具体的には、本件は、請求人たる納税者が確定申告において、妻たるフィリピン出身者の国外に居住する親族を、14人(!!!)、扶養対象として申告したところ、これを課税庁が否認したことを不服として、提起したものである。なお、国外居住の親族として申告されたものは、同居等を行っていない。判断としては、最終的に送金の事実関係が確認できないとして国外親族の一部を控除対象親族から除外している。
本件は、日本に居住する納税者が国外に居住する親族を扶養対象者として申告した、ある意味、都市伝説として聞き及んでいた事例が、実際に問題にされた事案である。実務的に、このような複数のかつ国外、大量の扶養控除の対象として申告した人がいるか定かではないが(おそらく、一人ぐらいはいるのでは・・・)、制度論としてはかねてより、このような存在によるリスクは、本来的な扶養控除の趣旨目的に反するものであり、潜脱行為として問題視する検討はあるものの、事実として裁決として争われた事案は非常に珍しいものであり、現在我が国の所得税法が、扶養控除を含む大幅な家族関係に対して如何にして現状に適応した租税負担を行うべきであるのかという点を議論している中で、事実上、現実の状況と、扶養控除のミスマッチが顕在化したケースとして本件は捉えられるべきものであると考えられよう。
扶養控除は子ども手当等、幾多の制度改正を経て、制度自体、比較的長期間に渡って導入されており、国民一般においても扶養対象の担税力の現象に関しては一定のコンセンサスが形成されているものと考えられるが、導入当初の一定の家族関係を前提とした理解、おそらくは、夫婦、子供、祖父母等親族、という関係性は現代の家族関係においては、もはや現実的な適合を欠くケースが発生してきており、国外親族の存在などは、導入当初の制度趣旨においては想定の範囲外であったであろう。いずれにしてもこのようなミスマッチ、社会環境、家族関係の変化に対して、如何にして租税制度、所得税が対応していくべきであるのかという点を検討する上で、本件は示唆を含むものである。
現時点では米国において導入されているn分n乗制度の導入など(かつての議論の焼き増しのような)検討案が存在しているが、如何にして租税制度と家族制度・状況を対応させるべきであるのか、実際に想定される家族関係を如何にして設定していくのかという基本的な考え方が未だ未整理であり、方向性として如何なる家族関係を基本としていくのかという点は現状において議論から明示的ではないものと考えられる。
従って、本件で中心的な争点となった扶養控除においても導入当初からは、少人数世帯の増加や少子高齢社会の現実化等により、大きくその性格を異にした社会状況となっており、法令解釈のベースとなる基本的な趣旨目的が共通しているのか、あるいは同一視したうえで、議論を行うべきであるのかという点は、基本的な課題として認識されるべきものいえる。
また、解釈論として扶養控除の意義も、所得税法84条が以下のように定め、施行令において、一定の判断の補足を行っているが、
第八十四条
居住者が控除対象扶養親族を有する場合には、その居住者のその年分の総所得金額、退職所得金額又は山林所得金額から、その控除対象扶養親族一人につき三十八万円(その者が特定扶養親族である場合には六十三万円とし、その者が老人扶養親族である場合には四十八万円とする。)を控除する。
2
前項の規定による控除は、扶養控除という。
(1) 配偶者以外の親族(6親等内の血族及び3親等内の姻族をいいます。)又は都道府県知事から養育を委託された児童(いわゆる里子)や市町村長から養護を委託された老人であること。
(2) 納税者と生計を一にしていること。
(3) 年間の合計所得金額が38万円以下であること。
(給与のみの場合は給与収入が103万円以下)
(給与のみの場合は給与収入が103万円以下)
(4) 青色申告者の事業専従者としてその年を通じて一度も給与の支払を受けていないこと又は白色申告者の事業専従者でないこと。
として控除対象扶養親族は、所得税法第二条33項において
三十三
控除対象配偶者 居住者の配偶者でその居住者と生計を一にするもの(第五十七条第一項(事業に専従する親族がある場合の必要経費の特例等)に規定する青色事業専従者に該当するもので同項に規定する給与の支払を受けるもの及び同条第三項に規定する事業専従者に該当するものを除く。)のうち、合計所得金額が三十八万円以下である者をいう。
