2016年12月22日木曜日

判例裁決紹介(平成28年2月4日、国外不動産の評価)

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、
平成28年2月4日裁決で、海外不動産の評価が問題となった事例です。

具体的には、相続人である請求人が米国に所在する不動産(賃貸用)を相続により取得した事案において、その財産価額の算定につき、所在地における地方税である遺産税の評価額に基づき、申告したところ、当該評価額は別荘地である特殊性から収益方式によって評価されたものであり、売買実例と大きな相違があるとして、当該州の遺産税評価額に基づき評価すべきとして更正処分が行われたところ、それを不服として争われた事案です。

国外財産の評価において、我が国の財産評価上、いかなるものとして捉えていくべきであるかは、解釈上も課題であると考えられますが、近年は国外財産を保有する相続関係の事案も増加しており、その評価方法は実務においても課題ではないでしょうか。

海外財産を評価する際には、まずはその鑑定評価をいかに捉えるべきかという点が問題となるでしょう。複数の評価額が存在する場合、原則として通達の評価を行うことになっていますが、この点は我が国の財産評価において財産評価基本通達の位置づけを考えれば、整合的ではあります。
本件は裁決であるので、通達自身の合理性については、問題となっていませんが、財産評価基本通達では、下記のように、

評価通達52《国外財産の評価》は、国外にある財産の価額についても、この通達に定める評価方法により評価することに留意するとし、この通達の定めによって評価することができない財産については、この通達に定める評価方法に準じて、又は売買実例価額、精通者意見価格等を参酌して評価する。

記載されています。この中身の合理性はまずは検討されるべきものではないでしょうか

この通達がいかなる意義に基づき、特にそのいかなる法解釈として帰結の結果であるのかは必ずしも定かではありませんが、実務の指針としては機能していることは揺るぎようなないものと考えられます。

通常は基本的に相続税法が定める財産の価額、すなわち不特定多数の取引をベースとした客観的な交換価値に対して上記の国外財産評価が該当することになるのか否かが問題となるでしょうが、財産評価基本通達が前提として土地の評価等において固定資産評価や路線価などの我が国の事情を反映したものであり、原則的に通達をもってその国外財産を評価することは困難であると考えるならば、基本的に国外財産に関しては、個別的に対応すべきであり、本件の通達もこの表れであるように評価されます。

しかしながら個別対応として取り扱うだけでは租税法がその基本的な要請とする予測可能性を充分に担保するものではなく(この点では基本的に立法によるべきであるかもしれません)、この点で本件通達における準ずる方法や例示されている売買実例や精通者意見価格が具体的な個別対応における指針となっているものと考えられます。その点でこれらの指針は重要な位置づけを有しており、例えば準ずる方法がいかなるものであり、、いかなる条件において適用されるべきものであるのかという点が定かではない、また、売買実例等の例示に基づき、いかなるものを準備されるべきであるのか、参酌するとはいかなるレベルで捉え具体的な評価に適用していくのかという点は、検討すべきでしょう。まずは、相続税法が定める価額の意義に照らして適格か否かその基本的な法解釈に依拠した点がその妥当性を判断する要素となるべきものと考えられます。

このように考えると相続税法において価額の意義としていかなる要請を行っているのかという点が問題となりますが、たった二文字ではありますが、その解釈が重要なものと捉えられます(言うまでも国内財産においてもその意義は重要ではありますが)。事実上我が国の財産評価においては財産評価基本通達がその支配的意義を有していることは疑いようがないですが、国外財産においては、前記のように前提が異なることもあり、まずは、法が要請する価額の意義に立ち返るべきものというべきでしょう。

