2020年5月20日水曜日

判例裁決紹介(平成30年11月27日裁決、国外扶養親族に関する税制改正と納税者の不知)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は平成30年11月27日裁決で、国外扶養親族に関する納税者の不知による不服が申立てられたものです。

具体的に本件は、請求人が確定申告で記載した扶養控除の適用対象として、国外に居住する、非居住者である親族を加えていた事に対して、当該控除の適用上、必要とされる書類の添付、提示がなかったとして、適用を否認した更正処分を行ったことに対して不服を申立てるものである。事案としてはシンプルな、書類の添付漏れという事案であるが(おそらくこの件に限らず実務的には大変多い事態であるように思われるが)、かかる処理に対して、制度適用がなかったことを自らの制度理解が不十分であるというわけではなく、課税庁の説明がなかったことによるものとして不服を申し立てている。

結論としては、ある意味当然であるのかもしれないが(租税制度の複雑さは、とりあえず横においておくとして)、請求は認められていない。法の不知に対して、かなり冷淡なという表現が妥当であるのかわからないが、反応は、租税に限ったものではないが、本件も、下記のように判断をして結論を導いている。

「課税庁は、国税庁ホームページなどにおいて、法令の改
正に関する事項を広く一般に周知しているところ、申告納税制度の下にお
ける所得税等の確定申告は、納税者自身の判断と責任においてなされるべ
きこと、また、原処分庁所属の職員が納税者に対して法令の改正について
説明をしなければならない旨を定めた法令の規定はないことから、原処分
庁が、請求人に対し、事前に法令の改正について説明をせずに本件更正処
分を行ったことに違法な点はない。」

申告納税制度という点が、国税の大半において現行法の基本にあることは言うまでもないが、やはりこの点が判断の基礎となっている(もう一点は法令上の責任として説明が行われていることが定められているのかという点)。現行法の基本的な立場からは、この申告納税制度として、納税者自身がその状況をつまびらかとして、制度を理解して申告を行うことが背景にあることは揺るがない。制度の複雑さや、専門技術としての高さからは、批判も存在し得ようが、昔よりもHPなどによる広報は広がっており、内容も充実している。制度改正に関しても周知される環境にあって改善していることは確かであろう。かかる点で、本件のような不知による申告を修正することは認められない(旧法の状況が適用されるなどの状況は認められることはないだろう、錯誤によるものは別途検討課題となるだろうが)という判断は妥当であろうし、他の同様の事例においても変わらないだろう。


二 第一項の規定による申告書に、第八十五条第二項又は第三項(扶養親族等の判定の時期等)の規定による判定をする時の現況において非居住者である親族に係る障害者控除、配偶者控除、配偶者特別控除又は扶養控除に関する事項の記載をする居住者 これらの控除に係る非居住者である親族が当該居住者の親族に該当する旨を証する書類及び当該非居住者である親族が当該居住者と生計を一にすることを明らかにする書類

しかしながら、本件の問題の基礎にある国外扶養親族が課題となる事例は近年のトピックである。確定申告の喧騒に紛れ(今年は一月延長されましたが、コレはこのまま定着しないのだろうか)、あまり焦点が当たるものではないのかもしれないが、実務においても扶養対象がいかなる者であるのかという点は重要なテーマであろう。特に本件のような国外の扶養親族の存在は、近年増加傾向にあり、実務でも見かける機会が増えつつあるのではないだろうか。本件でもこの書類の添付が対象となっているものであり、改正が数多くの問題事例からも強化されているものであり、定期的なチェックが必要であろう。

法は上記のように生計を一にすることを明らかにする書類ということで、実務上は、送金の事実を明らかにする書類が基礎となっている。送金イコール生計を一にするという理解はいささか解釈としては、限定し過ぎではないかと言う印象であるが、実務は送金によって扶養が判断されている。この生計を一にするという文言自身が如何に解釈されるものであるのかという点は、よくある論点であるが、送金額なども本来は考慮されるべきであろうし、多様な判断が本来ありうるものではないだろうか(ではどのようなものが対象となるのかというのは具体性にかけるが)


以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。

2020年5月9日土曜日

判例裁決紹介(大阪高判令和元年10月10日、取引相場のない株式の評価方法に関する変更と相続税申告の減額更正処分)


さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は大阪高判令和元年10月10日で、取引相場のない株式の評価方法に関する通達変更に伴う相続税申告の減額更正処分を行うべきこと、あるいは不当利得返還請求、錯誤無効等を主張している事案の控訴審である。一審では原告納税者の主張が棄却されたが、本件も同様の主張(公定力等に関する主張を追加して)が基本的な争点とされている事案である(結果は納税者の主張を棄却)。


