室の発生は、まれなものではなく、ごく一般的に起こりうる問題であり、相続対象となるような一定の経年を経ているような家屋等においては空室の発生は当然に見込まれるものであり、この一時期的なという点を如何に把握すべきであるのかという点は、今後も重要な点となるものと言えよう。

係る判断において地判は以下のように、
「評価通達93及び26本文が貸家及び貸家建付地について、所要の減額を認めた趣旨は、借家権の目的となっている建物の借家人は当該建物に対する権利を有するとともにその敷地についても借家権に基づいて建物の利用の範囲内である程度の支配権を有しているところ、賃貸人は、自己使用の必要性等の正当の事由がある場合を除き、賃貸借契約の更新を拒絶したり、解約の申入れをしたりすることができない(借地借家法28条)から、借家権を消滅させるためには立退料の支払を要することになること、借家人は、建物の引渡しを受けたときは、その後その建物について物権を取得した者に対し借家権の効力を対抗することができる(同法31条1項)から、建物に借家権を付着させたままで建物及びその敷地を譲渡する場合には、その譲受人は、建物及びその敷地の利用について制約を受けること等から、上記の建物及びその敷地の経済的価値が、借家権の目的となっていない建物やその敷地に比べて低くなることを考慮したことにあると解される。」
として、評価減の対象を法的な借家権の存在に求めており、本評価通達における評価減の要因として借家権に求めている。私見としては近年の空き家問題の発生等の社会状況からは、従前と同様に、借家権を制約要因・減額要因として捉えることは妥当であるのかという点は疑問を覚えるところではあるものの、評価減の事由として借家権という法的な要因を背景としていることは上記租税法規の解釈として客観性のある交換価値を想定する上で整合的であり、重要なものであると言えよう。

しかしながら通達はこの処理の原則に対して一定の宥恕規定として上記通達但し書きのように、一時的な空室は考慮対象外として処理する必要はないものとしている。かかる一時的な空室を如何に判断すべきであるのかという点が本件の主たる争点であるが、この措置につき、判示では
「もっとも、継続的に賃貸の用に供されている独立部分が課税時期にたまたま賃貸されていなかったような場合にまで当該独立部分を賃貸されていないものとして賃貸割合を算出することは、不動産の取引実態等に照らして必ずしも実情に即したものとはいえない。
そこで、評価通達26(注)2は、構造上区分された複数の独立部分からなる家屋の一部が継続的に賃貸されていたにもかかわらず課税時期において一時的に賃貸されていなかったと認められる場合には、例外的に当該独立部分を賃貸されている独立部分と同様に取り扱うこととしたものと解される。」
一定の処置として合理性を認めている。かかる判断はいわば実質的な状況を加味して判断を行う内容であり、一定の裁量が課税庁に与えられるものとなる。かかる処理は納税者にとって有利規定であり、租税法律主義の原則からは問題ではあるものの実際には問題とされていない。しかしながら相続税法が、その課税時期として相続発生の時と明示的に規定しており、いわばかかる処理は拡張的に相続財産の現況を反映させるものであり、かかる処理が合理性を有するのかという点は疑問を覚える。かかる処理はあくまでも、宥恕例外的な処置であり、如何なる理由でその処置が合理性が有するものであるのかという点は検証されるべきであり、租税法規の課題として捉えるべきであろう。少なくとも、例外として許容されるべきものを判断する基準は明示的であるべきであり、現行の処理が妥当であるのか否かという点は問題視されるべきである。特に具体的な判断基準として争われている、この一時的という点が客観性を帯びた減額要因として認められるべきであるのかという点は、検討すべきであり、如何にして合理性を時価の解釈等から担保され得るのであろうか。上記判示でも本件の処置は不動産取引実態に照らして不合理であるとの原因を挙げているが、かかる内容が明示的ではなく、そもそもかかる処置が妥当であるのか否かという点は再度検証すべきであり、例外的な本措置の合理性は疑問視されるべきであろう。少なくとも一時的という通達の文言は決定的なものではなく、借地権の制限が実質的に対象となりうるのかより明示的な規定が必要と認識されるべきである。外形や資産の構造なども判断要素となりうるものであることは否定しないが、借地権を生み出す契約とは直接的に関連付けられるものではなく、本件のように契約の有無の基幹的な判断にのみ依拠すべきものではないであろうが、何らかの契約と直接的に関連する要因による判断が求められるものと考えるべきであろう。

また、上記のように、貸家等に限ったものではないが、相続税法における収益性に基づいた判断は、その財産評価としては、劣位に置かれることになることは他の相続税の財産評価において一般的である。立法に属する問題であるが、近年は空き家の存在などが増加しており、単なる収益性の減少のみならず、収益の発生が観念し得ないものも存在することになるだろう。かかるような状況において、より適切な財産評価に対して、検討すべきものといえるのではないだろうか。