本件では、国外財産について、複数の租税が関連し、それぞれ、評価方法が異なることから(もちろん価額も大きく相違しています)、問題となった事案ではありますが、まずは例示にある考慮対象がいかなる要請を行っており、等と記載していることからも他にいかなるものが許容されうるものか定かではないものと捉えています。例示である以上、これに限定されるべきものではありませんが、財産種別や国外の状況等非常に多様な状況が想定されうるところでそれぞれの評価が価額に合致しているか判断することは非常に困難な作業ではないでしょうか。特に必ずしも価額自身がいかなるものを要請しているのか、定かではないとも考えられ、法解釈としても大きな課題というべきです。

本件はあくまでも裁決であるので、通達の例示等に拘束されるものであり、その意味で本件の判断はこの判断基準とに依拠した場合には合理的であると評価できますが、更に検討が必要であるといえます。

私見としては相続税法はまずは、その相続税負担において適正な財産の価額、すなわち経済的価値を適正に反映させ、また、評価であるがゆえに介入の余地が避け得ない恣意性を如何に排除して行くかが法の要請であるように考えられます。
この点は判例において客観的な交換価値をベースとして解釈していることからも裏付けられるでしょう。従って単に適正な価額であることのみではその要請に合致するものではなく、いわば、交換価値の適正性と客観性を兼ね備えたものが法の要請する価額であると捉えるべきであります。この点から通達の解釈が妥当であるのかという点が定まるものと考えられます。

本件のような国外財産では基本的に財産評価基本通達によることが困難であり、妥当ではない以上、問題は、上記のように、法が要請する適正な価額においていかなるものが基準として妥当であるのかという点でしょう。特に実例や精通者意見価格に於いて恣意性をいかに排除していくか複数の評価に対して総合的な判断も用いて行くことが必要であるとも考えられますが、評価の合理性を担保するためにもその判断基準が求められるものと考えます。本件では、財産税において収益性に基づく判断を行っていますが、基本的に我が国の固定資産評価において固定資産評価額等を用いて評価していることとの整合性からも問題であり、収益還元性を利用した評価は客観性という点でも実勢売買とは異なりうるもので、本件のようにその財産税価格の評価を用いることを否定した判断は相続税法の要請に合致していないという点で妥当なものと考えられます。

また、本件では最終的に遺産税の申告に用いられた価額を合理的と評価して適用しています。これについても、海外の法規に於いて定められた評価額(FairMarketvalue)が我が国の法規による財産の価額に合致するのかという点も問題といえるでしょう。海外の法規に定められた用語が我が国において適用可能かどうかは、「法人」の意義が争われた事案でも問題となったように、海外の法規の条件や我が国の法規の文言との整合性などの点で一定の評価を必要とするものであるといえますが、本件ではこのような判断を特に行わず、日米相続税条約における価額評価も検討すべきですが、あっさりとその評価額の我が国の法規への適合性を評価しています。この点は、海外の法概念が我が国の課税要件に合致するのかという点でも慎重な判断が必要なものと考えるべきであり、結局は我が国の価額の意義も問題になるわけではありますが、更に検討が必要な課題であるといえるのではないでしょうか。

以上、毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので完成度は低いですが、参考までに。

2016年12月14日水曜日

判例裁決紹介(平成27年11月19日、貸付債権の貸倒損失の計上時期】

さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、名古屋地判平成27年11月19日で、事業を引き継いだ原告が引継ぎ前より保有していた貸付債権の貸倒れにつき、損金算入時期が争われたものです。

具体的には、薬局を経営する原告が一時休業していた事業を継承し、訴外A社に対する貸付を平成22年の申告において貸倒損失として確定申告したところ、当該貸付債権はその計上を認められないとしたため、原告がその取消を求めて出訴したものです。
当該債権は、平成8年に行われた調査において納税者からの申立書を提出して、税務上損金としない旨供述したものです。なお、貸付先である訴外Aは平成16年の段階で約100億円の債務超過状態であり、平成19年に於いては倒産している状態にあり、それから約3年後に貸倒損失として損金に算入したものです。