この解釈論としても議論があるところであるが、基本的に金額基準と居住者との生計を一にするするものという要件の充足がその基準となっているという解釈は文言に忠実であろう。
しかしながら、金額基準としては明確ではあるものの、生計を一にするという文言が必ずしも明らかではないということで、その意義が従来議論されている。この生計を一にするという文言において、その解釈を如何なるものと捉え、判断基準が如何なるものと捉えられるのかという問題の素地がある。
本件裁決でも、この判断基準として、同居以外の親族に対して、基本的には通達の解釈を準用し、画一的な同居親族以外に対して扶養親族の存在を判断する基準として生計費の送金の事実が確認できるのかという点を基本的な判断基準としている。裁決事例である以上、この基準の合理性が問われることはないものの、また、私見として法律の根拠が如何なる点にあって、生計費の送金を根拠としているのか定かではなく、必ずしも上記条項の解釈として合理的な、若しくは一律の判断基準として妥当であるのかという点は議論の余地があるものと捉えられる。執行の便宜を考慮するならば、一律に判断することの合理性は否定しようのない事実であり、基本的には妥当な解釈であるように考えられる。しかしながらこのような一律の解釈が本件のような本質的な趣旨に反する状況を発生させていることも事実であり、基本的な根拠として送金事実の確認をもって判断することの妥当性は改めて議論の俎上に載せ、法的根拠、さらには、扶養控除の本来的な趣旨目的に対応した、例外的な部分における判断基準を生計費の送金がない場合においても認められる余地がないのか検討するべきである。
そもそも、この具体的な判断基準として生計費の送金が提示されているが、何をもって生計費というのか、一体どの程度の生計費の負担であれば、生計を一にするものと判断されるべきものとして捉えられるのかという点は、法文の中からは導出されていない。特に生計費を如何なるものとして定義するのかという点はより詳細な検討が必要な項目であるのではないだろうか。
一律に送金の事実をもって判断することが妥当であるのかという点は、上記のように、執行の便宜を考慮すれば一定の合理性を持つものといえるが、まずは扶養控除の基本的な性格を理解し、その上で制度を構築した、立法趣旨を把握することが前提となるべきであり、さらに、生計を一にするという文言の意義から判断されることが法の文言に忠実な判断であろう。必ずしも一律に判断することのみが妥当なものではなく、例外として送金の事実以外の要素を考慮することでより合理的な趣旨に合致する扶養控除の対象となる控除対象扶養親族の範囲が確定するものと考えられ、生活の中心となる家族関係の租税負担能力を反映させ、所得税負担を通じた適正な課税を実現するという基本的な要請に合致するものといえ、かかる点から送金の事実関係以外の考慮要素も加味した総合的な判断を行うことが、より法の文理に叶うものではないかと考えられる。
以上のように、本件のように、国外に居住する控除対象扶養親族に対しては、立証責任を転換し、納税者により所得証明等の挙証を求めるべきであり、一律に扶養控除の対象として規律する現行制度の、より詳細な、精緻な扶養控除の対象となる控除対象扶養親族の再設計が必要であるように考えているが、立法の範囲に属する問題であり、あくまでも本件のような本質的な制度趣旨に反する可能性をいかにして防止していくのかという部分的な対応に留まるものの、現状の家族関係や国際的な移動の可能性を考慮するならば、より細分化された扶養控除の制度検討が必要であるように考えられる。特に国外に存する者は、そもそもとして国内に居住するものと比してその生計費の水準は異なるものであり、控除対象扶養親族の判定において一律な金額基準を適用することもあわせて問題であると認識しているところではあるが、金額基準の妥当性も含め、本件のような扶養控除の活用による租税回避行為の防止に向けて立法における対応が必要なタイミングにあるように認識されるべきであると考える。
以上、毎度のごとく論文Stockとして作成しているものですので完成度は低いですが、参考までに。