具体的には、本件は、相続人たる納税者がその相続税の確定申告において、なした取引相場のない株式の評価が判決により修正(平成24年3月2日判決、相続界隈では著名な取引相場のない株式の評価に関する評価方法において従前の通達の処理を否定した判決、最終的には、この判決判断が確定し、財産評価基本通達の評価方法が修正されたもの)された金額で本来は申告を行うことが可能であったとして、当初相続税申告における評価額と、当該修正後の評価額との差額の返金を求めるものであり、並行的に不当利得返還請求、錯誤無効、国家賠償等の主張が行われているものである。相続税申告における財産評価基本通達の位置づけ、重要性は、基本的な時価として推定を受ける点においても非常に重大なものであることは言うまでもないことであるが、かかる通達記載の評価方法に従っていた評価に基づく相続税申告が別件判決により、その評価の基礎となる評価方法が合理性が否定される余地がある(財産評価は多様な時価があることがある意味前提であり、この点を皆、忘れているだけではあるのでしょうが)などもことが明らかになり、もって当該通達が修正された事により、もって過去の自己の申告も修正された方法による金額へ減額を求めた事案である(平成18年の死亡による相続税深刻であり、更正の請求による救済の期限は超過している。)。相続税は金額が多額になり、本件でも総額で1億円以上の金額が納税額において異なるものであるが、財産評価の指針となる(この表現が違和感がある人もいるのかもしれない)通達による評価の合理性を問う事案は非常に多数に及ぶものの、本件のような通達に変更による影響を反映させること、救済を求めるものは事案としてはは本件地裁とともに珍しい事例であろう。相続税の専門家であれば、あるほど、その申告における財産評価基本通達の位置づけは理解しており(多数の判例によって支えられている)、本件のような修正を適用して返還すべきとの意見に賛同するものではあるだろうが、そして納税者としても大きな相違となる(特にこのような同族会社のような株式の相続は、相続財産の大半を占めるものとして重要である以上)、評価方法の変更は、それをもって返還を図るべき義務があるとの主張を行うことは素朴な主張として宜なるものであるのかもしれない。正直気持ちはよく分かるものであるが、全面的にその主張が排斥されているものであり、その基本的な部分は財産評価の基礎を構成する時価の意義、捉え方にあるのであって、かかる点は、租税法規の実務に携わる人間としては留意すべき事例ではないだろうか。

判決では、以下のように、本件の主張の基礎となる不当利得における返還対象として租税法規に基づく申告が対象となりうるのか肯定した判断に関して、事例判決として、一般的な成立を非常に厳格に判断している。この点は、旧判決における状況は救済措置が限定されている状況において、認められたものであり、本件のような状況とは異なるものであろう。かかる点は一般に申告納税制度を基礎とする以上、不当利得の成立する余地は限定的に解されるべきものであると判断されよう。著しく不当かつ明白な事情の存在に関しては、特に主張立証がなされていない(おそらく租税の専門界隈の判断としては財産評価基本通達の重要性から不当であることは余談の余地もないものとして認識しているのかもしれない)。しかしながら本件ではこの主張が不備が地裁に引き続き不当利得の成立を否定している。

昭和49年最高裁判決は、確定申告時には金銭債権の貸倒れが生じて
おらず、確定申告書の収益に関する記載に何らの過誤もなかったが、後発
的に生じた貸倒れによって先の課税処分に基づく租税の収納を甘受しなけ
ればならないとすることが適当でなくなっており、しかも、後発的事象を
織り込んで算出した納税額が課税庁による格別の認定判断を待つまでもな
く客観的に明白で、課税庁にその判断権を留保させる合理的必要性が認め
られない事案について、上記の後発的事象を踏まえた救済を可能にする規
定が存在せず、不当利得の返還を命じなければ著しく不当で正義公平の原
則にもとる結果となる
ことを踏まえて、不当利得の返還を命ずるという
例判断を示した
ものである。

また、国家賠償としては本件のような通達に関する行為(通達が内部の文書であることから形式的に不当利得の成立を否定するものではなく)、下記のように、一律に対象とならないものとして判断されるものではなく、余地はあるものとしている点は重要な点であろうが(この点は、通達の税務行政での影響力を鑑みれば重要な点であろう)。どのような点が対象となりうるのかという点はいささか読み難い。

もっとも、通達は、その内容によっては、これに従うべき職務上の
義務を負う下級行政機関の公務員による職務執行を通じて国民を事実上
拘束する結果となる場合があり得るから、羈束裁量行為につき法律によ
って羈束されている裁量を逸脱し又は自由裁量行為につき行政機関に与
えられた裁量を著しく逸脱する内容の通達を制定し、もって国民を法的
根拠に基づかずに事実上拘束するような結果を生じさせるなどした場合
は、通達制定行為が国家賠償法1条1項にいう違法なものと評価される
ことがあり得るというべきである。」

