さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は大阪地判平成30年12月6日で、不動産取得税と固定資産税評価額がにつき、落札により入手した金額と評価額に大幅乖離があったことに対する国家賠償請求訴訟です。
具体的には、社会福祉法人たる原告が平成19年に取得した家屋(厚生省管轄の温泉施設、これで大体イメージが付きそうですが、、昭和40年代に建築された設備で取得時は休業中)に対する処分庁の不動産取得税評価額及び固定資産税評価額を付した各処分が減点補正率が不当に高く、もって付与された価額が不当に高額であったとして、国家賠償請求訴訟を求めているものである。問題の起点はかかる取得時における落札額が400万円程度であるのにも関わらず、付与された不動産取得税評価額が500万円を超過するような状況であって、約10年保有して固定資産税等を支払ってきたものである。このような落札額と評価額の乖離が本件の起点となっているものであり、処分庁の評価段階で付与された家屋損耗の程度を反映させる減点補正率の認定が中心的な争点とされているものである。訴訟のきっかけ、原告主張にある参考人の鑑定意見が減点補正率を0.1と大幅な評価減を求めているものであり(そもそも鑑定士の評価によるものであるのかは定かではない)、一般的な課税実務においてこのような減点補正率を採用することが極めてまれなものを俎上に載せるなどしている点から、訴訟の経緯に不明な点は残るものの、このような過去の取得金額や評価額に対して疑義が申し出られ訴訟となるようなケースが、特に地方税の評価額の算定において増加している。本件もそのような類型に属するものであるが、実際に固定資産税評価額において20年超の長きに渡って、過大に評価されてきた事例も存在しているところであり、人によっては固定資産税は住民の無関心に支えられているという人もいるのですが、近年は少しずつ潮目が変わりつつあるようにも捉えられるところである。本件のようなきっかけとなる減点補正率の算定は過度な主張であるように捉えられ、本件でも、算定の評価プロセスやその段階における不動産鑑定士の評価(減点補正率を0.1)としたものに対して、国家賠償の対象となるような過失は認められず原告の主張は退けられている。
しかしながら、このように話題になった厚生省関係の施設であって経年劣化した施設、家屋の評価は固定資産税評価額の算定において、非常に課題が多いものであろう。落札額と評価額の大幅な乖離が発生しているところがこの問題の起点となっていることは上記のとおりであるが、かかるような乖離を是認されるべきものであるのか、妥当な評価額はいかなるものであるのか(不動産取得価額も含め)、という点が本件においても含有されているように捉えられるものである。特に経年劣化の状況は家屋、資産の利用において、多大な影響をもたらすものであり、そもそもとして実需を反映した価格の評価そのものが非常に困難を伴うものであることは容易に想定される。
近年は、特に地方部において、このような老朽化した施設が相続などの局面によりあぶり出され、課題とされる事が多いが、一般的にも家屋、不動産は従来のように上昇をあるいは底堅いものであるとの前提は崩れており(今までの日本の状況からは寂しいものではあるでしょうが、実需において縮小は回避し難いのです)、租税法規が時価として客観的な交換価値を前提としていながらも、地方部では、売却市場の形成、が非常に困難になりつつあって鑑定などの評価に依拠せざるを得ない状況に変化していることが認識されるべきであろう。このような社会背景において、固定資産税評価に関しても何らかの変化が必要ではないのかという見解を有するものである。特に、従来の利用を前提とした家屋の評価と市場における評価の乖離は、今後も大きな課題となるだろう。
以上のように、本件は、入手時の落札額と固定資産税評価額が大幅な乖離していることがそもそもの起点となっているもの(この乖離自体が如何なる所以であるのかという点も興味深いが)であるが、本件の争点としては、家屋の経年による劣化、損耗の反映に関してその程度を反映させる減点補正率賀いかなるものであるのか、その算定が妥当なものであったのかという点が主たる争点となっており、この点に対する違法性の判断は、事実関係においてゆるぎようがないだろう。現行の固定資産税評価基準においては違法性の指摘は合致しないとの判示は妥当なものであるように考えられる。納税者の主張としては落札額の大幅な減少していること、非常に小学な金額での取得であることが実質的な現文の裏付けであるとの主張がなされているものであろうが、参考とした鑑定評価を行った者の恣意、感覚的な評価に依拠しているものであるとの裁判所の判断(そもそも原告参考人の主張でも固定資産税評価において充分な知見を有していないことは自認している)は、裁判を維持する材料として期待できなかったものとの判断が導かれている。
しかしながら、私見としてはより本質的な問題として、家屋における原則的な評価自体が家屋の現況と乖離しつつある現況が導出されているようにも思われる。固定資産評価基準は、家屋の評価において、再建築価格評価をベースと捉えており、執行レベルでは、評価基準において明確に定められているものであり、これを覆すことは非常に困難であろうが立法としては如何なることになるだろうか。
この再建築価格評価は、現況を捉え、利用をベースとしたものであり、この点が今後においても原則的なものとしてプライオリティを有するものであるのかという点は更に検討が必要であろう。現実の利用ではなく、利用を前提、仮定した形で、再建築価格を評価のベースにおいているものである(もちろん種々の調整は入るが)。これが時価として客観的な交換価値としての推定を受けうるものであるのであろうか。交換価値を支えるものとして実態の利用の状況、利用意図によって多様な状況が想定され、実際の利用の状況を反映させることは、執行のレベルでの実現可能性があるのかという問題はあろうが、一律に従前の利用を前提とした(そもそもこの利用という物自体がどのように理解されるべきであるのかという点も課題であろうが)、形での評価を行うことは大幅に執行に偏っているとの見解も起こり得よう。執行においては人員の問題もあろうが技術は進んでおり、利用前提の評価は変更の可能性を含みうるものとして構築することは困難であろうか、再検討の余地があるのではないだろうか。
また、本件では再利用にかかる修繕費用(約2億、客観的であるのかという疑問はあるが、全体の評価として原告のベースとなる主張に客観的な根拠が欠けているとの認識が裁判所にもあるのかもしれない)がかかることも主張において評価額の引き下げの要因として原告から主張されているが、判示では、明確な根拠を示さず、考慮要因として充分なものではないとしている。この点は再利用を前提とした中で、減耗において反映されているとの見解かもしれないが、利用を基礎とした評価において、一律に考慮対象外とすることは妥当ではないのではないだろうか。