2017年3月30日木曜日

判例裁決紹介(平成28年4月7日、控除対象扶養親族の意義)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介(だいぶ手許に溜まってきたのでなんとかしないと・・・)を作成しました。今回は平成28年4月7日裁決で扶養対象親族・扶養控除の意義・該当性が問題となったものです。

具体的には、本件は、請求人たる納税者が確定申告において、妻たるフィリピン出身者の国外に居住する親族を、14人(!!!)、扶養対象として申告したところ、これを課税庁が否認したことを不服として、提起したものである。なお、国外居住の親族として申告されたものは、同居等を行っていない。判断としては、最終的に送金の事実関係が確認できないとして国外親族の一部を控除対象親族から除外している。

本件は、日本に居住する納税者が国外に居住する親族を扶養対象者として申告した、ある意味、都市伝説として聞き及んでいた事例が、実際に問題にされた事案である。実務的に、このような複数のかつ国外、大量の扶養控除の対象として申告した人がいるか定かではないが(おそらく、一人ぐらいはいるのでは・・・)、制度論としてはかねてより、このような存在によるリスクは、本来的な扶養控除の趣旨目的に反するものであり、潜脱行為として問題視する検討はあるものの、事実として裁決として争われた事案は非常に珍しいものであり、現在我が国の所得税法が、扶養控除を含む大幅な家族関係に対して如何にして現状に適応した租税負担を行うべきであるのかという点を議論している中で、事実上、現実の状況と、扶養控除のミスマッチが顕在化したケースとして本件は捉えられるべきものであると考えられよう。

扶養控除は子ども手当等、幾多の制度改正を経て、制度自体、比較的長期間に渡って導入されており、国民一般においても扶養対象の担税力の現象に関しては一定のコンセンサスが形成されているものと考えられるが、導入当初の一定の家族関係を前提とした理解、おそらくは、夫婦、子供、祖父母等親族、という関係性は現代の家族関係においては、もはや現実的な適合を欠くケースが発生してきており、国外親族の存在などは、導入当初の制度趣旨においては想定の範囲外であったであろう。いずれにしてもこのようなミスマッチ、社会環境、家族関係の変化に対して、如何にして租税制度、所得税が対応していくべきであるのかという点を検討する上で、本件は示唆を含むものである。

現時点では米国において導入されているn分n乗制度の導入など(かつての議論の焼き増しのような)検討案が存在しているが、如何にして租税制度と家族制度・状況を対応させるべきであるのか、実際に想定される家族関係を如何にして設定していくのかという基本的な考え方が未だ未整理であり、方向性として如何なる家族関係を基本としていくのかという点は現状において議論から明示的ではないものと考えられる。

従って、本件で中心的な争点となった扶養控除においても導入当初からは、少人数世帯の増加や少子高齢社会の現実化等により、大きくその性格を異にした社会状況となっており、法令解釈のベースとなる基本的な趣旨目的が共通しているのか、あるいは同一視したうえで、議論を行うべきであるのかという点は、基本的な課題として認識されるべきものいえる。

また、解釈論として扶養控除の意義も、所得税法84条が以下のように定め、施行令において、一定の判断の補足を行っているが、
第八十四条  居住者が控除対象扶養親族を有する場合には、その居住者のその年分の総所得金額、退職所得金額又は山林所得金額から、その控除対象扶養親族一人につき三十八万円(その者が特定扶養親族である場合には六十三万円とし、その者が老人扶養親族である場合には四十八万円とする。)を控除する。
 前項の規定による控除は、扶養控除という。
(1) 配偶者以外の親族(6親等内の血族及び3親等内の姻族をいいます。)又は都道府県知事から養育を委託された児童(いわゆる里子)や市町村長から養護を委託された老人であること。
(2) 納税者と生計を一にしていること。
(3) 年間の合計所得金額が38万円以下であること。
 (給与のみの場合は給与収入が103万円以下)
(4) 青色申告者の事業専従者としてその年を通じて一度も給与の支払を受けていないこと又は白色申告者の事業専従者でないこと。
として控除対象扶養親族は、所得税法第二条33項において
三十三  控除対象配偶者 居住者の配偶者でその居住者と生計を一にするもの(第五十七条第一項(事業に専従する親族がある場合の必要経費の特例等)に規定する青色事業専従者に該当するもので同項に規定する給与の支払を受けるもの及び同条第三項に規定する事業専従者に該当するものを除く。)のうち、合計所得金額が三十八万円以下である者をいう。

この解釈論としても議論があるところであるが、基本的に金額基準と居住者との生計を一にするするものという要件の充足がその基準となっているという解釈は文言に忠実であろう。
しかしながら、金額基準としては明確ではあるものの、生計を一にするという文言が必ずしも明らかではないということで、その意義が従来議論されている。この生計を一にするという文言において、その解釈を如何なるものと捉え、判断基準が如何なるものと捉えられるのかという問題の素地がある。

本件裁決でも、この判断基準として、同居以外の親族に対して、基本的には通達の解釈を準用し、画一的な同居親族以外に対して扶養親族の存在を判断する基準として生計費の送金の事実が確認できるのかという点を基本的な判断基準としている。裁決事例である以上、この基準の合理性が問われることはないものの、また、私見として法律の根拠が如何なる点にあって、生計費の送金を根拠としているのか定かではなく、必ずしも上記条項の解釈として合理的な、若しくは一律の判断基準として妥当であるのかという点は議論の余地があるものと捉えられる。執行の便宜を考慮するならば、一律に判断することの合理性は否定しようのない事実であり、基本的には妥当な解釈であるように考えられる。しかしながらこのような一律の解釈が本件のような本質的な趣旨に反する状況を発生させていることも事実であり、基本的な根拠として送金事実の確認をもって判断することの妥当性は改めて議論の俎上に載せ、法的根拠、さらには、扶養控除の本来的な趣旨目的に対応した、例外的な部分における判断基準を生計費の送金がない場合においても認められる余地がないのか検討するべきである。