しかしながら本件の通達の修正(評価方法の)に関しては、以下のように高判として国家賠償の成立を否定している。
財産の評価、時価の成立においては、特に株式の評価においては、多様な時価が想定されるものであり、必ずしも一義的に評価が定まることは否定される。従って財産評価基本通達が事実上の指針となっているのであるが、この点は、財産評価の基本的な成立において、自明なことであるのかもしれないが、いわば財産評価基本通達による評価独り歩きして、事実上の基準となっているのが現状である。この点が本件では基本に立ち返って、課税庁に一定の裁量を認めているものであり、本来ならば時価としていかなる金額が合理的であるのかという点が争われるべきものとしてこの点の主張がなされていないとして主張を排斥している。いわば盲目的に通達を基礎としているが、法令解釈においては時価の意義がいかなるものであるのかという点が中心であり、通達による評価そのものの意義を問うことは二次的な意義しか有していないということが導かれている。法令、特に時価という基礎にたちかえった論理であり、相続税法の基本的な判断として理解されるべきものであろう。いささか時価や評価方法に関して、非常に割り切ったものとして理解している点は、租税法規の基本的な要請として安定性の観点から否定的にみられるべきものであろうが。

「また、取引相場のない株式については市場価格が形成されていな
いから、その時価を容易に把握することは困難であり、だからといっ
て、公認会計士等による評価を義務付けることとすれば、国民に過度の
負担をかけることなく法定の期限内に納税申告をさせ、税額を確定すべ
き要請に副わない事態が生じ得る。そうすると、課税庁としては、専門
家の意見に基づく客観的な評価額を確定させた上で課税をするのではな
く、しかるべき専門家の意見を得ることなしに上記のような株式の評価
額を確定するという割り切った運用を容認せざるを得ないものであっ
て、旧通達及び改正通達は、こうした発想に基づいて策定されたものに
すぎず、それぞれの定める方式に従って得られた評価額が中立公平な立
場の専門家の意見によって把握できる客観的な評価額と一致することを
前提としたものではない
と解するのが相当である(別件東京高裁判決
は、相続税法22条所定の時価につき相続開始時における当該財産の客
観的交換価値と解釈した上、市場価格が形成されていない取引相場のな
い株式については、その時価を容易に把握することが困難であるから、
合理的と考えられる評価方式によって時価を評価するほかなく、それに
よって得られた金額をもって「時価」と評価すべきことになる旨を判示
しており、上記説示と同様の考え方を前提としているものと解され
る。)。そして、相続税法が複数の評価方法があり得るような相続財産
の評価の方法について特段の定めを置いていないのは、課税庁に対して
徴税の技術性と複雑性を踏まえた合理的な裁量(認定判断権)を与える
趣旨に出たものであり、国税庁において上記のような発想に基づいて通
達を策定し、各税務署長が上記のような発想に基づいて通達に従った対
応をすることを許容しているものと解するのが相当である。」

以上です。毎度のごとく備忘録として作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。

東京高判平成30年9月26日、税務代理権限証書の意義)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は東京高判平成30年9月26日で、納税者が実質的な税務代理権限を与えていたと推定される税理士に対して課税庁が納税者の相続税申告に関する違法行為(課税に関する書類を送付)したことにより、別件訴訟で敗訴しもって、財産上の損害を受けたことから国家賠償を求める事例です。

いささか、事実関係が不明な点も多いものの、本件は具体的には、納税者が別件訴訟で敗訴した責任を、課税庁における送付文書の送付(税理士への)行ったことが違法であるのか否かという点が、すなわち、当該税理士は税務代理権限証書を提出されていなかったものであるが、かかる状況にある税理士に対して相続税の更正処分の書類を送付したこと、あるいは税務代理権限証書の提出を求めなかったことが違法と評価されるのかという点が中心的な課題となっている事例である。別件訴訟での敗訴原因の追求など、より検討すべきものも多いものであろうが、本件は、課税庁職員の行為と税理士の関係が現れており、特に権限証書の意義が俎上に乗った珍しい事例であろう。かかる点が訴訟として課題となることは珍しく、税務代理権限証書の位置づけを理解する上で参考となる事例である。あまり実務では重要視される書類ではないのでないかと推定されるが、このような課税庁職員の行為に関して違法性に及びうるものであることは興味深いものであろう。


(税務代理の権限の明示)
第三十条 税理士は、税務代理をする場合においては、財務省令で定めるところにより、その権限を有することを証する書面を税務官公署に提出しなければならない。

以上のように、本件は、税理士法30条に規定する税務代理権限証書の意義が以下のように判示されている。

税理士法30条は、税務官署において、代理権の存否の判断を容易にさせることをその趣旨としているにとどまるものと解されるから、■■■■■が代理権限を付与されていた以上、本件相続税の税務代理に当たって税務代理権限証書の提出が必要不可欠であったとはいえず

として、権限証書の背景にある税理士において実質的に代理権限が付与されているか否かという点が重要であり、税務代理権限証書自身には、その意義として、代理権の存否に関する判断を容易にさせることが趣旨にとどまるとして、違法性の評価において当該証書を提出を求めなかった行為につき違法性を否定している。税務代理権限証書の意義を限定的に理解している上記判示であるが、必ずしもその解釈上の根拠が示されていない点は、議論の対象となるのではないだろうか。実務における位置づけもこの程度にとどまるものとして理解されるものであるのだろうか。かかる点はより検討が必要であるように思う。かかる点からは当該証書の関係する手続法違反は、多くの場合において、手続き上の不備として課税処分において、効力を発揮するものとは評価されないものといえよう。

以上です。毎度のごとく備忘録として作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。