2017年2月22日水曜日

判例裁決紹介(推計課税の合理性、消費税における推計、平成28年5月9日裁決)

さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介作成しました。今回は平
成28年5月9日裁決で、マッサージ店に対する推計課税の合理性及び消費税法の課税標準の推計が争われたものです。
最近は判例も少なく、実務的にも、推計課税は抑止的な規制としての役割が中心になっているものかと思われるところですが、最近の事例として興味深かったので、取り上げました。

具体的には、個人事業としてマッサージ店を営む請求人が、帳簿や計算書類を作成・保存していなかったところ、課税庁がフェイスペーパーの使用量を基準として所得税の推計課税及びこの認定に基づく、課税資産の譲渡等があったとして消費税を、更に、帳簿等の保存がなかったとして、仕入税額控除の適用を否認した事例である。判断としては、課税庁の主張を全面的に認めるもので、私見としても合理的な金額の推計方法等に関しては妥当なものと捉えている。

一つ一つは、特に目新たしい論点ではないのではないような印象ももっているところではあるが、本件は資料不備に基づく推計課税につき争われた事案である。古くから租税法の課題として、修士論文の題材としても注目され、その議論が行われている推計課税の規定であるが、特にその課税標準の推計金額の合理性が、問われてきた、本件もその系譜に連なる事例である。

実務的には本来推計課税などあってはならない状況ではあるだろうが、合理的な所得水準を検討する上でも、また、反証の方法なども参考になるものであるだろう。おそらく、このような経理実態の企業はまだまだ存在しているのではないだろうか(実務家の意見を聞きたいとこ)。

まず、判断では、中心的な争点としてかかる業態における金額推計方法の合理性が問題となっている。下記条文にあるように、推計課税の規定は、課税標準樽所得金額を推計し課税を行う非常に侵害性が強い規定であり、基本的に侵害規範としての租税法の性質から考えて、租税法律主義や、適正な手続を保証する憲法上の原則に抵触する可能性があるものという従来の考え方に則り、特に条文上の制限はないものの、その適用は、一定の必要性がある場合に限定される解釈が原則的な考え方であろう。本件も、帳簿等の保存がまったくないことをその適用事由として捉えている。

また、推計課税の根拠も上記のような性格から鑑みつつも下記のように納税者間の公平性の担保をその目的として理解しているものと判断される。この点は従来の議論より明らかであり、推計課税の趣旨は、見解としてその相違はないものと考えられる。多くの議論はこの適用関係にまずはその争点が焦点が当てられる。
本件もかかる判断を踏襲しており、適用に関しては、妥当なものであるとの判断を行っている。あくまでも推計課税は、納税者間の公平性の担保がその基本的な趣旨であることは、前提として理解されるべきであろう。租税負担の公平性ではないことも留意すべきである。

そこで問題となるのがこの出家によって導かれる金額の合理性である。いかなる程度の金額の推計であれば、その合理性が認められるのかという点が必ずしも明らかにはなっていない。実額反証の問題とも関連するが、基本的に課税庁ができる規定を適用していく関係性からこの推計の合理性を立証すべき責務を負うべきものである。しかしながら、この点はいかなる程度の合理性を提示すれば良いのかという点は条文上は必ずしも明らかではなく、問題といえる。

本件ではこの点につき、下記のように、経験則に照らして合理的であれば足りると解している。

「推計課税が実額による課税方法が採れない場合に納税者が不当に納税義務を免れることがないように認められる課税方法であること等に鑑みると、推計課税における推計方法は、経験則に照らして合理的なものであれば足りると解するのが相当である。
また、消費税法も、消費税の課税資産の譲渡等の対価の額を上記のような推計の方法により認定することを当然に許容していると解される。」

確かに、実額課税が不可能である場合において適用される制度が推計課税であり、我が国の所得税が申告納税制度を前提としている以上、実額による反証は可能であるとしても、金額の合理性は、相当程度の確度で保証されているべきものと解することはだろうではない。従って実額との対比はほぼ意味がないものであるとは考えられるが、この点は推計の合理性が不充分であることを補填するものではない。この点は従来の学説等と比較してもほぼ通説として捉えて良いと考えられる。

