平成27年12月1日裁決で、
農業協同組合が営む貯金事業においていわゆる休眠預金が発生した
場合いかなるタイミングで益金として計上すべきかという点が争わ
れた事例です。
具体的には、貯金業務を営む農協が請求人となって、
その保有するいわゆる休眠預金につき、大蔵省通達に基づく、
また、
自己の定めたルールとして下記の収益計上基準としているルールに
従わず、請求人は、
顧客宛通知書が返却された貯金者について解明調査を行い、
行方不明であることや相続人のいないことが明らかになった日の属
する事業年度において、
当該貯金口座の残高を収益に計上すべきとして、
当該法人の確定申告において、特段の処理を行わず、
放置していたところ、調査において、
下記の取扱規定に則り処理すべきであり、
もって係る取扱いに該当するものは益金計上すべきとして更正処分
を行ったところ、かかる処理は下記、
法人税法22条4項が定めるいわゆる公正処理基準には該当しない
として不服として、これを提起したものである。
取扱規定
残高10,000円以上で、
貯金者に送付した郵便物が宛先不明等で返却された貯金口座の残高
について、
最終取引日から10年を経過した日の6か月後の応当日の属する事
業年度の収益に計上すべき
第二十二条
内国法人の各事業年度の所得の金額は、
当該事業年度の益金の額から当該事業年度の損金の額を控除した金
額とする。
2
内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の益金の
額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、
資産の販売、有償又は無償による資産の譲渡又は役務の提供、
無償による資産の譲受けその他の取引で資本等取引以外のものに係
る当該事業年度の収益の額とする。
4
第二項に規定する当該事業年度の収益の額及び前項各号に掲げる額
は、
一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従つて計算され
るものとする。
上記の休眠預金に対する処理方法は、もともとは、
大蔵省が全銀協による照会に対して応答したものが根拠となってお
り、その取扱は、金融業務に携わる機関としては、
概ね一般性があるものと考えられる。
本来的には、法人自身が定めた取扱規定に反する時点で、
大きな問題になるものではないのではないかとも考えられるところ
ではあるが、
また特殊な機関における更に限定的な事案に対する益金計上に対し
て、その妥当性が争われたものと捉えれることも可能であろうが、
その中心的な争点は公正処理基準への該当性を巡るものである。
すなわち本件は、
農協が金融機関として預かる貯金に対していわゆる休眠預金が発生
した場合において、何ら処理することなく、
確定申告を迎えた請求人対して、一定の基準に従って、
当該休眠預金の金額相当額を雑益勘定において益金として計上すべ
きとした事案であり、
上記のように自己の定めた処理方法にも従っていないという点でも
合理性に欠けるところではあるが、
問題となった収益の計上基準が公正処理基準へ合致しているのか、
特に複数の計上基準が想定されうる場合(実務上は、
会計基準自身が、
実態の開示においてその情報提供を主目的とする以上、
一定の処理方法の選択が認められうるところではあるし、
具体的な計上基準において複数の方法が併存することは容易に想定
されうる)において、
如何なる処理をもってその妥当性を評価すべきであるのかという点
に対しては、有益な事例であると考えられる。上記のように、
限定的な機関における特殊な事案を基礎とした判断ではあるが、
公正処理基準への該当性が中心的な争点であり、
特に複数の処理方法が対立する場合において租税法が要請する、
若しくは租税法の基本原則に合致する処理方法は如何なるものであ
るのかという点が、つまりは、租税法が当該複数の処理方法、
計上基準の間で如何なる理由をもってその合理性を許容するもので
あるのかという点が、問題であり、
公正処理基準をもってき原則的な処理方法とすることは基本的に動
かないが、
その中心をなす権利確定の概念の例外として如何なる状況がその適
用を肯定するものであるのかという点が重要な問題となる。
総論として、本件の判断の結論は、私見としては賛意を示すが、
請求人が主張する計上基準と自身が定めた取扱規定との複数の処理
方法の中で、選択適用する観点からであり、
恣意性排除の観点からは合理性(
これが公正処理基準の主たる基準でもあるのかもしれないが、
違法損金計上の否認なども公正処理基準を構成する要素と考えられ
る)があるものと考えられるが、
当該処理が公正処理基準として評価されうるものとして理解される
か否かという点は、より検討が必要なものであるだろう。
このように、本件の中心的な争点は、