そもそも、この具体的な判断基準として生計費の送金が提示されているが、何をもって生計費というのか、一体どの程度の生計費の負担であれば、生計を一にするものと判断されるべきものとして捉えられるのかという点は、法文の中からは導出されていない。特に生計費を如何なるものとして定義するのかという点はより詳細な検討が必要な項目であるのではないだろうか。

一律に送金の事実をもって判断することが妥当であるのかという点は、上記のように、執行の便宜を考慮すれば一定の合理性を持つものといえるが、まずは扶養控除の基本的な性格を理解し、その上で制度を構築した、立法趣旨を把握することが前提となるべきであり、さらに、生計を一にするという文言の意義から判断されることが法の文言に忠実な判断であろう。必ずしも一律に判断することのみが妥当なものではなく、例外として送金の事実以外の要素を考慮することでより合理的な趣旨に合致する扶養控除の対象となる控除対象扶養親族の範囲が確定するものと考えられ、生活の中心となる家族関係の租税負担能力を反映させ、所得税負担を通じた適正な課税を実現するという基本的な要請に合致するものといえ、かかる点から送金の事実関係以外の考慮要素も加味した総合的な判断を行うことが、より法の文理に叶うものではないかと考えられる。

以上のように、本件のように、国外に居住する控除対象扶養親族に対しては、立証責任を転換し、納税者により所得証明等の挙証を求めるべきであり、一律に扶養控除の対象として規律する現行制度の、より詳細な、精緻な扶養控除の対象となる控除対象扶養親族の再設計が必要であるように考えているが、立法の範囲に属する問題であり、あくまでも本件のような本質的な制度趣旨に反する可能性をいかにして防止していくのかという部分的な対応に留まるものの、現状の家族関係や国際的な移動の可能性を考慮するならば、より細分化された扶養控除の制度検討が必要であるように考えられる。特に国外に存する者は、そもそもとして国内に居住するものと比してその生計費の水準は異なるものであり、控除対象扶養親族の判定において一律な金額基準を適用することもあわせて問題であると認識しているところではあるが、金額基準の妥当性も含め、本件のような扶養控除の活用による租税回避行為の防止に向けて立法における対応が必要なタイミングにあるように認識されるべきであると考える。

以上、毎度のごとく論文Stockとして作成しているものですので完成度は低いですが、参考までに。

2017年3月29日水曜日

判例裁決紹介(平成28年3月1日、転々とする個人の住所判定)

さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は、平成2831日採決で、居住者の住所認定、海外の子会社を経営する役員が転々と各地を回っているような生活環境において生活の本拠が如何なる箇所にあるのかということが問題となった事例です。

具体的には、請求人たる納税者がまず、居住者として確定申告を行い、その後、代表者として経営を行う、海外のグループ会社の経営に携わっていたとして、生活の本拠が我が国になく、実際は非居住者であるとして我が国における居住者ではないとして更正の請求を行ったところ、課税庁がこれを否認し、当該更正の請求を否認した処分の取り消しを求めた事案が本件である。当該請求人は、一定の場所に長期間滞在することなく、居所地を転々等しており、いずれのグループ会社においても経営の中枢として、代表者たる地位を有し、不可欠の存在として活動をしており、妻等の家族は日本に居住していた。

所得税法第213
 居住者 国内に住所を有し、又は現在まで引き続いて一年以上居所を有する個人をいう。

民法第22
各人の生活の本拠をその者の住所とする。

本件は基本的には、居所を転々とするような納税者に対して、如何にして住所を認定するのかという点が問題となったものであり、中心的には納税義務の存在を決定する居住者への該当性を議論するにあたり、事実認定が問題となったものである。

この租税法規、少なくとも所得税法における上記居住者の意義における住所とはいかなるものであるのかという点に関しては最高裁の判断により、住所とは生活の本拠であり、民法の上記生活の本拠と同様の概念としていわば借用概念として判断されている。この点は学説においても異論はなく、基本的にはこの生活の本拠とはいかなるものであるのかという点が課題であるところである。すなわちまだまだ生活の本拠とは具体的に如何なるものとしてとらえられるべきであるのかという点は検討の余地がある。
また、民事法上も基本的には、当該居住を行う者の、居住を行う意思に委ねる判断ではなく、客観的な事情を考慮して生活の本拠を決定すべき判断プロセスが主たるものとして採用されており、租税法規においても基本的に同一と考えられる。しかしながら、この生活の本拠において、納税者の主観的な事情を一切考慮しないという判断ではなく、租税負担の公平性を確保するためにも総合的な判断によるべきであって、一律に客観的な事情のみをや主観的な事情のみに依拠した判断は忌避されるべきものと考えられる。

本件は、このように、民事法、租税法双方において採用される生活の本拠という概念が必ずしも明らかではないという状況下において当該意義を具体化するうえで参考となるものであると言えよう。
特に従来の住所認定の議論は一定の期間の継続的な居住【断続的なものも含む】実態の有無が中心的な問題とされてきたが、本件は非常にレアな事実関係を基礎としつつも一定の居住実態よりは、むしろ転々とする状況下において、我が国に住所があるのか否かという点が争われたという点で参考となるものといえるのではないだろうか。この点で本件は判断としては住所の存在を国内にあるという判断を行っているが、その判断は居住の実態以外の要素を考慮して決定しており、かかる点で興味深いものと捉えられる。

上記のように、本件の判断の基礎となる住所概念は最高裁の判断以来、生活の本拠ということで一致しており、この点は本件も踏襲している。ここで本件の事実関係からその生活の本拠が国内に存在していたのか否かという点を判断している点で、基本的に法令解釈としては特に新規性はないものともいえる。

しかしながらこの生活の本拠という概念は必ずしも明らかなものではなく、例えば複数の居所地を有しているような場合は、あるいは本件のように複数国を転々と移動しているような場合、何をもって生活の本拠という概念に合致するのかという点を判断することは困難である。この点が定かではなく、かかる点が本件の問題の起点となっている。

