具体的には、宗教法人たる原告がその業務として、
以上から最終的に判示としては、原告の主張を排斥し、
固定資産税は、その名の通り、不動産等、
地方税法348条2項
四
墓地
地方税法は以上のように固定資産税の非課税となる対象を具体的に
そもそも、
本件で問題となる宗教法人に関する非課税規定の解釈としては、
個別の解釈においていかに示す専らの利用を想定する等の解釈、
私見として、
上記問題視される文言は、地方税法において、
「非課税とする範囲を「宗教法人が専らその本来の用に供する」 ものに限定した趣旨は,上記の境内建物及び境内地は, 宗教法人の主たる目的のために必要で, 本来的に欠くことのできないものであるとはいえ(上記(2) 参照),宗教法人は,主たる目的たる宗教的な活動を行うほか, 公益事業を行うことができ,さらに,その目的に反しない限り, 公益事業以外の事業を行うこともできることから( 宗教法人法6条1項及び2項)、上記の境内建物及び境内地が, これらの事業の用に供されることがあり得ることを勘案したものと 解される(なお,地方税法348条3項参照)。
そうすると,同号にいう「宗教法人が専らその本来の用に供する」 とは,当該宗教法人が,当該境内建物及び境内地を,専ら, その宗教の教義をひろめ,儀式行事を行い, 及び信者を教化育成するという宗教団体としての主たる目的を実現 するために使用している状態にあることをいい, 上記の目的以外の目的による使用が例外的にではなく行われている 場合には,上記要件を満たさないと解することが相当である。
そして,日本国憲法20条1項, 同条3項及び89条に規定する国家の宗教的中立性の趣旨, 宗教法人法84条が規定する宗教上の特性及び慣習の尊重の趣旨に 鑑みれば,地方税法348条2項3号の要件該当性の判断は, 当該建物及び土地の実際の使用状況について, 賦課期日以前の状態を踏まえて認められる外形的, 客観的事実関係に基づき,一般の社会通念に照らして, 賦課期日において同号の要件が認められるか否かを判断すべきであ る。」
歴史的にも、我が国の宗教法人に対する非課税規定の導入は、信教の自由という憲法上の価値観に依拠していることは否定しようがないものであるが、これのみを理由に非課税としての取扱を正当化するものと捉えるのは必ずしも妥当ではない。いわば複合的な趣旨から導かれるものであり、この背景の理解が法規定の解釈においても必要であるように考えられる。すなわち多様な宗教活動に一律に規制を加えることは妥当ではなく、かえって、信教の自由にも懸念を発生させることから、いわば現在の不確定概念としても評価しうるような制限規定が導入されているものであり、また、歴史的に各地の宗教施設は、地域のコミニュティの拠点施設となっており、一部公共的な性格の活動をになってきたことも、その背景にあるものと捉えるべきであり、現在においても災害等の避難箇所として指定される等、一定の公共的役割を有していることが、本件で問題となった宗教法人に対する非課税規定の背景にあると評価されるべきであろう。地方税法において非課税規定が一定の政策目的の達成のもと、課税を犠牲にしていることを鑑みるに、制度背景は重要なテーマであり、法解釈においても検討すべき対象であろう。
そもそも、宗教的な活動は基本的に人の精神作用に関わるものであり、外形的な要素を見出し難いものであり、ここの活動を明確にすることは困難であろう。従って人の精神作用に基づく課税要件の設定は事実上困難であり、上記のようにフリーハンドで、宗教法人における非課税の適用は困難であり、この衡平から法規定のような制約を設けているものと解するべきであり、この点で上記規定の合理性は担保されているものと考えられる。
しかしながら、純然たる宗教行為のみにおいてその非課税規定の存在を理由付けると考えるならば、宗教法人の信者等、一定の宗派としての組織内部への受益という視点が発生することになる。これは公益法人に於いても同様であるが、一定のメンバーに対する受益の存在が設定されるようなケースにおいて、果たして非課税としての理由付けとして今後も立法を支えていくことが可能であるのかという点は、今後の課題として考えられる。