課税庁が選択した取扱規定に基づく収益計上が益金計上の基準とし
て、公正処理基準を構成する、
該当するものであるのかという点である。
かかる点に対してはまずは、
この昭和60年大蔵省照会解答に基づく処理が処理基準として租税
法が要請する22条4項に該当するものであるのかという点が検討
されることになる。
一般論として、公正処理基準は、
法に多くの処理基準を委ねるものではなく、
一般に公正妥当と認められる程度の合理性が担保されるならば、
法の範囲外にある処理基準にもって原則的に法人税法の計算におい
てもこれを準用するものであり、納税者や課税庁も含め、
総合的な課税に関する負担の軽減をその趣旨を図ったものであると
理解するならば、
周辺の法制度等の変更等も反映した形で起動的に対応することも、
想定されているものと考えられる。しかるに、本件とは離れるが、
当該基準の制定当時と、
必ずしも現状は事情が異なっている可能性があるのではないか。
少なくともそのような可能性は考慮されるべきであり、
制定当時の状況において公正処理基準としての妥当性が認められる
としても、
現況においてその該当性が一律に認められるものと解することは困
難であろう。
このように、当該基準の策定当時の状況や制度の趣旨、背景・
前提といった議論の素地がまずは探索されるべきであり、
この理解が係る基準の性格の検討から、
公正処理基準としての合致を判断する上で必要なのではないか。
本件ではこのような歴史的な展開に対する検討は特に行われておら
ず、策定のプロセスをもって、その妥当性を判断しており、
かかる点で充分とはいえないとも考えられる。
法が求める公正妥当という実質的な判定を行う上で、
かかる策定プロセスにのみ依拠する判断はより詳細に検討されるべ
きだろう。本件では公正処理基準の解釈として、
先行事例として重要な位置づけを与えられている平成5年の最判を
基礎としているが、その中で、下記のように、
ある収益をどの事業年度に計上すべきかは、
一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従うべきであり、
これによれば、収益は、その実現があった時、すなわち、
その収入すべき権利が確定したときの属する年度の益金に計上すべ
きものと考えられる。もっとも、法人税法第22条第4項は、
現に法人のした利益計算が法人税法の企図する公平な所得計算とい
う要請に反するものでない限り、
課税所得の計算上もこれを是認するのが相当であるとの見地から、
収益を一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って計上す
べきものと定めたものと解されるから、
上記の権利の確定時期に関する会計処理を、
法律上どの時点で権利の行使が可能となるかという基準を唯一の基
準としてしなければならないとするのは相当でなく、
当該法人が収益計上の基準の中から特定の基準を選択して継続して
収益を計上すること自体は許されると解すべきであるが、
この収益計上が一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に合致
し、法人税法上正当な会計処理として是認されるためには、
当該法人が選択した収益計上の基準が、
取引の経済的実態からみて合理的なものとみられることが必要と解
すべきである(最高裁平成5年11月25日第一小法廷判決・
民集47巻9号5278頁参照)。
引用して、法人税法の基本的要請として、
公平な所得計算の要請をあげて、
この基本的な要請に反しない限り、
原則的には権利の確定をもって益金への計上を認めるべきであるが
、一定の例外も認められるべきであるとしている。
私見としても公正処理基準の上記のような意図から考えれば、
この点は公正処理基準の解釈としてはほぼ確立したものと判断され
るが、
如何にしてその例外として許容されるものであるのかという点が問
題となるだろう。
この点において、上記は、
公正処理基準としての該当性を取引の経済的実態からみて合理的な
ものであることが必要としている。
この点が公正処理基準としての該当性を巡る上で、
主たる課題であり、法人税法において、益金の計上基準としては、
法的な権利の確定をもって第一義としつつもの、
例外的に経済的実態との合理性の判断から法的な権利の確定を待た
ずに益金の計上が認められる余地があるものと理解される。
ここで問題となるのが、
最判が示すところの経済的実態が如何なるものであり、
例えば複数の処理方法が存在する場合において如何なる点が経済的
実態との関連で合理性を有するものであるのかという点が必ずしも
定かではないと理解されるところである。
この例外的に許容される理由は必ずしも明示的ではない点が、
特に経済的実態との合理性判断が如何なる点に依拠するのか明示的
ではないことは租税法律主義の観点から不十分な点であろう。