この点は法令解釈がより精緻化すべきものであり、最高裁の判断を踏まえ、如何なるものが生活の本拠という概念に合致するのかという点をより検討していくべきものと考えられる。
本件判断は、基本的な判断過程を最高裁の判断プロセスによっており、この点で従来と整合的である。また、単なる居住関係の実態や納税者の意思、等々個々の判断要素に固執することなく、総合的に判断している点も妥当なものと考えられる。

私見としては、本件のような転々と居所を移転するような場合等に対して生活の本拠とはいかなる関連を有するのかという点が、興味深い。すなわち、住所とは複数の存在を認められうるのかという点がまず問題となるだろう。本件では住所認定において滞在日が重要な認定の判断材料の一つとなっているが、この生活の本拠と滞在日数がいかにして関連するのかという論理的な根拠、法的な根拠は示されていない。
本件に代表されるように、近年の経済環境においては、国内国外を問わず、自然人がその居所地を複数有しているようなケースは容易に想定される。私見としては上記所得税法は法令上、その居住者の定義として
①国内に住所を有するもの
⓶現在まで国内に引き続いて一年以上居所を有する個人
を並列に規定していることから、また住所の基本的な概念として生活の本拠であることからも、本拠という文言は比較的に、一定の活動の拠点となるべきものを表すものであるから、基本的に租税法規においては、住所概念は複数の箇所の内、一か所を表すものと解すべきであり、この点は、上記住所規定が居住者の該当性を支える定義規定であり、納税義務の存在を明示的にする制度的な趣旨を有していることからも肯定されるものと考えられる。

このように考えると、生活の本拠を構成する要素として、まずは、「生活」とはいかなる意義を有するのかという点が課題となるだろう。生活という用語それ自体が非常に多義的であり、この意義の確定がまずは重要な課題であると指摘できる。この意義をいかに解するかということによって立証すべき活動、生活の状況が異なるものになるものだろう。
また、本拠をいかにして認定するのかという点が問題である。単一の居所地である場合は上記のような問題は発生しないが、住所を単一の物と捉え、複数の居所地から、如何にして本拠を見出すのかという点が更に問題となる。納税者の主観的な本拠地の認定を許容するのかということにもなりかねないが、本拠の認定において納税者の意思も考慮しつつ課税要件の充足を認定する客観的な事情が検討される必要がある。

本件のような場合は、特に近年の経済活動の多様化、国際化を反映し、居住者判定において、複数の居所地の存在が想定され得るものである。上記のように私見としては、生活の本拠という概念は原則として単一の居所地を決定すべきことをその意義として解されるべきであり、この点が従来と社会状況の変化を反映すべきものではないだろうか。立法によって単に生活の本拠という概念に委ねるよりもより要件を厳格化・明示化した住所の概念の立法化が図られるべきものといえる。現状では、立法によって明示化による住所概念の活用した租税回避のリスクも発生するが、今後の課題として住所概念の明確化は租税法の基本的な要請として、また納税義務の存在を明らかにする上でも立法によって解決されるべきものと考えられる。

このように考えると、本件のように転々と居所を移動するような場合において、複数の居所地から如何にして本拠地を決定するべきであるのかという点が問題となるが、本拠地の認定、決定は納税者の主観的な居住の意思等、主観的な事情が避けられない。この点で租税法規の事実認定、法令の解釈としては必ずしも租税法の基本原則の観点から妥当とは評価すすることは困難であるだろう。従って、私見としては上記のように所得税法2条の居住者の定義は単に生活の本拠という住所概念のみを定めているものではないことに着目する。すなわち、住所概念と並列的に現在まで国内に引き続いて一年以上居所を有する個人という定義を設けていることからもこの適用の有無が問題となるものと考えられる。
この場合、まだまだ、法令解釈上の問題は多い。例えば居所を有するとはいかなるものであるのか。住所が居住の実態に基づくものであるのに対して、定義に該当する居所地の存在、所有が問題になるように、考えられる。他にも、現在とはいかなるタイミングであるのか、引き続いてとは、連続的な概念であるのか、断続的でもよいのか等々、検討すべき点はあるものといえる。
居所を有するとは単に居所地を所有するもの場合に限るものではなく、納税義務から考えれば賃借等一定の利用可能な状況にある事を意味するものと解されるが、住所となる本拠地と居所は如何にして区分けされるのか、その意義はいかなるものと捉えられるのかという点は検討されるべき課題であるのではないだろうか。

いずれにしても、住所概念と並列的に規定されるこの居所を有する個人という規定はいかなる趣旨に基づいているのかという点から、住所の補完的な規定として、納税義務の存在を確定させる制度的な背景を見出すことが可能であるのかという点は、検討の余地がある。より詳細な制度背景の検討を行うべきかもしれない。

以上です。毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。

2017年3月18日土曜日

判例裁決紹介(平成28年3月23日裁決、無償譲渡等に関する第二次納税義務の成立要件)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、
平成28年3月23日裁決で、直接的な面識関係のない相手に対する、無償譲渡等にかかる第二次納税義務の対象者となりうるのか否かという点が争われたものです。
具体的には、
ライブチャット運営会社と共にライブチャットによる役務提供を行う納税者として事業所得の申告を行っていた請求人が、ライブチャットの顧客である納税者から、ライブチャット会社を通さず、やり取りを行い、金員を受け取っていた事実関係の下で、この顧客である納税者が租税を滞納した(滞納者)ケースにおいて、当該滞納者が支払った金員(請求人は、ライブチャットの役務提供に係る事業所得として申告)を理由に、下記国税徴収法第39条に定める無償譲渡等にかかる第二次納税義務を有する者に該当するか否かが争われた事案である。課税庁は、係る事実関係において請求人に対する第二次納税義務の成立を認め、請求人がこれを不服として提起したものが本件であり、本件判断もその成立を肯定した。
主として、当該金員は、滞納者が請求人の歓心を買う目的をもって支払ったものであり、請求人が契約するライブチャット機能を提供する会社を通じた役務提供ではなく、従って報酬規定等は存在せず、滞納者と請求人が個人的な関係において、プレゼント、旅費等への充当を図ったものである。