しかしながら本件では経験則という判断を基準として、その合理性を検討しているが、この経験則とはいかなるものであるのか、という点は定かではなく、個別具体的な合理性を検討する基準としては明確ではないものと考えられる。
この点で単に経験則に合致して合理的であれば足りるとする判断は疑問がある。

この推計を行う、一部経費の存在や比準対象、指標等の合理性は法解釈上の問題として捉えられるべきである。私見としては、類似の金額の推計を行う移転価格税制の金額算定が参考になるのではないかと考えられる。この制度の整合的な立証が最も従前から金額の合理性を算定する上で蓄積があり優れている。類似業種との比較等の手続的妥当性が重要なものとなりうるのではないだろうか。近年は、移転価格税制もベストメソッドを追求する基本的な姿勢を有しており、その適用にあたっては合理性の実証が不可欠である(この点で、負担が重く、忌避される傾向も指摘されるが)。この点は立法によるべきものであるのかもしれない、また、移転価格税制が想定する状況と推計課税の状況は必ずしも同一ではなく、また、所得税と法人税においても相違するところではあるが、両制度ともにいずれも課税負担の公平性、納税者間の公平性を基礎とする制度であり、立証方法の類似性は、図れるものとと考えられる。単に売上等を推計する手法の合理性が追求されるべきものと捉えることは、租税法の基本原則がから鑑みて、疑問を覚えるところではある。比較対象の選定等、より精緻な推計の合理性を検証する手法が法令の要請として理解されるのではないだろうか。いずれにしても経験則という不確かな基準によって推計を行うことは、公平性の実現・実効性の確保という点から妥当性を保証されるとしてもよりその手続的な妥当性の追求は検討されるべきものであるだろう。

本件でも一部経費の実在性を考慮するなど、その合理性を根拠付ける精緻さにかける点は否めない。他の推計方法との比較検証や比較方法、比準対象の選定プロセスの合理性がなくして、他の相当性の判断と同様に金額の合理性を、ベストな方法として主張されうるものではないだろうか。移転価格税制もベストメソッド方式に移行してから、その合理性をいかにして検証していくのかという点はまだまだ事例も少なく、途上である。合わせてこのような金額の合理性を如何にして検証していくのかより検討が必要と考えるべきであろう。

第一五六条 税務署長は、居住者に係る所得税につき更正又は決定をする場合には、その者の財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模によりその者の各年分の各種所得の金額又は損失の金額(その者の提出した青色申告書に係る年分の不動産所得の金額、事業所得の金額及び山林所得の金額並びにこれらの金額の計算上生じた損失の金額を除く。)を推計して、これをすることができる。

また、本件では、上記所得税における推計課税と合わせて、消費税においても課税標準たる課税資産の譲渡等につき、ほぼ上記と同様な認定方法において、推計を行った上で、さらに、帳簿等の保存がないことから、その仕入税額控除を否定している。
帳簿等の保存が欠如していることから、従前の判断に則り、仕入税額控除を否認することは、整合的であり、疑念の余地はないものと考えられるが、課税売上、すなわち消費税法における課税資産の譲渡等をこのような形で認定することは、妥当であるのだろうか。

推計課税の適用に関しては、消費税法において、所得税法や法人税法と異なり、その根拠規定が存在していないことは周知のとおりであり、課税標準という非常に重要な課税の事情を、法規の根拠なく、認定することは租税法の基本原則から考えて、許容されうるのであろうか。

上記判断では、特に根拠を示すことなく、おそらくあえて、表現すれば納税義務者間の公平性に根拠づけられるものと考えられるが、上記のように、当然に許容しているものと解されるという判断には疑問の余地がある。
所得税法の規定による、認定方法を、たしかに課税標準としては、所得と、課税資産の譲渡等は類似している可能性も高く、帳簿方式を採用して相当程度に連結していることは、否定のしようがないところではあるが、課税資産の譲渡等と総所得金額では、その概念として意味するものは異なっており、所得税法における推計規定の存在をもって、いかに推計課税が、納税者の責めに帰すべき事由から実額での課税が困難である場合に、納税義務者間の公平性を担保すべく設けられた制度であるといえど、かかる連結した推計措置は、如何にして租税法の基本原則から肯定されうるものであるのであろうか。

