2016年10月6日木曜日

東京地判平成26年10月17日【瑕疵ある申告への国の責任】

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、東京地判平成26年10月17日で、納税者がなした確定申告について総額で数億円規模の申告誤りを行い、その減額更正を請求したもののその起源を超過していたため、対象とならず、客観的に明確な、かつ重大な深刻に対する瑕疵があったにも関わらず、税務署長が減額の更正処分を行わないのは、担税力に基づかない課税であって、また財産権の侵害であり、課税の公平に反するもので、当該申告は無効であり、また、無効でなくとも、非常に明白な誤りが存在する深刻であって、税務署長には国賠法に基づく、減額更正を行うべき義務があったとして国家賠償を求めた訴訟です。

具体的に、この申告の瑕疵の原因となった取引は、原告が保有する海外子会社が発行した新株予約権に関する課税処理であり、給与所得として申告したのに対して、実際は一時所得として考えらえるべきものです。この内容自身、原告の主張や、裁判所の認定にもありますが、概ね通常の税理士では、ミスとなるような状況で、高度かつ複雑な案件であります。まあ、新株予約権による所得をストックオプションとして機械的に従前の処理に従って、給与所得として申告をしたものとも考えられますが、著名な最高裁の判断においてもそのように一律に給与所得とすべきものではなく、一時所得に該当する可能性も否定されていないという点は、通常の専門家であっても判断が困難なものかもしれません。
そのような意味では、本来ならば、委任した税理士に対して損害賠償をすべき案件であり、いい方は悪いかもしれませんが、納税者の逆切れといったような裁判例で、あまり、参考としてほしくはない事例ではありますが、課税処分に対する納税者の不服に対しては、なぜ、誤りを税務署が正してくれなかったのかという、素朴な思いを持つものでもあり、そのような思いに対する訴訟として記憶されるべきものと考えています。

解釈論としては、課税処分に関して国賠法上の違法となるのはいかなる場合かということが問題となったのですが、従前通り、納税者が主張するように結果的に課税処分の違法性をもってその対象として国賠の対象となるのではなく、公権力の行使の時点での職務上の法規違反等をその対象とする形で、判示としては納税者の主張の一端を退けています。
立法論としては変更の余地はあるものですが、課税処分自身が大量かつ反復的なものであるということを考えると、制度改正の誘因は低いものと判断されるべきものです。単に瑕疵があった申告があったという事実のみでは、違法とされる状態になく、税務署職員による誤った説示、慫慂等があって初めて成立するべきものと解されるでしょう。課税処分の性質等を考慮すれば妥当なものと判断されます。

かつての実務では、減額による場合も含め更正の請求ができる期間制限は、一年とされていましたので、このような減額の更正に関しては、嘆願書によるべきものとして処理されていましたが、平成23年の税制改正においてこの期間制限は延長され、5年とされましたので、本件のような請求の機会は減少するものと想定されるところでもありますが、基本的な納税者の意識は恐らく、変わりようがなく、このような思いに対する判断としては参考となるべきものとして、留意されるべきものでしょう。言い換えれば立法的に解決された問題とも評価できるかもしれません。

また、個人的に気になるのは、納税者の主張にもあるように、このような明白な瑕疵は財産権を侵害するものであり、課税の公平負担に反するものとして無効となるという主張です。あるい意味当然なのかもしれませんが、担税力という極めてあいまいな概念に基づいて、租税公平主義に関する法的な概念に合致するとしてその処分の無効を主張する意味はあるのでしょうか。確かに制度的に包括的所得概念を採用していることは通説となっていますが、特に条文にもない担税力の概念によって判断をすることは困難であるように思われるところです(判示でも特に判断していませんし、従前とも同様です)。このような法令外の要件が認められるのであれば、担税力の概念自身がすでに経済学的には、過去のものとなりつつあり、効率性や、最適性をもとに租税負担を解釈すべき見解もその考慮要素になってくるように思われます。少しずつ、租税法においても単に担税力といった概念に限定される法令解釈も成り立つと考えられるところでもありますが、法令の安定性を重視する租税法規の立場からは慎重な検討が必要になるのかもしれません。

以上です。
毎度のごとく論文ストックとして作成しているものですので、完成度は低いですが参考までに。

判決

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