このような当該滞納者と請求人間においては、ライブチャット以外における直接的な面談、面識はない状況において第二次納税義務の対象となりうるのかという点が本件の中心的な争点である。
第三九条 滞納者の国税につき滞納処分を執行してもなおその徴収すべき額に不足すると認められる場合において、その不足すると認められることが、当該国税の法定納期限の一年前の日以後に、滞納者がその財産につき行つた政令で定める無償又は著しく低い額の対価による譲渡(担保の目的でする譲渡を除く。)、債務の免除その他第三者に利益を与える処分に基因すると認められるときは、これらの処分により権利を取得し、又は義務を免かれた者は、これらの処分により受けた利益が現に存する限度(これらの者がその処分の時にその滞納者の親族その他の特殊関係者であるときは、これらの処分により受けた利益の限度)において、その滞納に係る国税の第二次納税義務を負う。

以上のように、本件の中心的な争点は、上記のような事実関係における第二次納税義務の成立が上記国税徴収法39条に定める無償譲渡等の第二次納税義務の要件を充足するのかという事実認定が中心的な課題であろう。しかしながら、租税法規において第二次納税義務の成立は、通常、本来、各租税法規が定めた課税要件の充足以外において、何らかの特別な関係性を基礎として、当該特別の関係に対して一定の課税要件の充足と類似の関係を認め、本来の主たる納税者に続き、従たる納税義務を一定の制限を付した上で、認めるものであり、事実上、納税義務の発生していないところに、徴収の便宜、公平な租税負担の確保という趣旨から、制度化されたものであり、侵害規範たる租税法において、財産権の保護を図る租税法律主義と上記趣旨との衡平が問題の核心となるべきものである。従って、当該要件の解釈は従前、租税法規における重要な関心であった。本件はその延長として近年の役務提供が情報技術の発達に伴い、第二次納税義務の背景にある従来の特別な関係性を如何にして認識するのかという点で、重要なものであるのではないかと考えられる。

また、実務的には、その活用などは基本的に非常にレアなものであるだろうが、近年は企業の再生等、滞納者が問題となる事案は増加しており、当該要件の法解釈は重要な課題となるものと考えられる。

まず、第二次納税義務の成立要件たる無償等の譲渡が如何なる意義を有するものであるのかという点が課題であろう。本件では対価性の存在を重要な点としている。本件では上記条文の法令解釈として如何なるものが要件となるのか当該規定の趣旨が如何なるものであるのかという点を明らかにせず、当該対価性の存在をもって第二次納税義務の成立を認めている。
如何なる法令の解釈によって対価性を問題としたのかという点は本件において定かではないが、その根拠となるものが必ずしも明らかではない。本件では金員の支払いが贈与に該当するものと捉えられるが、低額で譲渡した場合も対価性が問題となる。

私見としては対価性の有無は、単に金員の授受に関する事実関係において判断されるものではなく、本件において、事業所得として申告した役務提供者と金員の支払いを行った滞納者との間では役務提供の認識に相違があるように、提供された譲渡、業務、役務の提供との関係から判断されるものであり、上記当事者間での認識の相違等に代表されるように当事者の意思が介在することになるものであり、第二次納税義務の成立の要件の法令解釈として対価性を前提として当事者の意思という主観的な要素が介入することで要件の充足が左右されることは問題であるのではないかと考えられる。本件でも提供した業務内容、役務の提供等は、ライブチャット会社が定めるものとは異なり、当事者の内心に依拠する不定なものといえる。如何にして業務・役務提供として認定、要件の充足を判断するのか問題となるものといえる。総合的な判断によるべきものであろうが、当事者間の意思が異なることも実際においては通常の取引においては存在するところではあり、契約の意思が必ずしも合致していない、齟齬がある要な場合において、無償や低額譲渡という要件を単に金銭のやり取りの事実関係において、特別の関係を認め、上記のようなバランスにおいて制度化された第二次納税義務の成立を判断することは困難であろう。

このように、無償の譲渡等の意義が必ずしも定かではない。以上のように対価性を如何にして導き得たのかという点は議論の余地があろうが、第二次納税義務の趣旨目的から鑑みるに、単に金銭等のやり取りをもって特別の関係を認め、第二次納税義務の成立を認める根拠は明らかではなく、法が要請する第二次納税義務の成立要件として起点となる行為である、無償の譲渡等に該当するのかという点は第二次納税義務の法令解釈として課題となる。第二次納税義務が主たる納税者以外に特別な関係をもって納税義務を負わせていることは、課税処分上、租税法律主義の基本的な要請として厳しい制度であり、この成立が上記のように財産権の保護と租税徴収の具体的な実現の確保という趣旨のバランスから構築されたものであると考えるならば、さらに、制度として二次納税義務の対象を、その受けた利益に限定することからも、その具体的な判定、基準は明確であるべきであり、本件では無償として受けた金員全てを利益額として特段の記述なく認定しているが、低額譲渡も含む規程として如何なるものが第二次納税義務の対象となる利益額となるのか決定する上でも必要であるものと考えられる

また、本件の基礎となった事実関係は、近年の情報技術の発達に伴い、一度も面談等がない、当事者間で発生したものであり、通常の経済活動において、想定されうるものではなく、異常な行為、計算が基礎となっていることは明らかではあるが、従来の異常な取引を基礎とする第二次納税義務の対象者とはその性格として異なるものであるのでは無いだろうか。確かに従前と同様、無償の譲渡等の取引が行われることは異常な取引であって、そこに特別な関係性を認めていることは整合的ではあるが、従前はこの第二次納税義務の成立は、事実関係の相違に起因するものでもあるものの、従前の特別な関係の前提として、租税負担の回避を図るような当事者間を基本的に想定していたものであり、本件のように独立の当事者間での成立を認めていることは注目に値するものでろう。換言すれば、基本的な第二次納税義務の趣旨を鑑みるに、租税負担の回避を図るような事実関係、意図を前提としたものをその対象としたものであり、確かに異常な取引を形成しており、形式的には成立要件を充足していることに異論は無いものの、本件のような異常な取引を形成した事実関係において、当該取引を第二次納税義務の対象として譲受人に対して第二次納税義務の成立を認めることは違和感がある。従前の当事者間とは異なり、一方の相手側に問題となるような行為の当事者であるという認識が必ずしも存在しないのではないだろうか。事業所得として申告していることからも、納税者の意識としては内心を活用した通常経済的取引であり、異常な行為ではあるものの、当事者間に於いて租税負担の回避等を図ったものでは無いことは明らかではないだろうか。