また、本件でも境内地・境内建物の概念が基本的に宗教法人法から借用を行っている。必ずしもその理由付けは本件でも明らかにされていないが、租税法の基本的な要請として、法的な安定性を重視する考えを鑑みるに、宗教法人法の概念を借用することは合理的であると評価すべきである。しかしながら、一定の隔離された空間をもって宗教活動に関わる施設として区画することは、宗教活動の多様性から現実的には困難であり、例えば、宗教施設に付随する駐車場などの施設を宗教活動に要するものであるのかあるいは、その他の賃借に用いているような事案も想定されるところであり、課税の現実的な執行の観点から、立証責任の転換を図り、もって宗教法人の活動の多様性に配慮した形で、必要性、現実的な利用の状況を立証することで、非課税規定の適用を図るような制度的対応が検討されることも可能性としてはありうる。もちろん宗教活動に対する介入とならないよう、一定の第三者的審査及び継続的な審査の実施が必要であるであろうが(現状の、公益認定に近い)。また、このような場合、上記のように非課税規定の趣旨目的をより精緻化して、何をもって非課税規定の適用対象とすべきであるのか明確とするべきであり、ここに租税法の基本的な使命があることになろう。
より個別的に検討するならば、「専ら」とは如何なる程度をもって判断すべきであるのかという点は、明示的ではない。本来の用に供するという部分もまた、如何にして認識すべきであるのかという点は本件から新たに提示される問題であろう。宗教活動の多様性に鑑みるならば、その精神的な作用を客観的に把握することは現実的には困難であり、総合的な判断によるべきほかないものと考えられるところであるが、例えば、現実の利用状況の他に、かかる法人の宗教活動において客観的な必要性をも含む概念であるのかという点も検討すべきである。専ら本来の用に供することが客観的な必要性を伴う概念であるのか、また、目的・活動との対比において不可欠な施設であることを要するものであるのか、それとも単なる現実の利用状況に依拠するものであるのかという点は、見解が別れよう。私見としては、上記の多様な精神活動に依拠する宗教活動を前提とするならば、総合的に判断するほかないのであり、フリーハンドで非課税規定の適用を認めることはまた、本規定の趣旨に反することからも、対象資産と宗教活動において一定の必要性・関連性を求めることが妥当であると判断すべきものと考える。
また、当該資産の排他性も考慮対象となるのであろう。本件でもその判断において、施設の宗派外への利用が問題視されていたが、当該資産の宗教活動との、あるいは宗教法人の目的において、一定程度の排他的な利用が想定されるべきことが要請されているもの解するべきである。さらに納骨堂ののように、形式的な名称等にとらわれるのではなく、実質的な利用状況を基礎に判定されるべきものと解される。また、継続的な活動を営むものが法人であり、いかなるタイミングでその、利用状況を把握すべきであるのかという点もより検討されるべきである。
いずれにしても、このように、非課税規定の適用において、制約として事実上機能する、宗教法人の活動、宗教法人のその本来の目的とは如何なるものと解するべきであるのかという点は、この種の法規の適用において明らかとするべきであろう。
また、具体的に、本件事業に関する募集や契約業務等を外注業務をいかに評価するべきであるのかという点も法令解釈として如何なる点と対峙するものであるのかという点は、検討が必要である。本件のように、当該訴外会社である外部委託者を葬儀の際に推薦するなどのような関係性が存在する場合において、この点から見ても事実認定として、非課税規定の適用を否認することは妥当であるように考えられるところであるが、この法的な根拠をいかに捉えるのかということは今後の課題である。
加えて、本件でも問題となっているが、宗派を問わず本件施設の利用を認めていることも、検討材料であろう。宗教法人として、如何なるものがその活動であり、目的であるのかという点は、差異があろうが一定の組織性を有する以上、団体の構成員に対する受益と他者への受益(そもそも宗教法人の活動による受益と示すこと自体が問題かも知れないが、広い精神的な作用も含め、受益と捉えている)は、区分されるべきものであり、かかる点で、上記非課税規定の文言の解釈としても正当であると評価される。もちろん宗教活動の目的を一定の対象に限定することは妥当ではないとの指摘もありえようが、一定の団体性をもつ法人としての性格を考慮するに、その制約はやむを得ないものといえ、かかる点で、非課税規定の制約として留意されるべきものといえよう。
以上、毎度のごとく論文Stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが、参考までに。
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