2020年5月9日土曜日

判例裁決紹介(大阪高判令和元年10月10日、取引相場のない株式の評価方法に関する変更と相続税申告の減額更正処分)


さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は大阪高判令和元年10月10日で、取引相場のない株式の評価方法に関する通達変更に伴う相続税申告の減額更正処分を行うべきこと、あるいは不当利得返還請求、錯誤無効等を主張している事案の控訴審である。一審では原告納税者の主張が棄却されたが、本件も同様の主張(公定力等に関する主張を追加して)が基本的な争点とされている事案である(結果は納税者の主張を棄却)。


具体的には、本件は、相続人たる納税者がその相続税の確定申告において、なした取引相場のない株式の評価が判決により修正(平成24年3月2日判決、相続界隈では著名な取引相場のない株式の評価に関する評価方法において従前の通達の処理を否定した判決、最終的には、この判決判断が確定し、財産評価基本通達の評価方法が修正されたもの)された金額で本来は申告を行うことが可能であったとして、当初相続税申告における評価額と、当該修正後の評価額との差額の返金を求めるものであり、並行的に不当利得返還請求、錯誤無効、国家賠償等の主張が行われているものである。相続税申告における財産評価基本通達の位置づけ、重要性は、基本的な時価として推定を受ける点においても非常に重大なものであることは言うまでもないことであるが、かかる通達記載の評価方法に従っていた評価に基づく相続税申告が別件判決により、その評価の基礎となる評価方法が合理性が否定される余地がある(財産評価は多様な時価があることがある意味前提であり、この点を皆、忘れているだけではあるのでしょうが)などもことが明らかになり、もって当該通達が修正された事により、もって過去の自己の申告も修正された方法による金額へ減額を求めた事案である(平成18年の死亡による相続税深刻であり、更正の請求による救済の期限は超過している。)。相続税は金額が多額になり、本件でも総額で1億円以上の金額が納税額において異なるものであるが、財産評価の指針となる(この表現が違和感がある人もいるのかもしれない)通達による評価の合理性を問う事案は非常に多数に及ぶものの、本件のような通達に変更による影響を反映させること、救済を求めるものは事案としてはは本件地裁とともに珍しい事例であろう。相続税の専門家であれば、あるほど、その申告における財産評価基本通達の位置づけは理解しており(多数の判例によって支えられている)、本件のような修正を適用して返還すべきとの意見に賛同するものではあるだろうが、そして納税者としても大きな相違となる(特にこのような同族会社のような株式の相続は、相続財産の大半を占めるものとして重要である以上)、評価方法の変更は、それをもって返還を図るべき義務があるとの主張を行うことは素朴な主張として宜なるものであるのかもしれない。正直気持ちはよく分かるものであるが、全面的にその主張が排斥されているものであり、その基本的な部分は財産評価の基礎を構成する時価の意義、捉え方にあるのであって、かかる点は、租税法規の実務に携わる人間としては留意すべき事例ではないだろうか。

判決では、以下のように、本件の主張の基礎となる不当利得における返還対象として租税法規に基づく申告が対象となりうるのか肯定した判断に関して、事例判決として、一般的な成立を非常に厳格に判断している。この点は、旧判決における状況は救済措置が限定されている状況において、認められたものであり、本件のような状況とは異なるものであろう。かかる点は一般に申告納税制度を基礎とする以上、不当利得の成立する余地は限定的に解されるべきものであると判断されよう。著しく不当かつ明白な事情の存在に関しては、特に主張立証がなされていない(おそらく租税の専門界隈の判断としては財産評価基本通達の重要性から不当であることは余談の余地もないものとして認識しているのかもしれない)。しかしながら本件ではこの主張が不備が地裁に引き続き不当利得の成立を否定している。

昭和49年最高裁判決は、確定申告時には金銭債権の貸倒れが生じて
おらず、確定申告書の収益に関する記載に何らの過誤もなかったが、後発
的に生じた貸倒れによって先の課税処分に基づく租税の収納を甘受しなけ
ればならないとすることが適当でなくなっており、しかも、後発的事象を
織り込んで算出した納税額が課税庁による格別の認定判断を待つまでもな
く客観的に明白で、課税庁にその判断権を留保させる合理的必要性が認め
られない事案について、上記の後発的事象を踏まえた救済を可能にする規
定が存在せず、不当利得の返還を命じなければ著しく不当で正義公平の原
則にもとる結果となる
ことを踏まえて、不当利得の返還を命ずるという
例判断を示した
ものである。