上記のように特別の関係を生み出す上で、第二次納税義務の成立において、租税負担の回避を防止し、適切な租税徴収の実現を図ることが、通常課税要件を充足していないにも限らず、二次納税義務の発生を肯定する基本的な制度趣旨であると考え、限定的に第二次納税義務の成立を解釈することは、法文を概観するに、厳密な文言解釈としては、困難であるかもしれない。しかしながら租税負担の回避等を生み出すような特別の関係性を前提とする考え方は、租税法の基本的な要請と第二次納税義務の性格から考えて文理解釈として必ずしも否定しうるものではないのではないのではないだろうか。もちろんこのような社会情勢の変動を捉え、本来の趣旨に立ち返り、立法論として対象の範囲を限定する検討は合理的な選択とも言えよう。

(基因すると認められるとき)
9 法第39条の「徴収すべき額に不足すると認められること」(以下9において「徴収不足」という。)が無償譲渡等の処分に「基因すると認められるとき」とは、その無償譲渡等の処分がなかったならば、現在の徴収不足は生じなかったであろう場合をいう。
また、本件では特に判断されていないが、上記39条においては、単に問題となる、要件の充足となるような行為の存在のみが第二次納税義務の成立の要件として導くことは妥当ではない。
法規においては、当該行為が滞納に関する徴収の不足に対して基因するものと認められるときという要件が規定されている。本件ではこの点に対しては、特に基因しているものであるとの認定、判断を行っていない。この点においても、本件判断は法の要請に従っているとは捉えることは困難であると評価可能である。

この徴収の不足に対して当該行為の基因すると認められるときという文言は、上記のように、通達において、一定の国税庁の解釈が示されているが、その意義は必ずしも明らかとはいえない。すなわち、単に、徴収不足と当該行為との間に、如何なる程度の因果関係を要するものであるのか、認められるということは如何なる主体(同族会社の行為計算の否認と同様に)において、必要であるのか等は、明示的ではなく、本件とは問題となっていないものの、より詳細な検討が必要であるものと考えられる。

以上のように本件は問題の起点となった事実関係は非常に特殊な事案ではあるが、係る点で事例判断と考えることも可能であるが第二次納税義務の成立が、如何なるものであるのかという法解釈を明らかにする上で、非常に検討すべき点を含んでいるように考えられる。
サービス(ライブチャット)の受益から一方の当事者において、個人間のやり取りとして変化したことが本件の事実関係において、問題の前提、起点となるべきものであるが、特にもd内の中心的な争点となった対価性の有無が上記のように課題と言えよう。本件判断は前記のように、単なる事実認定にのみ主軸をおいており、39条が定める第二次納税義務の成立要件の具体的な解釈、その背景となる制度趣旨の関係に関して、具体的な検討を行っていない。この点で不充分であるように捉えられる。
最終的には、請求人が自己の主張となる事故の役務提供の意思を示す証拠資料の提示を行っていないことからも、本件の判断を構成することになったと考えられるが上記のような検討を行うこともまた必要であるものと考えられる。
結論として本件の金員の支払いが贈与であることを否定しうるものではないが、第二次納税義務の成立に対する要件の充足を果たして満たしているのかという点はその立証、判断過程において問題があるようにも捉えられる。

なお、本件はライブチャットのような特殊な取引を前提としたものであり一般的な事情を検討する上では必ずしも参考となるべき部分が示されていないことも確かである。上記のような検討を行うことは重要であるが、本件が示すことは、このような特殊な取引における当事者の思惑の相違が現れていることが興味深く、租税事例の生々しさ、現実的な側面を示していることが本件の提示することであるだろう

以上です。毎度の如く、論文Stockとして作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。裁決

2017年3月10日金曜日

判例裁決紹介(平成27年12月1日裁決、休眠預金の益金計上基準)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、
平成27年12月1日裁決で、農業協同組合が営む貯金事業においていわゆる休眠預金が発生した場合いかなるタイミングで益金として計上すべきかという点が争われた事例です。

具体的には、貯金業務を営む農協が請求人となって、その保有するいわゆる休眠預金につき、大蔵省通達に基づく、また、自己の定めたルールとして下記の収益計上基準としているルールに従わず、請求人は、顧客宛通知書が返却された貯金者について解明調査を行い、行方不明であることや相続人のいないことが明らかになった日の属する事業年度において、当該貯金口座の残高を収益に計上すべきとして、当該法人の確定申告において、特段の処理を行わず、放置していたところ、調査において、下記の取扱規定に則り処理すべきであり、もって係る取扱いに該当するものは益金計上すべきとして更正処分を行ったところ、かかる処理は下記、法人税法22条4項が定めるいわゆる公正処理基準には該当しないとして不服として、これを提起したものである。

取扱規定
残高10,000円以上で、貯金者に送付した郵便物が宛先不明等で返却された貯金口座の残高について、最終取引日から10年を経過した日の6か月後の応当日の属する事業年度の収益に計上すべき

第二十二条  内国法人の各事業年度の所得の金額は、当該事業年度の益金の額から当該事業年度の損金の額を控除した金額とする。
 内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の益金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、資産の販売、有償又は無償による資産の譲渡又は役務の提供、無償による資産の譲受けその他の取引で資本等取引以外のものに係る当該事業年度の収益の額とする。
 第二項に規定する当該事業年度の収益の額及び前項各号に掲げる額は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従つて計算されるものとする。

上記の休眠預金に対する処理方法は、もともとは、大蔵省が全銀協による照会に対して応答したものが根拠となっており、その取扱は、金融業務に携わる機関としては、概ね一般性があるものと考えられる。