判示でも遅くとも原告は平成19年の段階で債権が貸倒れたものであることは認識されるべきものであり、本件のタイミングで損失を計上することは認められないとして基本的に課税庁の主張を認め原告の請求を棄却していますが、まずは、貸倒損失の損金算入時期が問題と考えています。
判示では、いわゆる興銀事件の最判を引用して債務者の状況及び債権者側の状況を用いて、損金算入をすべきものとして判断しています。この点は、従来の判例の流れを踏襲するものであり、現行法の解釈としては、合理的なものであるように評価されます。
しかしながら、その具体的な損失の算入時期の判断について、いかなる時期によるべきかという点は必ずしも定かではない状況です。

判示のように、基本的に債務超過等の状況によって損失であることが判断された時点で計上すべきであることは特に異論はないのですが、種々の要素を総合的に判断した上で、その損失を認定する以上、その具体的な計上時期に関しては一定の幅が想定されるものであり、かかる認識に基づくとすれば、いかなるタイミングでその計上を求めるのかという点は法解釈として検討すべき課題といえるでしょう。

一般に計上時期に関する決定を納税者に任意で認めるということは、法人税法の評価損の原則禁止や、恣意性の介入等の状況から、租税法の基本的な要請として、すなわち課税負担の公平性に反するものである処理であることは言うまでもなく、許容される可能性はないものと考えられます。但し、上記のように最判の判断過程に基づくならば、債務者の状況に主としてその判断は委ねられるうえ、このような状況は、基本的に債権者側において調査することは困難な状況であり、また、更に考慮要素として債権者側の状況も考慮されるべきものと考えられるものであり、その把握は一義的に行われるものではなく、一定の幅は想定されることは容易に想定されるところです。このような状況のあり方自身が予測可能性や法的な安定を担保しているか否かという点からも疑問が残るところではあります。判示のように、客観的な状況をもってその損失の状況が確定したところであるタイミングをもってその計上を行うべきであり、納税者等の操作性が介入することで、適格ではないことに賛意は示すことができるものと考えられますが、必ずしも、このように要請する法的な根拠が明らかではないものと考えています。法人税法22条4項に定める公正処理基準がその根拠となりうるものではないかと考えられますが、当該規定がそのような法的規範を有するものであるのか、その制度趣旨から、明確に導けるものと評価してよいのかという点は疑問があります。

そもそも租税法務において貸倒損失をいかに評価すべきは立法によって明示されるべきものではないかという考えも持っていますが、計上のタイミングが幅があることと任意性の介入を衡平させ、如何に捉え、予測可能性を担保する客観的な状況がいかなるものであるべきか法解釈や立法によって明らかとすべきものではないでしょうか。

このように考えるといかなる事情をもって、その損金計上を認めるのかという点をいかに判断し、その立証を行うべきかという点も課題と考えられます。
判示でも、課税庁の主張においても、貸倒損失の性格上、納税者に対して債権の内容等を具体的に特定し主張すべきとしています。また、その立証がなければ、不存在とみなすものとして判断を行っています。

通常、従来、課税訴訟や更正処分において、その立証責任は質問検査権の行使をその理由として、原則として課税庁にあるものと理解されてきました。私見としてもこの考えは質問検査が事実上、受忍義務をおっていることから考えても妥当であると考えています。しかしながらいかなるものにおいても例外がありうるものであり、近年は他の裁判例でも立証責任が転換され、納税者にその責任があるものと解される事案が増加しています。この例外がいかなるものであるのか、その原因がいかなる点に依拠しているのかという点、そのように転換が行われる場合、従来の課税要件のあり方や質問検査権の性格が従来と同様に解されるべきものと捉えても問題がないのか等々立証責任の分配については検討すべき点が多いように考えられます。

本件のように、債権の性格が事実上の転換の理由となる点はこの意味で、立証責任の分配を考える上で興味深いといえるでしょう。そもそも、事実上の転換を促す貸倒損失の性格がいかなるものであるのかという点は、判示では明示されていませんが、たしかに、上記のように最判以後債権者側の事情も考慮した総合的な判断が行われる以上、転換が行われるべきものと解することは合理的であると言うべきであると考えています。