また、国家賠償としては本件のような通達に関する行為(通達が内部の文書であることから形式的に不当利得の成立を否定するものではなく)、下記のように、一律に対象とならないものとして判断されるものではなく、余地はあるものとしている点は重要な点であろうが(この点は、通達の税務行政での影響力を鑑みれば重要な点であろう)。どのような点が対象となりうるのかという点はいささか読み難い。

もっとも、通達は、その内容によっては、これに従うべき職務上の
義務を負う下級行政機関の公務員による職務執行を通じて国民を事実上
拘束する結果となる場合があり得るから、羈束裁量行為につき法律によ
って羈束されている裁量を逸脱し又は自由裁量行為につき行政機関に与
えられた裁量を著しく逸脱する内容の通達を制定し、もって国民を法的
根拠に基づかずに事実上拘束するような結果を生じさせるなどした場合
は、通達制定行為が国家賠償法1条1項にいう違法なものと評価される
ことがあり得るというべきである。」

しかしながら本件の通達の修正(評価方法の)に関しては、以下のように高判として国家賠償の成立を否定している。
財産の評価、時価の成立においては、特に株式の評価においては、多様な時価が想定されるものであり、必ずしも一義的に評価が定まることは否定される。従って財産評価基本通達が事実上の指針となっているのであるが、この点は、財産評価の基本的な成立において、自明なことであるのかもしれないが、いわば財産評価基本通達による評価独り歩きして、事実上の基準となっているのが現状である。この点が本件では基本に立ち返って、課税庁に一定の裁量を認めているものであり、本来ならば時価としていかなる金額が合理的であるのかという点が争われるべきものとしてこの点の主張がなされていないとして主張を排斥している。いわば盲目的に通達を基礎としているが、法令解釈においては時価の意義がいかなるものであるのかという点が中心であり、通達による評価そのものの意義を問うことは二次的な意義しか有していないということが導かれている。法令、特に時価という基礎にたちかえった論理であり、相続税法の基本的な判断として理解されるべきものであろう。いささか時価や評価方法に関して、非常に割り切ったものとして理解している点は、租税法規の基本的な要請として安定性の観点から否定的にみられるべきものであろうが。

「また、取引相場のない株式については市場価格が形成されていな
いから、その時価を容易に把握することは困難であり、だからといっ
て、公認会計士等による評価を義務付けることとすれば、国民に過度の
負担をかけることなく法定の期限内に納税申告をさせ、税額を確定すべ
き要請に副わない事態が生じ得る。そうすると、課税庁としては、専門
家の意見に基づく客観的な評価額を確定させた上で課税をするのではな
く、しかるべき専門家の意見を得ることなしに上記のような株式の評価
額を確定するという割り切った運用を容認せざるを得ないものであっ
て、旧通達及び改正通達は、こうした発想に基づいて策定されたものに
すぎず、それぞれの定める方式に従って得られた評価額が中立公平な立
場の専門家の意見によって把握できる客観的な評価額と一致することを
前提としたものではない
と解するのが相当である(別件東京高裁判決
は、相続税法22条所定の時価につき相続開始時における当該財産の客
観的交換価値と解釈した上、市場価格が形成されていない取引相場のな
い株式については、その時価を容易に把握することが困難であるから、
合理的と考えられる評価方式によって時価を評価するほかなく、それに
よって得られた金額をもって「時価」と評価すべきことになる旨を判示
しており、上記説示と同様の考え方を前提としているものと解され
る。)。そして、相続税法が複数の評価方法があり得るような相続財産
の評価の方法について特段の定めを置いていないのは、課税庁に対して
徴税の技術性と複雑性を踏まえた合理的な裁量(認定判断権)を与える
趣旨に出たものであり、国税庁において上記のような発想に基づいて通
達を策定し、各税務署長が上記のような発想に基づいて通達に従った対
応をすることを許容しているものと解するのが相当である。」

以上です。毎度のごとく備忘録として作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。

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