本来的には、法人自身が定めた取扱規定に反する時点で、大きな問題になるものではないのではないかとも考えられるところではあるが、また特殊な機関における更に限定的な事案に対する益金計上に対して、その妥当性が争われたものと捉えれることも可能であろうが、その中心的な争点は公正処理基準への該当性を巡るものである。

すなわち本件は、農協が金融機関として預かる貯金に対していわゆる休眠預金が発生した場合において、何ら処理することなく、確定申告を迎えた請求人対して、一定の基準に従って、当該休眠預金の金額相当額を雑益勘定において益金として計上すべきとした事案であり、上記のように自己の定めた処理方法にも従っていないという点でも合理性に欠けるところではあるが、問題となった収益の計上基準が公正処理基準へ合致しているのか、特に複数の計上基準が想定されうる場合(実務上は、会計基準自身が、実態の開示においてその情報提供を主目的とする以上、一定の処理方法の選択が認められうるところではあるし、具体的な計上基準において複数の方法が併存することは容易に想定されうる)において、如何なる処理をもってその妥当性を評価すべきであるのかという点に対しては、有益な事例であると考えられる。上記のように、限定的な機関における特殊な事案を基礎とした判断ではあるが、公正処理基準への該当性が中心的な争点であり、特に複数の処理方法が対立する場合において租税法が要請する、若しくは租税法の基本原則に合致する処理方法は如何なるものであるのかという点が、つまりは、租税法が当該複数の処理方法、計上基準の間で如何なる理由をもってその合理性を許容するものであるのかという点が、問題であり、公正処理基準をもってき原則的な処理方法とすることは基本的に動かないが、その中心をなす権利確定の概念の例外として如何なる状況がその適用を肯定するものであるのかという点が重要な問題となる。

総論として、本件の判断の結論は、私見としては賛意を示すが、請求人が主張する計上基準と自身が定めた取扱規定との複数の処理方法の中で、選択適用する観点からであり、恣意性排除の観点からは合理性(これが公正処理基準の主たる基準でもあるのかもしれないが、違法損金計上の否認なども公正処理基準を構成する要素と考えられる)があるものと考えられるが、当該処理が公正処理基準として評価されうるものとして理解されるか否かという点は、より検討が必要なものであるだろう。

このように、本件の中心的な争点は、課税庁が選択した取扱規定に基づく収益計上が益金計上の基準として、公正処理基準を構成する、該当するものであるのかという点である。かかる点に対してはまずは、この昭和60年大蔵省照会解答に基づく処理が処理基準として租税法が要請する22条4項に該当するものであるのかという点が検討されることになる。

一般論として、公正処理基準は、法に多くの処理基準を委ねるものではなく、一般に公正妥当と認められる程度の合理性が担保されるならば、法の範囲外にある処理基準にもって原則的に法人税法の計算においてもこれを準用するものであり、納税者や課税庁も含め、総合的な課税に関する負担の軽減をその趣旨を図ったものであると理解するならば、周辺の法制度等の変更等も反映した形で起動的に対応することも、想定されているものと考えられる。しかるに、本件とは離れるが、当該基準の制定当時と、必ずしも現状は事情が異なっている可能性があるのではないか。少なくともそのような可能性は考慮されるべきであり、制定当時の状況において公正処理基準としての妥当性が認められるとしても、現況においてその該当性が一律に認められるものと解することは困難であろう。

このように、当該基準の策定当時の状況や制度の趣旨、背景・前提といった議論の素地がまずは探索されるべきであり、この理解が係る基準の性格の検討から、公正処理基準としての合致を判断する上で必要なのではないか。本件ではこのような歴史的な展開に対する検討は特に行われておらず、策定のプロセスをもって、その妥当性を判断しており、かかる点で充分とはいえないとも考えられる。法が求める公正妥当という実質的な判定を行う上で、かかる策定プロセスにのみ依拠する判断はより詳細に検討されるべきだろう。本件では公正処理基準の解釈として、先行事例として重要な位置づけを与えられている平成5年の最判を基礎としているが、その中で、下記のように、

ある収益をどの事業年度に計上すべきかは、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従うべきであり、これによれば、収益は、その実現があった時、すなわち、その収入すべき権利が確定したときの属する年度の益金に計上すべきものと考えられる。もっとも、法人税法第22条第4項は、現に法人のした利益計算が法人税法の企図する公平な所得計算という要請に反するものでない限り、課税所得の計算上もこれを是認するのが相当であるとの見地から、収益を一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って計上すべきものと定めたものと解されるから、上記の権利の確定時期に関する会計処理を、法律上どの時点で権利の行使が可能となるかという基準を唯一の基準としてしなければならないとするのは相当でなく、当該法人が収益計上の基準の中から特定の基準を選択して継続して収益を計上すること自体は許されると解すべきであるが、この収益計上が一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に合致し、法人税法上正当な会計処理として是認されるためには、当該法人が選択した収益計上の基準が、取引の経済的実態からみて合理的なものとみられることが必要と解すべきである(最高裁平成5年11月25日第一小法廷判決・民集47巻9号5278頁参照)。

引用して、法人税法の基本的要請として、公平な所得計算の要請をあげて、この基本的な要請に反しない限り、原則的には権利の確定をもって益金への計上を認めるべきであるが、一定の例外も認められるべきであるとしている。私見としても公正処理基準の上記のような意図から考えれば、この点は公正処理基準の解釈としてはほぼ確立したものと判断されるが、如何にしてその例外として許容されるものであるのかという点が問題となるだろう。

この点において、上記は、公正処理基準としての該当性を取引の経済的実態からみて合理的なものであることが必要としている。この点が公正処理基準としての該当性を巡る上で、主たる課題であり、法人税法において、益金の計上基準としては、法的な権利の確定をもって第一義としつつもの、例外的に経済的実態との合理性の判断から法的な権利の確定を待たずに益金の計上が認められる余地があるものと理解される。ここで問題となるのが、最判が示すところの経済的実態が如何なるものであり、例えば複数の処理方法が存在する場合において如何なる点が経済的実態との関連で合理性を有するものであるのかという点が必ずしも定かではないと理解されるところである。

