2022年11月7日月曜日
判例裁決紹介(横浜地判令和3年2月24日、副業の事業所得認定)
さて、また興が乗ったので判例裁決紹介を作成しました。今回は、横浜地判令和3年3月24日で、医師が行う副業としての洋画製造販売が事業として認められ損益通算が認められるか否かという点が争点となった事例です。
具体的には本件は医師たる原告画素の個人の確定申告において給与所得と実施する、洋画作成に関する損失(個展を海外で開くなど大幅な経費と損失が発生しており、収入は微々たるもの)を事業所得に関するものであるとして損益通算の対象としていたことにつき、当該損失は事業所得に関するものではなく、雑所得であるとして損益通算を否定した更正処分等を不服として提起された事例である。事案としてはシンプルであり、事業所得と雑所得の区分を巡る古くて新しい論点であり、近年の事業環境の変化や芸術的な事業(演奏等も含め)における所得区分の課題が中心的な争点になっているものである。
近年は、副業等の解禁もあり、個人が複数の所得源を持つことが一般化している現況(現状の所得税法は、複数の所得区分を認めているが、損益通算など、基本的に複数の所得源の存在は念頭として重視されていないものであろう)にあり、またネット等を介した形で収入を得るような形式が社会に実装されている形であり、事業の立ち上げが容易になりつつある。かかる環境において、所得税法としていかに適正な形で所得課税を行っていくべきであるのかという点が本件も含め、所得区分の見直しが社会的に必要になりつつある現況であろう(おそらくは個人が国境を超えた役務提供も行うことも、また含めねばならないと考えられる)。近年は新しい事業所得の区分に関する通達も検討されているが(本質的には法文により精緻な事業の定義を置くべきものであるとは考える)、最初にとりあえずバルーンとしてあげた金額基準から、本命の帳簿整備基準に収斂されている流れもあるものの、かかる点では本件でも問題となった趣味的な要素の強い、あるいは芸術的なものなどに代表されるような、そして損益通算の問題(本質的には本件も含め、損益通算がメインテーマとなっているものであろうが)など、関連する問題は多様であり、本件のような事例も含め事業判断における精緻化は、今後の租税実務において重要な要因となるだろう。
本件では下記のように事実認定を行い、一定の事業性は認めつつも、
「原告は、洋画等の販売のために個展を東京、横浜、京都、ニューヨークで複数回
開催していること、自作洋画に係るジークレー(版画)、リトグラフ、画集及びポ
ストカードを、対価を得て販売していたことが認められ、これらの事実に照らせ
ば、本件制作販売等は、有償性、継続性、反復性のある活動であり、アトリエとい
う物的設備を備え、さらに、原告が自己の費用を投じて上記活動を行っていること
から、原告の計算と危険において企画遂行されている活動であるといえる。
しかしながら、いずれの年においても収入金額を大幅に上回る必要経費が投じら
れており、収益が全く生じてないこと、原告は、医療法人社団の理事長を勤め、医
師として診療行為を行うことにより、多額の給与所得を得ており、その生活に要す
る費用は上記給与所得により賄うほか、本件制作販売等に係る資金も、給与収入又
は預貯金等で賄い、他からの借入れ等による資金調達を行っていなかったこと等が
認められる。」
「多額の資金を投じる一方で、収益は全く上がっておらず、およそ相当程度の期
間継続して安定した収益が得られる見込みがあったとはいえず、客観的にみて営利
を目的として行われたものともいえないことからすれば、社会通念上、本件制作販
売等が、自己の計算と危険において独立して営まれ、営利性、有償性を有し、かつ
反復継続して遂行する意思と社会的地位とが客観的に認められる業務であるとはい
えず、事業に該当しない。」
として、
「事業所得が事業活動を遂行することで得られる収益に担税力を認めたものである
以上、現に収益を計上できるかどうかは別として、社会的・客観的に見て、ある程
度の期間継続して経済活動を遂行して安定した収益を得ることを目的とし、この目
的に合致した実態を有するといえるものを事業とし、これにより得られた所得を事
業所得とすべきであるから、社会的客観性をもって「事業」と認められるかを検討
するに当たっては、「相当程度の期間継続して安定した収益を得られる可能性」を
も検討すべき」
と判示して、昭和56年の最判を基本としながらも、多額の損失を経常的に計上していることから、事業所得としての該当性を否定している。
近年事業所得の判断においてはこの相当程度の期間継続して安定した収益を得られる可能性を判断要因に加えて、事業所得の判断の枠組みにしている事例が多い。56年最判は一応の基準であるが、どのような点で他の要素を許容されるべきでものであるのかという点は解釈論として検討すべきものであろう。
裁決レベルではこのような判断は行われてきたが、地判レベルでも受容されてきていることが本件でも重要な要因であろう。私見としてはこのようなアプローチが近年の事業環境において適合的であるとの判断はなされるべきであるか、事業所得の解釈として、そもそも論として収益をうる目的に合致した実態と損失の有無を如何にして整合的に理解すべきであるのかという点は疑問に思う。
判示では特段の根拠なく、事業所得であるからという理由のみで、課税庁の主張を受け入れており、事業とはそもそもリスクをおって業務を行うものであり、損失の実態は必ずしも否定されるべきものであるのであろうか。そもそもとして環境の変化も鑑み現代的な事業所得の意義を検討すべき時期に来ているのではないかと考える。
また、判示における安定しているということがどのような意義を有するものであるのかという点も明らかではない。事業がそもそも安定しているというものとは捉えがたいものであるし、自己の計算と危険という判断の枠組みにおいて整合的であるのかという点や将来の見込みも含め曖昧な状況に左右されるような判断の枠組みは検討の余地があろう。
以上です。毎回のごとく備忘録として作成しているものであり、完成度は低いですが参考までに。
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