もし、推計課税を租税負担の公平性を担保する本質的な制度であり、所得税法や法人税法に於ける規定ぶりは単なる確認規定と考え、消費税法においてもその適用が可能であるとした制度と捉えることができるとした場合、このような連結した推計は行われうる可能性は否定し得ない。しかしながら、従前、このような推計課税に対する基本的性格は、その適用が限定的に捉えられてきた、適正手続の観点から、上記のような考え方に依拠するならば、創設的規定と解するべきであろう。もし確認的な規定であるとした場合、公平性の要請と租税法律主義の要請との衡平において、公平性に重きをおいた判断となる。

判断ではわずか二行でその適用が当然に許容されるべきものと言われているが、課税資産の譲渡等と所得の概念的相違や推計課税制度の機能等から考えても、いかなる根拠をもって当該消費税法における課税標準の推計に根拠付が可能であるのか議論のすべきものと捉えるべきであろう。

消費税は、今後我が国の租税体系において税率の上昇もあり、その重要性が高まることは避けがたく、単に税率や適格請求書等の構造のみがその焦点となるべきものではない。所得税法や法人税法が推計課税の制度を立法において明確に規定しており、滞納等の発生を防止し、より適正な納税環境の構築、徴収手続の実現に配慮している点を考慮すべきであり、より実効性のある、推計、調査等の手続規定を整備すべき段階にあるのではないかと考えられる。もちろん、私見としても海外での消費税における不正事例の発生もあり、消費税法においても推計課税の規定の存在を立法において規定する可能性も考慮しては良いのではないのかという考えであるが、もちろん、現行においてなぜ、所得税法や法人税法と異なり、推計課税をおいていないのかという点は、インボイスによる相互牽制性等も踏まえ、当該理由も検討すべきである。単に本件のように当然のような理解を行うことはリスクがあるのではないかといえる。

このように、消費税法においても推計課税を適用することは立法根拠という点では必ずしも明らかではなく、疑問の余地、リスクが有るものであるが、実務ではこのような措置は支配的な考えなのであろうか(この点は実務家の意見を聞いておきたいところ)。

以上です。毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。裁決

2017年2月7日火曜日

判例裁決紹介(平成28年4っ月25日裁決、相続税申告におけるお尋ね文書への不実記載と重加算税の賦課)

さて、また興が乗ったので、判例裁決紹介を作成しました。今回は、平成28年4月25日裁決で、相続税の申告に関する重加算税の要件としての仮装隠蔽行為の発生につき、いわゆるお尋ね文書に不実の記載を行った事例です。
以下論文調で書きます。

具体的には、本件は請求人たる相続人が相続税申告を行わず、法定納期限等後に行われた課税庁からのお尋ね文書に対して相続の発生によって取得した財産のうち、一部預金口座に関して、記載せず、課税庁による調査の申告によって一部ずつ、その口座の存在を認めるような行為を行っていた事案が、問題となったものであり、課税庁が本件において、相続財産の把握につき、困難な状況を生じさせたとして重加算税の賦課決定処分を行ったところ、これを不服として提起されたものである。

判断は結局として課税庁の主張を認めることなく、本件の事実関係にもとづく、総合的な判断で、重加算税の発生要件のうち、当該時点での隠蔽行為に対する確信的な意図の存在を認めがたいとして、退けたものである。
私見としては事実関係にもとづけば、納税申告を行わず、さらに不実の記載によって仮装隠蔽の意図は明確であるようにも評価されうるものであると考えているところではあるが、本件は最近、特に平成22年度税制改正による、調査手続の改正後利用が急増している、税務署からのお尋ね文書の存在に関して、言及した珍しい事案であり、その法的な位置づけ、調査手続における意義について検討する上で有効な存在であるだろう。

まず、重加算税の要件への合致に関しては、法解釈仮装隠蔽の発生に関して、確定的な意図の存在を要するものと解している。これ自身も議論の余地があるところではあるが、本件は通説として、確信的な意図の存在を重要視する構成要件を求めている判断を前提として本件が形成されている。この点については、重加算税の要件をより吟味すべきものであるが、私見としては申告納税制度を前提とする以上、仮装隠蔽の行為が発生している事実関係が重要であり、法は意図の存在を確信的なレベルで求めているとは理解し難いところもあるとも考えられる。重加算税の位置付け自身が多分に懲罰的なものである以上、その要件はいかなるべきものであるのかという検討は重要な課題であるといえよう。