このように債権の性質に応じてという判断であれば、納税者の予測可能性をより高めるべく、その予見において対応可能であるように要件がより明確化という観点から求められるのではないでしょうか。そもそも上記のように、貸倒損失の租税法務における取扱は立法によって明示的に捉えられるべきと評価しています。特に判示にあるように、立証がなければ事実上、不存在と認定するとするならば、より明示的な法的根拠を必要とすべきと解することが租税法規の基本的要請に合致するものと考えています。

また、より一般論として、このような立証の責任を転換する一つの理由としてこのような債権の性格に基づくことが根拠となりうるものでしょうか。質問検査権や申告納税制度の趣旨にも関わることではありますが、もし根拠となりうるものとした場合、いかなる場合がそのような転換の理由として検討されるのか、という点は租税法においても立証責任を考えてる上で、大きな課題となるのではないでしょうか。

以上、毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので完成度は低いですが、参考までに。
判決

2016年12月5日月曜日

判例裁決紹介(減額更正処分における国家賠償、東京地判平成26年10月17日】

さて、また、興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、東京地判平成26年10月17日で、減額更正処分を行うべき国の責任を納税者が求めた事案です。

具体的には納税者が新株予約権の行使益に対して確定申告を行ったところ、それが誤りであったとして、当該納税者の破産管財人が係る所得に対する所得区分や収入金額の算定に関して、誤りがあったとして、国に対して更正の請求を求める機会を与えるべきであったところ、更正の請求の期限超過等を理由として、減額更正処分を行わないとした判断により、その行為を認めなかったとして、国に対して国家賠償を求めた事案です。

この処分においては、従来の課税処分と国家賠償の関係を最高裁が判断した事案と整合的であり、かかる判断基準に則り具体的な判断を行っています。。すなわち、単に過大な賦課徴収を行っていたからと言って直ちに違法があるものというべきものではなく、減額更正処分を行うか否かについて、その必要性を認定判断する上で、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく、漫然と更正を行わなかったと認めうるような事情がある場合に限り違法の評価を受けるものとの最高裁判示に従い、判断を行って原告の主張を退けています。

この判示自身、申告納税制度の趣旨及び、更正の請求の期間制限に依拠した上で、限定的に国家賠償の対象を解していますが、現在の更正の請求に対する期間制限に対して判断されたものではなく、旧法の状況による判断であり、現行法の制度を前提とした場合、いかなる国家賠償の対象となるのか、議論の余地があるものと考えます。少なくとも更正の請求の期限延長において、いかなる変更がありうるのか、私見としては基本的に、申告納税制度を前提としている以上、この最高裁判示の変更が行われるべきものとはいえないと考えていますが、議論の前提として検討するべきものと考えています。

そもそも、課税庁において、更正すべき義務があると解されるのか、この点も問題であります。たとえ、客観的かつ明白な誤りの存在によって、申告に重大な瑕疵があったとしても、何をもってそもそも課税処分や、申告に誤りがあるものと判断すべきか、定かではありません。こちらについても申告納税制度を前提とする我が国の所得税において【賦課課税の場合はまた別の判断がなされる可能性は存在しているといえるでしょう】、減額すべき義務を課税庁に観念することは、たとえ誤りによって担税力がないものへの課税であり、租税負担の公平性に反するものとして法律上無効として判断される余地があるといえども、立法によることは別として解釈上導くことは極めて困難な状況にあるものと考えられます。


本件自身は、どちらかといえば、本来、納税者の申告においてサポートした税理士の責任を問うべきものであり、国家賠償をもって対応すべきとすることは、かえって通常の納税者との間で、衡平に反するものというべきではないでしょうか。

以上、毎度のごとく、論文Stockとして作成しているものですので、完成度は低いですが、参考までに。判決