この例外的に許容される理由は必ずしも明示的ではない点が、特に経済的実態との合理性判断が如何なる点に依拠するのか明示的ではないことは租税法律主義の観点から不十分な点であろう。

また、本件では一定の事実関係にある預貯金に対して、事実上その預貯金の返金の可能性はないという経済的実態を反映させ、法的には権利は確定していないものの、すなわちこのようなケースでは時効による金員の取得であり、この時効を利益を得るためには、その援用があって初めて、取得できるものであるが、事実関係に基づき、事実上、収益の実現があったものとしてその益金計上を法人税法上も許容するものである。この実現の概念がそもそもいかなるものであるのかという点は定かではなく、また、所得として本質的な要素として所得の実現を挙げることは、法的な根拠として22条2項の解釈論としてはありうるものの(現状では原則として権利の確定がすなわちで結ばれており、所得の実現はもっって権利の確定を一義的に意味するものと考えられる)、何をもって実現したと判断しているのかという点で不明確な状況であろう。この点で充分な議論が必要であるように考えられるが、あくまでも実現基準は会計学上の概念として合理的な収益計上基準であり、いかに22条4項の規定があったとしても当該基準が法人税法上許容されるか否かという判断プロセスをへる必要があるといえよう。上記のように原則的には法的な権利の確定をもって計上することが、法人税法上も合理的な処理であり、法人税法の基本的な要請である公平な所得計算という点及び経済的実態からの合理性の判断から、いわば、本件判断はいわば前倒し計上を認めたものと解される。この点で、上記と照らして如何にして例外的な処理、益金計上を認めたのかその点を明らかにする必要があると考えられる。

私見では、この益金計上の根拠は、金員を事実上管理支配していることが、前提としてあるのではないかと考えられる。このような管理支配の現状を加味して、これが益金計上のタイミングとして妥当か否か判断されることになる。実現概念が法的に所得を構成するものとして認められるうるのかという点は議論の余地があるが、実質的に管理支配を行い、また、返金の可能性が少ない以上、益金として計上することは公正処理基準として該当性を持ち得るといえる。もちろんこのような管理支配関係にあることの認定は、納税者の状況に左右されるものであり、恣意性の介入する余地があり、慎重であるべきであるが、本件のように業界としての一定の基準として認められ、客観的な事実関係に基づく認定を行う基準として整備している以上、収益計上の合理性は担保されうると捉えられる。

加えて本件では、納税者である請求人が主張する一定の調査を行った上での益金計上を認める取扱と自己が定めた取扱規定の処理方法との合理性が争われている。すなわち複数の方法が主張されている。判断では納税者の主張する一定の調査を前提とする方法は、恣意性の介入する余地が大きく、また、経済的実態と比較して合理的ではないとの評価からその適用を否定している。前記のように、いかなる基準をもって経済的実態を捉え、その合理性を否定しているのかは定かではないが、この根拠が更に検討されるべきであるだろう。本件では、請求人の主張する一定の調査を前提とする方法は請求人の恣意性の介入する余地が取扱規定の処理方法よりもあり、その点で合理性にかけることは重要である。

また、一定の公正処理基準としての妥当性がある複数の処理方法が併存する場合も問題である。会計処理上はこのような複数の処理方法が存在する場合もありうるが、租税法の基本的な原則から考え、このような複数の処理方法の選択適用を認めることはそもそも、否定的であるべきである。継続的な適用が公正処理基準として例外を認める根拠ともなりうるが、このような複数の処理方法の存在自身がそもそも、納税者に選択の機会を提供し恣意的であり、租税法、法人税法の基本的な要請として、公平な所得計算の観点からは否定されるべきものでもあり、このような場合は、取引の状況も加味して恣意性の介入する余地が少ない方法をより合理的な方法として評価するべきである。

このように、本件でも問題になりうるところであるが、このような権利確定の例外的な処理方法による益金計上を認めるか否かは、大きく分類してその問題は、当該処理が公正処理基準としての妥当性を有する、若しくは法人税法の観点から許容されるべきものとして評価されうるものであるのか、また、複数の処理方法がありうる場合にいかにして一方の合理性を評価するのかという点に峻別されるものと捉えられる。このような場合、公平な所得計算の要請にもとづく恣意性の介入する余地の存在をいかに捉えるべきか、すなわち処理方法自身の合理性の評価、また複数の処理方法が併存している場合の評価基準として、複合的な意義を有するものと理解すべきであろう。

以上です。
毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。裁決

2017年3月6日月曜日

判例裁決紹介(平成27年9月3日裁決、弁護士費用の必要経費該当性)


さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は、平成27年9月3日裁決で、課税訴訟を行った請求人が、当該訴訟に関して必要となった弁護士費用を必要経費として申告したところ、その算入が否認された事案です。

具体的には、事業を営む請求人が課税処分取消訴訟を提起したうえで、当該訴訟に勝訴し、課税処分の取消判決及び還付加算金を得た。かかる訴訟において請求人が支払った弁護士費用(約1,800万円)が、当該還付加算金を得るための必要経費であるとして申告したところ、当該費用は必要経費に該当しないとして否認されたため、その取消を求めたのが本件である。

本件は、上記のように、課税処分取消訴訟において勝訴した還付加算金を受け取った請求人が当該金員をいかなる所得として捉えるのか、それとも損害賠償の性格を有するものであり、非課税となるべきものと考えられるのか、という点がまずは問題であり、かかる所得への該当性が以下のように、肯定される場合に、この所得を得るための必要経費として訴訟における弁護士費用が含まれるのかという点が後発的な問題として中心となっている。課税訴訟における訴訟自体が珍しいものであり、当該訴訟に伴って還付加算金を得る機会は限定的であるため、その性格は必ずしも定かではないものと、法解釈上は考えられるところではあるが、さらに弁護士費用が事業所得の必要経費としてではなく、還付加算金という雑所得に関連付けられて議論されている点は興味深い。実務上は、本件のようなケースが非常に限定的であることであろうが、弁護士のような委任関係にある費用とその業務関連性、必要経費性を議論する上では参考となるものと考えられる。