また、本件では一定の事実関係にある預貯金に対して、事実上その預貯金の返金の可能性はないという経済的実態を反映させ、法的には権利は確定していないものの、すなわちこのようなケースでは時効による金員の取得であり、この時効を利益を得るためには、その援用があって初めて、取得できるものであるが、事実関係に基づき、事実上、収益の実現があったものとしてその益金計上を法人税法上も許容するものである。この実現の概念がそもそもいかなるものであるのかという点は定かではなく、また、所得として本質的な要素として所得の実現を挙げることは、法的な根拠として22条2項の解釈論としてはありうるものの(現状では原則として権利の確定がすなわちで結ばれており、所得の実現はもっって権利の確定を一義的に意味するものと考えられる)、何をもって実現したと判断しているのかという点で不明確な状況であろう。この点で充分な議論が必要であるように考えられるが、あくまでも実現基準は会計学上の概念として合理的な収益計上基準であり、いかに22条4項の規定があったとしても当該基準が法人税法上許容されるか否かという判断プロセスをへる必要があるといえよう。上記のように原則的には法的な権利の確定をもって計上することが、法人税法上も合理的な処理であり、法人税法の基本的な要請である公平な所得計算という点及び経済的実態からの合理性の判断から、いわば、本件判断はいわば前倒し計上を認めたものと解される。この点で、上記と照らして如何にして例外的な処理、益金計上を認めたのかその点を明らかにする必要があると考えられる。
私見では、この益金計上の根拠は、金員を事実上管理支配していることが、前提としてあるのではないかと考えられる。このような管理支配の現状を加味して、これが益金計上のタイミングとして妥当か否か判断されることになる。実現概念が法的に所得を構成するものとして認められるうるのかという点は議論の余地があるが、実質的に管理支配を行い、また、返金の可能性が少ない以上、益金として計上することは公正処理基準として該当性を持ち得るといえる。もちろんこのような管理支配関係にあることの認定は、納税者の状況に左右されるものであり、恣意性の介入する余地があり、慎重であるべきであるが、本件のように業界としての一定の基準として認められ、客観的な事実関係に基づく認定を行う基準として整備している以上、収益計上の合理性は担保されうると捉えられる。
加えて本件では、納税者である請求人が主張する一定の調査を行った上での益金計上を認める取扱と自己が定めた取扱規定の処理方法との合理性が争われている。すなわち複数の方法が主張されている。判断では納税者の主張する一定の調査を前提とする方法は、恣意性の介入する余地が大きく、また、経済的実態と比較して合理的ではないとの評価からその適用を否定している。前記のように、いかなる基準をもって経済的実態を捉え、その合理性を否定しているのかは定かではないが、この根拠が更に検討されるべきであるだろう。本件では、請求人の主張する一定の調査を前提とする方法は請求人の恣意性の介入する余地が取扱規定の処理方法よりもあり、その点で合理性にかけることは重要である。
また、一定の公正処理基準としての妥当性がある複数の処理方法が併存する場合も問題である。会計処理上はこのような複数の処理方法が存在する場合もありうるが、租税法の基本的な原則から考え、このような複数の処理方法の選択適用を認めることはそもそも、否定的であるべきである。継続的な適用が公正処理基準として例外を認める根拠ともなりうるが、このような複数の処理方法の存在自身がそもそも、納税者に選択の機会を提供し恣意的であり、租税法、法人税法の基本的な要請として、公平な所得計算の観点からは否定されるべきものでもあり、このような場合は、取引の状況も加味して恣意性の介入する余地が少ない方法をより合理的な方法として評価するべきである。
このように、本件でも問題になりうるところであるが、このような権利確定の例外的な処理方法による益金計上を認めるか否かは、大きく分類してその問題は、当該処理が公正処理基準としての妥当性を有する、若しくは法人税法の観点から許容されるべきものとして評価されうるものであるのか、また、複数の処理方法がありうる場合にいかにして一方の合理性を評価するのかという点に峻別されるものと捉えられる。このような場合、公平な所得計算の要請にもとづく恣意性の介入する余地の存在をいかに捉えるべきか、すなわち処理方法自身の合理性の評価、また複数の処理方法が併存している場合の評価基準として、複合的な意義を有するものと理解すべきであろう。
以上です。
毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。
裁決
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