また、前述の通り、本件は最近とみにその利用が急増している、納税に関する税務署からのお尋ね文書の発送に関するものであり、かかる書類への記載の不実が問題となったものである。実務上この文書の存在をいかに捉えているのかという点は、課税庁、納税者、専門家の間でも大きな議論は見当たらないが、具体的にどのように処理して対応しているのかという点は、適正手続の観点からもさらに、近年の情報化に対応した調査手続の変化という点からも注目に値する。

そもそもこのような文書の存在は従前から存在してたものであるのであろうか。この点は特に文献等の記載がないため、実務家による意見を待ちたいところではあるが、そもそも、このようなお尋ね文書を発送することにつき、いかなる手続規定、法的根拠に基づいているのか定かではない。もちろん、法的な根拠が明確ではないから、このような文書による情報収集はすなわち違法性を有するというような短絡的な議論は行うつもりはないものの、かかる文書の法的な意義は、調査手続における位置付けはいかなるものであるのかという点は検討されるべきものであろう。法的な根拠が存在するものであれば、その性格が当然の如く議論されるべきものであるが、現状においては中途半端な位置づけにあるように捉えられる。かつての納税申告に関しての修正申告の慫慂が勧奨という形で、国税通則法に明記されたように、実務における位置付けや資料入手の重要性等、を考慮して更にその文書の発送行為の意義が検討されるべきと考えられる。

私見としては、まず、この文書の発送による資料の収集が質問検査権の行使との関係でいかなる相違を持つか否かが検討の素材となるべきものである。文書の受領側である納税者や専門家がいかに捉えているのかは定かではないが(おそらく、この相違は特に行われておらず、質問検査と同様に解答すべきものと捉えているのではないだろうか)、国税通則法において質問検査権を規定する第74条の2以降の規定において、定める質問検査権の行使と同視されるべき部分と、その相違点については、件t脳を行う必要がある。

質問検査権の要件たる調査における必要性やおそらく事実上受忍義務の発生等は考慮されていないものと捉えられ、従って、当該お尋ね文書の発送は、質問検査権と必ずしも同一の性格を有するものではないと捉えるべきであろう。もちろん場合によっては質問検査権の行使と同視される可能性も否定し得ないが、その場合は、納税者に対する実際の資料入手であり、実地の調査との相違が問題となることであろう。いずれにしても、このようなお尋ね文書の発送の目的や必要性との関連から概念的に整理されるべきものである。従って、お尋ね文書の性格は現時点では複合的な意味を有している可能性も否定し得ない。

また、法に定める「調査」について、その多様性から考えて、本件の資料入手が調査に該当することは肯定されうるものであるともいえる。

本件の起点は、重加算税の要件たる意図の存在を立証認定する際に、本件の調査過程で、当該お訪ね文書への不実記載(この不実記載がいかなる要因で発生したものであるのかが問題ではあるが)が、スタートとなっている。最終的に本件では、意図の存在を調査段階での他の行為等によって総合的に判断し、積極的に仮装隠蔽行為を行っているものとは評価し難いとして重加算税の発生を否定している。その意味で、事実関係に基づく判断であり、お尋ね文書以外の状況も加味し最終的な判断が導かれたものであり、衡平な判断であるとも評価できるだろう。上記のように、当該文書に対して不実の記載があった場合に、法的に調査手続においてどのような意義を与えら得るべき存在として考えられるのか、かかる意味で本件は興味深いものであろう。

お尋ね文書自身の意義・性格自体は、上記のように調査手続の一環を構成する可能性がある以上、場合によっては課税処分の前提として構成されるべきものであり、純粋な質問検査権や課税処分の目的以外の資料の入手のための調査とは一線を画するものであると捉えるべきであるが、まずは従来課税手続の中核たる質問検査権の行使との相違が、いかなる方法によって整理されうるものであるのか、検討される必要があろう。本件では、当該文書に不備があったことを直接的な仮装隠蔽の資料として主張しているが、法的根拠やその性格が曖昧な存在は課税処分の効力に疑義をもたらしうるものであり、間接的な資料とはなるであろうが、その性格がまずは分類整理される必要があるように思われる。

係る検討を通じて、まずは、このお尋ね文書における性格を議論し、立法論として検討すべき点であるだろう。

以上、毎度のごとく論文stockとして作成しているものですので完成度は低いですが参考までに。
裁決