第三十七条  その年分の不動産所得の金額、事業所得の金額又は雑所得の金額(事業所得の金額及び雑所得の金額のうち山林の伐採又は譲渡に係るもの並びに雑所得の金額のうち第三十五条第三項(公的年金等の定義)に規定する公的年金等に係るものを除く。)の計算上必要経費に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、これらの所得の総収入金額に係る売上原価その他当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用(償却費以外の費用でその年において債務の確定しないものを除く。)の額とする。

上記のように、必要経費は、そもそも原価等に該当しない場合、もちろんここで法が求める原価とはいかなるものであるのかという点は、必ずしも定かとはいい難いが、この原価等以外の費用に対して当該費用の必要経費該当性を判断するにあたっては、まずは直接性の要件が課せられるべきであるのかという点が議論されている。著名な弁護士会の費用が弁護士業務の必要経費としての該当性を有する場合があるとした判決以降も(当該判決では、最高裁に上告されているが却下されており、最高裁の判断はくだされていない)、種々の議論において、当該判決が一般性を持つのか否か、その射程範囲はという点が問題として議論されている。

このように、まずは直接性が一般的な必要経費において議論が遡上に挙げられるが、上記条文のように、私見としては当該費用が販売費その他所得を生ずべき業務について生じたものであるのかという点がまずは問題であり、当該費用と業務の関連性がまずは問題となるべきものと考えられる。すなわち、まずは、販売費等、所得を生ずべき業務とはいかなるものであるのか、という点が峻別されるべきものといえよう。つまりは、まずもって本件還付加算金が雑所得であるとした場合(本件でも争われているが、この所得が妥当であるのかという点も議論されている)、当該費用が販売費等、所得を生ずべき業務であるのか、換言すれば、原価等あるいは、販売費等のいずれに該当するのかという点が問題なのであって、まずは、その峻別が行われるべきであり、その以後において、一般的な経費において直接的な要件が課せられているのかという点が問題となるべきである。私見としては、一般的な経費においては直接的な関連性が問題となるものではなく、まずは所得を生ずべき業務がいかなるものであり、その業務との関連性が最終的には必要経費として肯定されるべきか否かという点を左右するものといえる。

業務という文言を文字通りに捉えると、継続的な意義を有する可能性はあるが、この点はまだまだ検討すべき点ではあろう。還付加算金がいかなる性格を持つのかという点はいかにおいて検討するが、当該弁護士費用は、課税処分の取消しにおいて必要な経費であり、還付加算金を直接的な目的とするものではない。本件は、弁護士費用が直接性を有していないとのことで、その必要経費性がないものとして判断しているが、私見としては、結果には賛意を示すものの、間接的な経費への該当性の観点からの判断を行う余地はなかったのであろうかとも覚える。

当該弁護士費用が直接的に発生したものは、あくまでも訴訟の目的(本件では、課税処分の取消)であり、還付加算金を得ることが目的ではない。この点が支出と結果の変動が対応している、すなわち、業務との直接的な関係性が否定されているが、この判断の枠組みが妥当であるのかという点が問題。私見としてはこのように、行為の目的と所得等の目的を検討することで主観的な納税者の意思を反映させ、必要経費性を判定することは租税法の基本的な要請に合致するのかという点は疑問を覚えるところではあるが、客観的に確認できるものであれば、一定の合理性は担保されるものともいえよう。訴訟という業務にかかった費用が当該弁護士費用であり、還付加算金を得る業務ではないものという判断が行いうるところではある。この場合、還付加算金をうる業務が何であるのかという点は検討されるべきではあるが、訴訟において主たる目的物ではないという点では、偶発性を帯びていることも留意されるべきである。このように行為や業務の目的が必要経費該当性を判断する上で重要な枠組みとなっている点は本件の特徴であり、興味深い点であろう。

また、本件でも主張されているが、還付加算金が損害賠償の性質を帯びているとの考えもありうる。課税処分に伴い発生した金員負担をカバーする負担であり、この損害賠償としての性格を持ち得ないと必ずしも否定することは一概には言えない。一律に否定することも困難であるが、まずもって所得税法が規定する非課税所得としての損害賠償金がいかなるものであるのか、いかにしてその金員が非課税となりうるのかという点が明確にされるべきものである。すなわち、還付加算金は利子としての性格や損害賠償など複合的な性格を有する可能性があり、実務上もその所得の性格が必ずしも明示的ではないものもありうる。このような場合、いかなる性格を有するものであるのか、いかにして判断するべきであるのかという点は法解釈論として重要な課題であろう。

損害賠償が非課税とされている趣旨も必ずしも定かではないが、この点からも損害賠償がいかなるものであるのか、という点は検討されるべきではないだろうか。

このように、問題となった金員ないかなるものであるのかという点は、本件の判断の起点となるべきものであり、単に利子であると捉えるものではなく、いかなる性格を主として帯びているのか所得の性格が議論されるべきである。

また、別件として、請求人の主張にも見られるように、法人税とのアンバランスが存在するという指摘がある。すなわち、法人税の損金計上においては、本件のような金員は性格上、損金を構成するものと考えられるが、所得税法では異なるというものである。この点につき、たしかに法人税法と所得税法は、その基本的性格として、一定期間の所得を課税対象とする点では共通しており、適正な所得を把握し、租税負担を求めることは、課税負担の公平性に合致する点は当然に考えれられる。しかしながら、所得税法は基本的に法人と異なり、自然人をその対象とした課税であり、法人とは異なるものである。特に家事費等が観念されうる自然人において、法人と衡平を図ることは必ずしも妥当ではない。立法論としては可能性はあるものともいえようが、課税処分の取消訴訟を取り上げて、特段の扱いをすべき理由を見出すことは困難であり、また、民事法の損害賠償の性格と課税の関係性に関しても広く検討する必要性が発生するものともいえる。

以上です。毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。裁決